ケンちゃんとわたし

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自宅に到着すると、ユキさんは「ゆっくりして下さいね」と声をかけ、冷たい緑茶を用意してくれた。 更にユキさんは、ケンちゃんのためにと布団まで用意してくれた。私はケンちゃんを布団の敷いてある寝室まで案内してもらい、そっとケンちゃんを布団の上に降ろした。ケンちゃんは相変わらず安心した表情を浮かべて、とても気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。その姿はどこにでもいる普通の子供と同じように、まるで今もそこに生きているかのようにとても自然に見えた。 しかし、ケンちゃんが幽霊である事には変わりはない。ケンちゃんはもう生きてはいないのだ。すでにケンちゃんは亡くなっており、どんなに生き生きとした明るくて元気いっぱいなケンちゃんスマイルを見せても、どんなに気持ちよさそうに寝息を立てながらすやすやと眠っていても、どんなに美味しそうに大好物のヒモ飴を食べていても、どんなに私と楽しそうにお話をして、怒ったり、泣いたり、どんな表情を見せてくれても、そこにいるケンちゃんというたった一人の少年はもうこの世には存在しないのだ。それはどんなに抗ったとしても、けして変わらない事実であり、紛れも無い現実なのである。 どうやらユキさんにはケンちゃんの事が見えているらしいのが、ここで実はこの子幽霊なんですよと暴露するにはひどく場違いな気がした。かと言って、実は霊感お持ちなんですかなんて訪ねるのも違う気がする。実際に私がそんな事初対面の人に尋ねられるとかなりドン引きすると思う。彼女の目からすると、ケンちゃんはどこにでもいる普通の男の子なのだと思っているかもしれないし、そもそもな話、幽霊という存在を信じていないかもしれないし、認識がないのかもしれない。このユキさんからして、ケンちゃんはどの様に写っているのだろうか。なんて事を心の内でひっそり考えながら、ぬるくならないうちに、注いでもらったまだ冷たい緑茶を一口すすると、一服を噛み締めた身体に対して、一気に追い打ちをかけるように大きな疲労感が内側からものすごい速さで湧き上がってきた。 思えば、現在の状況に至るまで、恐ろしくハードスケジュールな一日だったなと実感した。たくさんの出来事があったせいもあるが、こうして思い返してみると、昼間住宅街で聞こえていた蝉と風鈴の合唱がとても昔のように思え、懐かしささえ感じできた。 そんな思い出に浸っていると、ユキさんが緑茶をすすりながら、優しいほほえみを浮かべ、落ち着いた様子で私に話しかける。 「ぐっすり寝てますね。よっぽど疲れたのかな…?ふふ、あの子、あんなに嬉しそうに笑いながら寝るんですね。すごく幸せそう。」 「元気すぎて逆に心配になるくらいですよ、とんでもなくドタバタな日々なんですが、この子にとっては1日1日がとても貴重で、必死に自分の決めた目的を達成するために限られた時間の中で頑張っているんです。毎日が思い出づくりで本人はきっと、とても楽しいんだと思います。ってごめんなさい意味のわからないようなこと言ってっ…はは」 「いえいえ、大丈夫ですよ、私はちゃんと分かりますから。…子供って遊ぶ事が最大の役割みたいな感じですからね、この子もそうやっていつまでも純粋で、優しい心を持ったまま、素敵な大人に成長してほしいな…けして後悔のない様に。一度失った時間はもう二度とは戻ってきませんし、友情だってそうです。ずっと続いていくはずの何気ない日々が、明るい未来が、希望に満ち溢れた将来が、ある日突然無くなってしまう事もある。他人に奪われてしまう事もある。一度ついた傷を治すのにはとても時間がいりますし、もしその傷がとても深いものならば、二度と治らない事もある。ずっとずっと笑って過ごせたら良かったのに…置いていく方も、置いてけぼりにされる方も、どっちもとても悲しくて、寂しいんですよね。」 ユキさんは声を詰まらせながら悲しそうにそう話し終えると、静かに眠っているケンちゃんを見つめてもう一度微笑んだ。その微笑みはとても温かく、とても優しかった。 数秒ほど、ケンちゃんを見つめた後、再び体制を私の座っている正面方へと戻した。彼女は私の事を静かに見つめ、小さな声で優しくこう言った。 「おかえりなさい、コハルさん。」
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