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トトトトト……。
聞きなれたエンジン音。
スーパーカブがやってきた。
ボクは、カーテン越しに確認。いつもの信金マンだ。
千代さん家の前で止まると、慣れた手つきで玄関を開けて入っていった。
彼はインターホンを鳴らしたことはない。何年も通っているから遠慮も会釈もない。スーッと入っていき、スーッと出てくる。いつものことだ。
またかと見ていると、すぐにただならぬ表情で家から飛び出してきたから、ボクは目が離せなくなった。
スーパーカブに一旦は乗ろうとしたが躊躇し、思いつめた表情でしばらく動かず。警戒するように周囲を見たので、ボクはカーテンの影に隠れた。
誰にも見られていないことを確認した彼は、エンジンを掛けず、スーパーカブを手で押しながら去っていった。
いつもは家の前からエンジンを掛けて去っていく。千代さんは一度も姿を見せなかった。
異変を感じたボクは、家で何かが起きたに違いないと考えた。
「様子を見に行ってみるか」
念のために空のコンビニ袋を2つ用意して、スマホで動画撮影しながら千代さんの家に向かった。
コンビニ袋は家の中を土足で上がるためのものだ。
玄関先で靴を袋で包んで中に入る。こうすれば室内は汚れない。ボクの足跡もつかない。
スマホで一部始終を撮影したのは、ボクが疑われたときに提出する証拠用だ。
用意周到過ぎだって? 臨場の基本さ。
「千代さん……」
名前を呼びながら家に入る。千代さんは出てこない。
鍵は開いていたから家のどこかにいるはずだと考えながら、薄暗い家の中を隅から隅まで探した。
べっこべこの廊下は床下が腐っている。古い畳。資産家だと思っていたが、修繕にお金を回す余裕はなかったのだろうか。
客間も台所も寝室も、クローゼット、納戸も全部見た。どこも異変はない。この場合の異変とは、殺人の痕跡だ。
そんなもの、ない方がいいのだが、ボクはなんとなく期待してしまった。
「あとは、バス、トイレ……。千代さん!」
バスルームに入ったボクの目に、千代さんが飛び込んできた。
裸で湯船に浸かって、顔半分が水没した異様な姿。
ぐったりしていたので、ボクは助けようと駆け寄った。
「千代さん! しっかり! 冷たい!!!」
風呂に手を入れると、冷たさにビックリしてすぐに手を引っ込めた。
お湯はすっかり冷めて水になっていた。
「千代さん……」
千代さんは死んでいた。
ボクは、冷たい水の中から千代さんの手を取った。冷えた体。
印象的だったのは、さっきまで生きていたかのように綺麗な肌だったことだ。
信金マンもこの千代さんを見たはずだ。見たから驚いて逃げたのだ。
「なぜ通報しなかったんだろう。すぐ通報した方が疑われずにすむのに」
水温、千代さんの体温からも、彼が来た時には、すでに死んでいたことは確実。まず疑われることはないだろう。逃げる必要はなかったはずだ。
ボクは怪しいところがないか見て回った。
「あるはずのものがないな……」
それは、脱いだ服だ。それが見当たらない。
洗濯機を覗くと、洗濯し終わった服と肌着がある。脱いですぐに入れたのだろうか。
他にも気になるところはあったが警察が調べるだろう。
ボクは、市民の義務として警察に通報した。
警察が来て、ボクは事情を説明した。
もちろん、信金マンのことも話した。
現場を見た警察は、千代さんが風呂に入っている最中に寝てしまったか意識を失ったかで口と鼻が水没、溺死したのだろうと言った。
腐敗具合と風呂の温度からみて、死亡推定時刻は昨夜と判断。
信金マンには昨夜のアリバイがあったため犯人として疑われることはなく、事故死とされた。
このままボクの出番はないように思われた。
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