死にたいボクが探偵になったわけ

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死にたいボクが探偵になったわけ

 ボクがカゲハルと2年振りに再会した日は、冬だと言うのに汗ばむほど異常な陽気だった。数日前には雪が積もった寒さだったのに、この日は春の陽気。  コンビニへ行こうと外に出ると、残雪から立ち上る湿気によって空気がやたらと重く、野良猫がどこかで鳴いていた。  それでも日差しは明るくて、ボクは濡れたアスファルトの上をのんびり歩いて向かった。  外を歩いている人はまばら。引きこもりのボクにとってはその方が嬉しい。  馴染みのコンビニでは、いつものようにベトナム人とインドネシア人のバイトがレジに立っていた。  トイレットペーパーを買おうと棚を見るが、全部売り切れでただの空間がそこにあった。完売の札が空々しく置かれている。 「珍しいな」  困ったボクは、しばらく店内を探してウロウロした。  店員に不審な目で追われていることに気付いたボクは、平静を装う。  棚を見ると売り切れはトイレットペーパーだけじゃなかった。  マスクやティッシュペーパー、消毒用除菌スプレーなどの衛生用品が売り切れ。カップ麺も軒並み売り切れている。  異様な光景にめまいがした。 「どうしたんだろう?」  ストックはまだ少しだけあるなと思い返したボクは、ここでの購入を諦めて、食料を買い込むことにした。最低でも3日分必要だ。  おにぎり、スナック菓子、飲み物を、買い物かごに手当たり次第に放り入れると、雑誌コーナーで今日発売の週刊誌を適当にマガジンラックから抜き出し、レジに向かった。 「イラッシエイマセ」  たどたどしくも丁寧な日本語。でも、愛想はない。  店員は全員マスク姿。ボクを接客する前に消毒用アルコールで手を消毒し、会計が終るとまた消毒した。  さらに、お金をやり取りしたコイントレイと、ボクが使った買い物かごをアルコールシートで拭きだした。  そこまでやる?  病原菌扱いに嫌な気分で家に帰ったボクは、早速週刊誌を読んだ。  面白い記事や興味深い記事が何一つなくて、半分以上が新型肺炎ウィルスの特集だった。  ボクはずっと自宅に閉じこもってテレビも見ないから、世界中で謎の新型肺炎ウィルスが流行していることを初めて知った。 「世の中でこんな騒ぎが起きているとは驚いた。それで売り切れていたのか。変だと思った」  週刊誌は、多くのページを割いて特集している割には確定情報が何一つなく、人混みを避けろとか、宴会はするなとか、熱が出たら自宅から出るなとか、普通のインフルエンザと大して変わらない対処方法ばかりだ。 「店員もやたらと消毒していたな……」  病原菌扱いされているのかと悲しくなったが、週刊誌を読んで誤解だったことに気付いた。  とは言え、ボクがウィルスを持ち込んでいるかもしれないと警戒していたことには変わらない。 「ああ、死にたい……」  鬱々しながら読んでいると、閉鎖空間や他人と長時間密着する状況で集団感染すると書かれている。  これならボクはまったく心配ない。  昨年の春から他人と長時間接触していないからだ。他人と話すのも数回あったかどうか。  感染していなくても、自宅で隔離されていたようなものだ。 「なんだ、いつも通りに過ごしていればいいんじゃないか」  人混みには行かないし、宴会も飲み会も誘われない。フェスもライブもプロスポーツ観戦も行かない。  大学は昨年から数回しか行っていない。行ったとしても、教室では誰からも離れて座り、口を一度も開けずに過ごし、講義が終わると自宅まで一目散。  他人と濃厚な接触を一切していないボクは、感染の危険が全くないと言える。  死にたいボクが、危機から一番遠ざかっているというなんという皮肉。  人類が絶滅しても、ボクだけ生き残る可能性もなくはなさそうだ。  だが、コンビニがなくなった世界で生きていく自信はない。 「いっそ、人混みを歩いて感染するかな」  それも面倒くさいかあと思いながら、ポテトチップスの袋を開けた。  ボリボリ食べて、大理石のテーブルに飛び散るカスを指先で押さえて舐める。行儀悪いが、見とがめる人はいない。  ふと、窓の外を眺める。 「空が青いなあ」  あたかもこの世界にボクしかないような気になった。  大学にいかず、働きもせず、ボクが一人暮らしを続けられる理由は、亡くなった両親の莫大な遺産のお陰である。  両親は列車事故で亡くなった。  高額な賠償金と保険金に加えて、会社経営をしていた父の遺産が億単位で唯一の相続人であるボクに転がり込んできた。  しかも、会社は黒字経営だったので高値で売れた。  後を継ぐ気はさらさらない。ボクが考えたいことは、死についてのみだから。  それでボクの銀行口座はとんでもないことになっていて、こうして何もしないでも生きていられる。  何もしないから、お金も減らない。  相続した家は、一人暮らしには勿体ない豪邸だ。  売るつもりはないのに、不動産屋がたまにやってきて売ってくれと言われる。それをいつもインターホン越しに断っている。  ボクに接触してくるのは、不動産屋、銀行員、証券会社に限っていた。  金融屋は、『資産運用しませんか』と営業にやってくるが、もちろん全部インターホン越しに断る。  資産運用など、死にたいボクには全く必要ないものだ。お金を増やすことに、なんの意味も見いだせない。
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