死にたいボクが探偵になったわけ

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 思い返してみても、誰かと接触することはここ数か月ほぼなかった。 「知らず知らずのうちに感染しない行動をとっていたのだから、先見の明があったのかもしれないな」などと自虐的な悦に入っていると、インターホンが鳴った。 「一体誰だ? 世の中がこんな時にくるなんて、外を歩いてうっかりウィルスに感染でもしたらどうするんだ」  バカの顔を見てやろうとモニター画面を覗くと、見慣れた顔があった。  切り揃えられていないただの無精ヒゲのような顎ヒゲを10センチほど伸ばし、ボサボサに伸びた髪を無造作にかき上げる男。彫は浅いが整った顔立ちのその顔を、ボクは見間違えたりしない。 「カゲハル!」  週刊誌を放り投げると、急いで玄関に向かった。  開けた玄関ドアの向こうには、久しぶりに見た親友の懐かしい笑顔。 「よう、久しぶりだな。元気だったか? まだ生きていて良かったよ」 「いつ帰ったんだ。よく来てくれた。まあ、入れや」 「ああ、遠慮はしないよ」  彼とは幼稚園から高校まで一緒だったが、卒業後に何を思ったのか戦場カメラマンになると宣言して日本を飛び出していた。  帰国したその足でここに来たのか、航空会社のタグが付いた大きなリュックを背負っていた。  カーキ色のボリュームを抑えたダウンジャケットは、ところどころ汚れて擦り切れている。黒ズボンはボロボロで、セーターの首回りが伸びている。編み上げのショートブーツは泥だらけで元の色が分からない。  昔はもう少しお洒落に気を遣っていたと思うのだが、今日は見る影もない。 (ああ、むさ苦しい)  同時に、彼が羨ましくもある。  むさ苦しさの源はエネルギーだ。  カゲハルは、すべてがエネルギッシュ。エネルギーが有り余って爆発寸前。  そうでなければ、戦場カメラマンなどにはならないだろう。  戦場カメラマンは紛争地帯を回る。この姿は、過酷な旅をしてきたという証明だ。  死にたいボクが安全な日本にいて、自分の死をまったく考えていない親友が危険な生活を選んでいる。これもまた皮肉なことだ。  ともあれ、お互いに元気な顔で再会できたことは喜ばしい。 「荷物をここに置いていいか?」  カゲハルは、かつてこの家に週10回は来ていた。朝に来て、夜も来た。土日も来た。  どこに何があるか全部知っているし、もともと無遠慮。それなのにボクに許可を取るなんて、さすがに諸外国を放浪して遠慮が身に着いたのか。 「好きにしろ」  ドスンと荷物を玄関先に置くと、カゲハルは大きく伸びをした。 「ああー、重かった!」  ブーツを脱ぐと、湯気が出そうなボロボロの靴下を履いている。むさ苦しいことこの上ない。 「やはり日本はいいな。空気が馴染むよ」 「何か食べるか?」 「そうだな。なんでもいいや」  一緒に部屋に行くと、さっき開けたばかりのポテトチップスとキウイとマスカットの炭酸ジュースを渡した。 「サンキュ」  ソファに腰を下ろしたカゲハルは、ジュースを一気に飲み干した。  もっと味わってのめよと思う。 「ああ、この味。いいね。サッパリ飲める」 「外国には売っていないのか?」 「あっちは種類が少ない。コーラか炭酸水かファンタの定番だけ」  常に新製品が出る日本とは違うのだと言う。 「戦場カメラマンって、過酷な仕事なんだろ?」 「それを上回るやりがいがあるからな」 「やりがいかあ……」  ボクには無縁な言葉だ。  なぜ、カゲハルはやりがいを見つけられたのだろうか。  そもそも、やりがいとは何なのか。それすらボクには不明だ。  カゲハルは戦争の犠牲者となる弱者の現状を世界に伝えて救いたいという理念で動いているのだろう。  それはつまり、名前も顔も知らない他者のために行動することで、彼に言わせれば、『人生とは、誰かのために生きることに他ならない』と、自分のために生きて死にたいボクにたびたび言った。  別にボクを非難するとか否定するとかじゃなく、彼が純粋にそう考えているだけで、その証拠にこうして一番にボクのところにやってきてくれる。  いろいろと強引なところはあるが、彼がわがままだというのは間違っている。善意の押し付けでもない。ただ、ボクを心配してくれているだけなんだ。  だからボクはカゲハルを嫌いではない。むしろ憧れて尊敬している。
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