さよなら ムーン

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「気が付いたかい? ボクが仕掛けた罠に」 「もしかして、カゲハルのこと?」 「その通り」 「カゲハルは実在しなかったのね」 「ああ、そうだ」 「なぜ、そんな嘘を?」 「それは、キーワードだ」 「キーワード?」 「君を特定するためのキーワード。君はすぐに名前と身分を変えて潜伏してしまう。そこで、『カゲハル』を知る女がいれば、それがリスということになるだろう? ああっと、イトコのコイトだけは除外する。彼女には真実味を与えるために話していた。でも、彼女は名前以外何も知らない。聞きに行って空振りだったろ」 「そこまで念入りに騙したのね」 「君はカゲハルを消そうと所在を捜すだろうと考えた。その間にこちらは君の情報を得られる。つまり、時間稼ぎだ」 「すっかり泳がされたって訳ね」 「狙い通り、君はいもしないカゲハルを探してあちこちに出没してくれた。そのお陰でここも分かった」 「ストーカーとしてあなたを警察に訴える。さっきの暴行の証拠もあるのよ」  リスは、自分の犯罪が警察に見破られることはないと高を括っていた。  トキオは、ポケットからICレコーダーを取り出した。 「ここに君の証言が録音されている」 「証言?」 「バーで漏らした一言だ」 「あ、まさか……」  バーで、リスは『始末した』とつい漏らしていた。そのあと、トキオは愉快そうに笑った。  確たる証言を録音できて、勝利を確信した笑いだったのだと気づく。 「少なくとも、ボクへの殺人未遂で警察には動いてもらえる。その中で、ボクが掴んだ数々の事件を解決する証拠を提出すれば、君は死ぬまで塀の外に出られないだろう」 「ク……」  リスは唇を噛んだ。 「おやおや、綺麗な唇に傷がつくよ」 「海の中からどうやって助かったの? あなたは催眠スプレーで寝ていたはず」 「あれは、協力者が助けてくれた」 「天立社長?」 「まさか。辛川智春さ」  夢子に殺されそうになってトキオに命を救われたちっくん。義理堅い彼は、トキオの協力者となった。 「複数で遠くからボクを護衛していてくれた。彼の仲間に泳ぎの得意なメンバーがいて、ボクが海につき落とされた時、すかさず飛び込んで助けてくれたんだ。君は車を落とすのに夢中だったから、何にも気付かなかったね」 「あいつが……」 「ああ、そう言えば、夢子と門脇素早は君が手を下たんだろう。一体何人殺してきたのか。シリアルキラーの戸板了二も真っ青だな。あいつでさえ、月の裏側には一目置いていたよ」 「つまり、全部知っていたということね」 「ああ」  トキオがリスに顔を最接近させた。リスは顔を仰け反らす。 「ボクの彼氏役は満足できたかい? それとも物足りなかった? それだったら申し訳ない。恥ずかしながら、それほど経験豊富ではないのでね。しかし、君はいつだって素晴らしかった。ボクと会う時はセクシーファッションで決めた、アンニュイな香り漂う都会の女。時に地味な介護ヘルパー。時にロシアの美しいジャーナリスト。時に真面目なノンフィクションライター。君は百の仮面を持つ女だ」 「ク……」 「ここで君に手を出そうとは考えていない。ボクは君とは違う。一緒に警察へ行こう。君は数々の殺人罪、殺人未遂罪、共謀罪。ボクは不法侵入罪」  罪の重さが違い過ぎる。  リスは、ナイフに手を伸ばして掴むとトキオの首筋に当てた。
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