78人が本棚に入れています
本棚に追加
「気が付いたかい? ボクが仕掛けた罠に」
「もしかして、カゲハルのこと?」
「その通り」
「カゲハルは実在しなかったのね」
「ああ、そうだ」
「なぜ、そんな嘘を?」
「それは、キーワードだ」
「キーワード?」
「君を特定するためのキーワード。君はすぐに名前と身分を変えて潜伏してしまう。そこで、『カゲハル』を知る女がいれば、それがリスということになるだろう? ああっと、イトコのコイトだけは除外する。彼女には真実味を与えるために話していた。でも、彼女は名前以外何も知らない。聞きに行って空振りだったろ」
「そこまで念入りに騙したのね」
「君はカゲハルを消そうと所在を捜すだろうと考えた。その間にこちらは君の情報を得られる。つまり、時間稼ぎだ」
「すっかり泳がされたって訳ね」
「狙い通り、君はいもしないカゲハルを探してあちこちに出没してくれた。そのお陰でここも分かった」
「ストーカーとしてあなたを警察に訴える。さっきの暴行の証拠もあるのよ」
リスは、自分の犯罪が警察に見破られることはないと高を括っていた。
トキオは、ポケットからICレコーダーを取り出した。
「ここに君の証言が録音されている」
「証言?」
「バーで漏らした一言だ」
「あ、まさか……」
バーで、リスは『始末した』とつい漏らしていた。そのあと、トキオは愉快そうに笑った。
確たる証言を録音できて、勝利を確信した笑いだったのだと気づく。
「少なくとも、ボクへの殺人未遂で警察には動いてもらえる。その中で、ボクが掴んだ数々の事件を解決する証拠を提出すれば、君は死ぬまで塀の外に出られないだろう」
「ク……」
リスは唇を噛んだ。
「おやおや、綺麗な唇に傷がつくよ」
「海の中からどうやって助かったの? あなたは催眠スプレーで寝ていたはず」
「あれは、協力者が助けてくれた」
「天立社長?」
「まさか。辛川智春さ」
夢子に殺されそうになってトキオに命を救われたちっくん。義理堅い彼は、トキオの協力者となった。
「複数で遠くからボクを護衛していてくれた。彼の仲間に泳ぎの得意なメンバーがいて、ボクが海につき落とされた時、すかさず飛び込んで助けてくれたんだ。君は車を落とすのに夢中だったから、何にも気付かなかったね」
「あいつが……」
「ああ、そう言えば、夢子と門脇素早は君が手を下たんだろう。一体何人殺してきたのか。シリアルキラーの戸板了二も真っ青だな。あいつでさえ、月の裏側には一目置いていたよ」
「つまり、全部知っていたということね」
「ああ」
トキオがリスに顔を最接近させた。リスは顔を仰け反らす。
「ボクの彼氏役は満足できたかい? それとも物足りなかった? それだったら申し訳ない。恥ずかしながら、それほど経験豊富ではないのでね。しかし、君はいつだって素晴らしかった。ボクと会う時はセクシーファッションで決めた、アンニュイな香り漂う都会の女。時に地味な介護ヘルパー。時にロシアの美しいジャーナリスト。時に真面目なノンフィクションライター。君は百の仮面を持つ女だ」
「ク……」
「ここで君に手を出そうとは考えていない。ボクは君とは違う。一緒に警察へ行こう。君は数々の殺人罪、殺人未遂罪、共謀罪。ボクは不法侵入罪」
罪の重さが違い過ぎる。
リスは、ナイフに手を伸ばして掴むとトキオの首筋に当てた。
最初のコメントを投稿しよう!