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高校を卒業して10年の月日が流れた。
今、俺はとある住宅の前にいる。これから結婚を考えている彼女の両親と初めて会う。緊張した面持ちで玄関に入った。
「さぁどうぞ」
彼女の母親はにこやかな笑顔で迎え入れてくれた。しかしその先には最大の難関が待ち受けていた。
「お父さん、彼が来ましたよ」
「ああ」
仁王像のようないで立ちで腕組みをしている男……彼女の父親がそこにいた。
通されたリビングで俺は、ペットショップから連れてこられたばかりの子犬のように小さくなっていた。
「まぁ甘い物でも食べて」
彼女の母親が紅茶と一緒に目の前に置いたものに驚いた。
あいつだ。10年ぶりの再会だった。まさかここでお前に遭遇するとは。お前はどこまでも『疫病神』だな。この場面に現れてどんな試練を与えようとしているんだ。
驚いている俺に彼女の母親は言った。
「お父さんは、食品を製造する会社で働いているのよ、中でもこのプリンはね、お父さんが開発した自信作。今でも学校の給食に使われているの。あなたも食べたことあるでしょ」
あるというべきか、正直にないというべきか悩んだ末、曖昧に頷いて「ええ、とても美味しいですよね」とありきたりな返事をした。
すると母親の隣でずっと口を閉ざしていた父親が徐に言った。
「これは店頭では売っていないんだ。懐かしいだろう。昔わざわざこれを食べたいからどこで売っているのかと、電話をかけてきた中学生がいたんだ。名前を聞いたら電話を切られたけれどな」
「はぁ」
『その電話は俺です』とは言えなかった。
今まで食べられなかった経緯をうまく説明できる自信がなかった。
「このプリンの名前はあるんですか」
曖昧な笑顔を浮かべたまま、聞いてみた。
「そうだな、正式名称は『あまくてとろけるプリン』だが、私は『姫』と勝手に呼んでいたよ。これができるまでに、かなりの試行錯誤を重ねたんだ。商品化できた時は心から喜んだ。まるで自分の子供のようだったよ」
父親は心なしか嬉しそうに話していた。
その話を聞きながら、中学生の時に食べられなかったのは、これが原因かと妙に納得した。なるほど、将来『娘さんと結婚させてください』と言う俺には、彼が作った『姫』が食べられないように呪いが掛けられていたんだ。
しかし、ついにこの日が来たと思ったその時だった。
「これを食べる前に」
プリンの容器を持ち、ビニールの蓋をはがそうとした時、父親が言った。俺はビニールの蓋からそっと手から離した。そしてプリンの容器を机の上に戻した。そばでは彼女が心配そうに俺を見ている。
目の前にいる半透明の容器に入ったこいつの姿が彼女の姿と重なった。
お前も心配しているのか。これから俺に起こる事について。ずっと敵だと思っていた。『疫病神』なんて言っていたけれど、お前は俺の味方だよな。心の中でプリンに話しかけた。
「君に一つ聞きたいことがある。」
「はい」
「君は娘を幸せにできるのか、君の覚悟を聞きたい」
視界の端に映っているプリンが少し遠くに動いた気がした。いや、それは気のせいなのだが。
俺は一呼吸おいて言った。
「俺は何があっても娘さんを大事にします。これから喧嘩をすることもあるとは思います。それでも彼女を幸せにしたいし、二人で幸せになります。こんな俺で不安でしょうが、精いっぱい二人で幸せな家庭を作ります。どうかよろしくお願いします」
頭を下げたと同時に、低い声が降って来た。
「そうか、それを聞いて安心した。こんな娘だが、こちらこそどうぞよろしくお願いします」
そう言って父親も深々と頭を下げた。
「さぁさぁ、そろそろ食べましょうよ」
緊張感に包まれた空気を和らげるように彼女の母親は言った。
俺は丁寧にビニールの蓋を取り、スプーンでプリンを掬った。
「いただきます」
口の中に入ったプリンは柔らかい甘さを残したまま喉を通り抜けて、ストンと胃に落ちた。それは俺が今まで食べたどんなスイーツよりも美味しかった。
「美味しい」
そう呟くと、プリンが腹の中で笑った気がした。
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