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撮影が円滑に進み、予定通り夕方の4時には本日分の撮影が全て終了した。
スペインの街並みはアスファルトからビルのてっぺんまでが温かい真っ赤な夕陽の光に包み込まれていて、とても綺麗だった。
「はい、今日の予定全て終了!解散してもいいよ~お疲れ様!」
監督が嬉しそうに両手をパンパンと叩くと、キャストも制作陣も皆各々に帰り支度をし始めた。
――よし、あと2時間…!
馳せる気持ちに身を委ね、俺は誰よりも早く着替えを済ませ、荷物をまとめ現場を出る準備を終わらせた。
俺はよっぽど忙しなく動いていたのだろう、片づけの最中に監督がこちらを見てケラケラと笑っていた。
お疲れさまでした、と現場を去ろうとしたその時だった。ズボンのポケットの中でメールの受信を知らせるバイブが振動した。鳴っていたのは仕事用のスマートフォンの方だった。
どうせまた監督の悪戯だろう。
鼻先で笑いスマートフォンの画面を見ると、メールは監督からではなく鮎川からのものだった。この後のことだろうか。もし行けなくなったという旨の連絡だったら…等々、色々な考えが次々に頭の中をかき乱した。
急いで内容を確認すると、件名は無く、本文に「Tシャツ」とたった4つの文字が並んでいるだけだった。俺は安堵のため息を漏らした。しかしメールの意図が分からず首を傾げていると、後ろからきゃはは、と鮎川が駆け寄ってきた。
「アユちゃん、なに笑ってんの。んで、何このメールは。Tシャツって…何かの暗号なの?」
そう言うと、鮎川の笑い声のトーンが一際高くなった。
「違いますよ!宇治さん、本当に気付いてないんだ」
ついには涙まで瞳に潤ませるほど、鮎川は笑い転げた。
笑いの原因がどうやら俺にある、ということは容易く分かった。けれど、何がそんなに可笑しいのかまでは俺には把握できなかった。
俺も鮎川に合わせて笑うべきか迷い戸惑っていると、彼女は背伸びをして俺の着ているTシャツの首元をギュッと引っ張った。
「宇治さん…ここからタグが出てる!Tシャツ裏表になってますよ…!」
「え!?…うわ、ホントだ!!」
途端に、体中が熱を帯び始めた。恥ずかしい。
俺は恥ずかしさのあまり、鮎川から顔をぷいっと背けた。そんな俺が余程面白かったのだろう。彼女は俺の顔を追いかけるように覗き込んできた。
「そんなに急いでくださらなくても、私なら逃げませんよ?」
くすくす、と肩を震わせ鮎川は俺のTシャツから手を離した。
余裕そうな彼女の様子とは裏腹に、俺の心臓は彼女の言葉に反応し鼓動を速めた。
狡い。本当に狡い。
どうして平気でそんな言葉が言えるのだろうか。いや、言葉だけではない。彼女の言動、存在、すべてが狡い。
俺は先程の彼女の松川とのじゃれ合いを思い出し、悶々とし始める感情に更に火が付いた。
「逃がすもんか」
半分冗談、半分本気の言葉が胸の内をさらけ出すようにして口を衝いて出た。ほとんど呼吸をするような感覚で出た言葉に自分でも驚く。
鮎川もそうだったのだろう。一瞬目を真ん丸に見開いた。…かと思うと、すぐにまたまた~と切り替え、俺の上腕をバシバシと勢いよく叩いた。
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