Episode 3

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Episode 3

――2018年 7月10日(火)――  いよいよスタジオ撮影初日を迎えた。別宅に籠るようになってからは、恐ろしいほど演技の稽古に身が入った。  今までの自分が偽物の自分だったのではないかと思ってしまうぐらいに、今の自分は解放感ややる気に満ち溢れている。  それもそのはず。自分に(まと)わりつく(しがらみ)という柵…その一切を振り切ってしまったのだから。  ――あとはここに彼女を呼べたら…  情けないほどに頬を綻ばせ、そう考えながら鮎川と久しぶりに会える喜びを切に噛みしめていた。  家を後にし、マネージャーの運転する車に揺られること30分。俺は、これから長期に渡って撮影を行っていく現場に入った。  楽屋に荷物を置き、メイクに着替え、全てを済ませスタジオへと足を運んだ。向かっている最中に、鮎川と鉢合わせないかと少し期待に胸を躍らせていたが、そこで彼女に会うことは無かった。  肩を落としながら正面に(そび)え立つ重い扉をこじ開け、スタジオの中に入ると、そこには当然ながら鮎川の姿があった。  ――やつれている…!!  遠目から見ても分かってしまうくらいに、彼女はやせ細っていた。元々から小柄な彼女が一層小さく見えた。 「おはよう」  居ても立ってもいられず、現場にいたスタッフや監督、撮影陣…その誰よりも先に鮎川に駆け寄り挨拶をした。今の自分の瞳には、彼女以外のものは全く映らなかった。  とにかく、やっと会えた。  そう喜んでいるのも、ほんの束の間だった。 「…おはようございます」  鮎川は俺とは目すら合わそうともせず挨拶を済ませると、スッと俺に背を向けた。  前々から彼女がそれとなく俺を避けていたのは、言うまでもない。既に分かっていたことだ。…しかし、心のどこかで、それは自分の思い過ごしだと思いたかったのだ。  それが今日、決して自分の勘違いなんかではなかったということを彼女の沈んだ瞳が明らかにした。 「ちょ、ちょっと…アユちゃん…!!」 「…なんですか」  去っていく鮎川を慌てて引き留めるも、彼女の表情は変わらない。 「俺…何か気の障るようなことしたかな?」  周りのスタッフ全員の視線が俺たちに刺さっている。けれどもう、そんなことを気にしている余裕なんてなかった。  本当に自分には何の心当たりも無かったのだ。自分に非があるのなら改善し、すぐにでも彼女との関係を修復したい…その一心だった。  ――しかし、鮎川に俺の気持ちは届かなかった。 「ごめんなさい」  静かな声でそう言うと、彼女はぺこりと頭を下げ、俺から離れていった。
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