Episode 3

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 心を落ち着かせ、何とか本日分の収録を終えた。  衣装の皮ジャケットを脱ぎ()て、映画用カメラの隣に丁寧に並べられているパイプ椅子達のうちの一つに腰かけ、差し入れのキンキンに冷えたアイスコーヒーを一気に飲み干した。 「よぉ~樹!」  するといつの間にか、ディレクターの都築(つづき) (あきら)が俺の隣に座り、ヒョイッと顔を覗き込んできた。彼はこの業界の中でも、最も親交の深いディレクターで、俺にとってはほとんど親友かつ兄のような存在だ。 「晃か、お疲れ様」 「おう、おつおつ!…それはそうと、お前なんか今日変だったな。大丈夫か?」 「ああ…まあ色々あったんだ」 「ん~…そっかそっか」  俺がそれとなく言葉を濁すと、都築はそれ以上のことは何も聞いてこなかった。たとえ仲が良くても、俺たちはあくまで俳優とディレクターの間柄。そういう距離感をきちんと把握し、その関係を大切にしてくれる。彼のそんなところが俺は好きだ。 「まあ、人間だもんな。そういう日もあるよな」 「まあな」 「何があったかは知らんけどさ、ま~無理すんなよ!色々落ち着いたら飲みにでも行こうぜ!たまには奢ってやるよ!」 「ハハッ、お前言ったな?…覚えておくよ、ありがとう。必ず行こう――」  都築と話していると、疲れていることも忘れてしまう。彼なりの配慮なのだろう、今日は彼の失敗談や今日起こったハプニングなどを少し大袈裟に誇張して、面白おかしく話してくれた。  そんな感じで暫く都築と話をしていると、ふと俺の視界に鮎川の姿が飛び込んできた。どうやら今日はもう帰るようで、制作陣に挨拶をして回っているらしい。 「宇治さん、都築ディレクター」  最後に、鮎川は俺たちのいる方へ挨拶をしにやって来た。彼女は軽く頭を下げると、作ったような笑みを口元に浮かべた。 「お疲れ様でした。お先に失礼します」 「よっ鮎川ちゃん!!お疲れ様、今日も最高に可愛かったぞっ」  俺の気持ちなど一切知らない都築は、鮎川にグータッチを求め、やんややんやと彼女を(はや)し立てた。 「もう!いやだな~都築D!本当に口がお上手なんだから!…それじゃあ、失礼しますね」  都築の調子に合わせるも、鮎川は俺が挨拶をする間も与えず、そそくさと俺たちのいるブースから遠ざかっていき、スタジオを後にしようとした。  ――なんだよ、俺は除け者扱いかよ…  再び悲しくなって大きくため息を吐き、俯いた。  その時だった。  ――「唯音(いと)」  遠くから誰かが鮎川を呼ぶ声がした。咄嗟に声が聞こえた方へと振り向くと、そこには着替えを全て済ませた松川が彼女の方へと歩み寄る姿があった。  ――下の名前で呼んでいる。  まさか…  真夏であるにもかかわらず、悪寒がした。途端に嫌な脂汗が全身から噴き出し、止まらなくなった。 「お待たせ、帰ろうか」  そう言うと、松川は平然と鮎川の腰に手を回し、二人はスタジオから姿を消した。  ――嘘だろ…有り得ない…  サーッと血の気が引くような感覚に見舞われ、眩暈がした。  …俺が一番恐れていた事態が起こってしまったらしい。 「お…?なんだアイツら…付き合ってんのか?」  俺が思っても口には出さなかったことを、都築がさも(たの)しそうに口走る。 「でもさ、どう考えても鮎川ちゃん、松川には勿体ねーよな~!意外と趣味悪いね~彼女。思わないか樹…」 「…晃、悪い。俺も帰るわ」 「え?…おい、待てよ!まだ話が…」  俺はそれ以上都築の話を聞いていられなくなり、スタジオを一気に飛び出した。
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