Episode 3

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 俺はマネージャーの車には乗らず、やっとの思いで一人で家に帰った。  誰もいないがらんどうのリビング。そのスペースをデカデカと陣取るダブルソファ目掛けて、俺は思いっきりダイブした。顔を突っ伏してしまえば、今にも泣いてしまいそうだった。  …泣いてたまるか。俺は仰向けに寝転び、天を仰いだ。  ――どうして…なんでよりによってアイツなんだ…!  なんとなく、鮎川に弄ばれ、(うつつ)を抜かしている隙に松川に一本取られたような…そんな気がしてならなかった。別に、俺は鮎川と付き合った訳ではないし、何なら俺は既婚者だ。俺の方が鮎川のことを(たぶら)かしてしまっていたのかもしれない…    やっぱり俺に落ち度があったのか?  それでも…  ――あの日、俺に言ったよな…?鮎川… ~  あの日。二人でスペインのBARへ行った時の事だ。  BARで会計を済ませ店を出た俺たちは、へべれけになってホテルまでの道のりを歩いていた。あれこれと話をしているうちに、いつの間にか鮎川と最初に落ち合った河川にかかる煉瓦(れんが)造りの橋の真ん中辺りにまで辿り着いていた。 「宇治さん宇治さん~」  随分酔っ払った口調で鮎川が俺を呼ぶと、ぴたりと彼女はホテルへと向かう足を止めた。 「ん?どしたの」  俺も彼女に合わせて足を止めた。 「あっという間だったなぁ~…楽しかった。今日は本っっ当に楽しかった…宇治さんは?」 「え?お、俺?…もちろん楽しかったよ?」 「ホントですか?…んふふ、それなら良かったぁ」  そう言うと、鮎川は橋の手すりにそっと顔を伏せた。夜風に長い髪を(なび)かせ、どこか切なげな表情を浮かべた彼女の横顔がスペインの夜景にスッと溶け込む。その姿は、息を呑むほど美しかった。  そしてこの時の彼女は、少しでも触れれば消えてしまいそうな…どこか儚いオーラを纏っていた。 「どうしたの、急にそんなこと聞いて」 「ううん、別に何でもないんです…ただ、宇治さんも私と同じ気持ちだったらいいな~って思っただけ」  刹那、鮎川の瞳が揺れた。    何か、大切なことを俺に隠しているような…そんな目をしていた。 「今日が終わらなければいいのに…」  鮎川はどこか遠くを見つめながら、突然そんなことを呟いた。  思いもしない言葉に驚いた俺は、夜空を見上げている鮎川をじっと見つめた。  すると、鮎川は目にほんの少し涙を溜めて、笑った。  「宇治さんが、私の恋人だったらなぁ――」 「…え?」  一瞬、聞き間違いかと思った。しかし、鮎川は確かにそう言った。  俺がもう一度聞き直そうと口を開くと、それと同時に彼女は俺の方へ向き直した。 「…なんてね。明日も早いですし、もう帰りましょうか!」 「え…あ、うん…まあ、そうだね…」 「…よしっ!じゃあ~歌でも歌いますかっ!…ねっ!」  先程の言葉を無かったことにしたいとでも思ったのだろうか。鮎川は前言を誤魔化すかのように、慌てて俺の肩を組み、陽気に歌い始めた。  俺が恋人だったら…か。  たとえその言葉が冗談から出たものであっても、本気のものでも、どちらにしても俺は嬉しくて天にも昇れそうな気持ちでいっぱいだった。俺はそれ以上は何も聞かず、一生懸命になって歌う彼女に合わせて俺も負けじと大きな声で歌った――――  やっぱりあの時の言葉は、軽い気持ちから出た冗談だったのだろうか。  少しでも本気になった俺が馬鹿だったのだろうか――――
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