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目を覚ますと、俺はソファの上に寝転がった状態のままだった。どうやらあのまま眠ってしまっていたらしい。いつの間にか完全に陽が落ちて、辺りはもうすっかり真っ暗になっていた。
もう21時か…
夕食を取る気には到底なれず、真っ暗闇の中俺はぼうっと天井を見上げた。暗い所にいると余計なことを考え込みすぎてしまい、なかなか気が鎮まらない。
とりあえず灯りを点けようと立ち上がると、ズボンのポケットの中で、私用の携帯電話がバイブでブーブーと音を立てて振動を始めた。着信が入ったようだ。部屋の照明をつけ、発信元を確認すると、長らく連絡を取っていなかった母からの電話だった。
…これから何を言われるのかは、大体察しがつく。
「もしもし、母さん?何?」
気怠さを抱えたまま電話に出ると、受話口から母親の大きな声がノイズのように耳に入ってきた。
「樹!?あんた今何やってんの!!鳴海さんから連絡貰ったわよ!家に帰ってないんだって!?」
…ほら来た。
どうせ鳴海は自分の都合の良いように母親に話をしたのだろう。
俺は電話を耳元から少し遠ざけ、ため息を一つ吐いた。
「ああ、帰ってないよ。今忙しいんだよ」
「忙しいのは元からでしょう!?何日も自分の奥さんをほったらかしにするなんて…鳴海さんの気持ちも少しは考えたらどうなの!!」
奥さん奥さんって…別に俺が決めた相手じゃないのに。
俺の考えがひねくれていることは分かっている。結婚当初からそうだった。それでもやっぱり今この状況で、鳴海を自分の「奥さん」だと完全に思い切ることなんてできなかった。
…だけど、うちの母親には何を言ったって無駄だろう。きっとこのまま言い訳を重ねたところで、ここに顔を出しに来て、あっちに戻るようしつこく迫られるだけだ。
「あんた、一回ちゃんと帰って鳴海さんに心配かけないようにしなさいよ!わかった!?」
「…ああ、もう。わかったよ。帰る帰る、それじゃあね」
「あ、ちょっと!樹――…」
適当に本家へ帰ることを仄めかし、俺は一方的に電話を切った。
「くそっ!!」
途端に感情が昂り、俺は先程まで寝転がっていたソファの上に携帯電話を思いっきり投げつけた。
するとその音に驚いたのか、奥の部屋で眠っていたぼんじりが目を覚まし俺の元へスタスタと足音を立てて駆け寄ってきた。
「ぼんじり…俺どうすればいいのかな」
悔しさ、虚しさ、寂しさ、そして憤り…
そのすべての感情が一筋の涙となって頬を流れ落ちた。次々と溢れ出す涙を、ぼんじりが大丈夫だよと言わんばかりに舐め尽くす。
暫くするとそのくすぐったさに心地良さを感じ、俺は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
…帰ろう。
ここに居たって、俺がどんどん腐っていくだけだ。
今すぐには無理だとしても、鮎川への思いも少しずつ、鳴海へ注いでいけばいい。それが例え「形だけ」の愛だとしても。
何だ、これくらいの事。朝飯前だろう。
だって、俺は一流の俳優なのだから――――
「ぼんじり、ごめんな。また少しの間お別れだ」
俺はぼんじりの頭をよしよしと優しく撫で回し、ゆっくりと立ち上がった。
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