Episode 1

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♢  マネージャーと雑談をしながら車に乗ること約2時間。俺は、実和監督からメールで指示された高層ビル群の一角にあるオフィスタワーの駐車場に車を停めた。  実和監督のことだから、バーでお酒でも飲みながらラフな雰囲気で打ち合わせをするのだろうと呑気に考えていたが、どうやらそうではないらしい。車から降り、一旦マネージャーと別れてエレベーターホールへ向かうと、何やら高尚な雰囲気が漂っていた。  どこからか流れてくるヴァイオリンが奏でる美しいクラシック音楽の調べ、大理石で埋め尽くされたピカピカのフロア、そして極めつけは天井のドデカいシャンデリア。  ――なんでまたこんな所を打ち合わせ場所に選んだんだよ…  実和監督曰く、アマチュア俳優のタグが剥がれ、ものの数年ですっかりベテラン俳優のタグに張り替えられた俺。だがしかし、映画やドラマの打ち合わせにこのような高級感溢れる建物に呼び出されることなんて初めてだった。  彼女の気分だったのだろうか。俺はとにかく緊張していた。  実和監督には「午前11時ごろに来て」と伝えられていたが、なんだか妙な胸騒ぎがして俺は指定された時間よりも40分も早く会場に到着してしまった。彼女にその旨をメールで連絡すると、ものの数分で返事が返ってきた。会場がまだ開いていないらしく、あと15分だけ待ってもらえないかということだった。  仕方がないので、会場をうろうろと歩き目に留まった喫煙所で一服することにした。電子タバコが流行し始めているこのご時世だが、スマートフォンすらうまく使いこなせないアナログな俺は勿論、ノーマルな巻き煙草を嗜んでいる。  スーツの内側ポケットからシガレットケースを取り出し、煙草に火を点けた。ジッポーからゆらゆらと灯る炎をまじまじと眺めながら、俺は昨日の実和監督の言葉を反芻していた。  ――「今回のオファーはマジで案件だよ」  あれは頑なにオファーを断った俺を惹きつけるための罠だったのかもしれない。けれど、彼女の言葉にはどこか重みがあったのだ。  きっと、かなりの最高傑作ができあがったのだろう。そう考えると、演じる役者として、またそれを鑑賞する観客としても俺はいつの間にか楽しみになってきていた。  煙草を一本吸い終わったところで、ちょうど監督から「もう入って来ていいよ」と連絡が入った。  吸殻を備え付けの灰皿に擦り、ポイッと放り捨て俺は再びエレベーターホールへと向かった。  
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