1 最適な環境

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  「……そんなしょげんなよ。進藤の一番の願望が叶ったと思ったら夢でしたなんてオチ、これでもう五回目だろ?いい加減慣れろよ……」 ため息交じりの慰めに、黙ってうなずく。呆れの含んだ眼差しがダイニングテーブル越しに投げかけられるのは感じていたが、返す言葉もない。第一こんなことで呆れつつも慰めの言葉を毎回言ってくれる友人は大分優しい人間だろう。 「ほら、さ。正夢かもしれないだろ。希望を持てって……」 訂正。確実に優しい人間だった。 「……おかしいとは思ったんだ。カブトムシやスズメバチが活発になる時期はもっと後だし、オオムラサキにいたっては五月の今はまだ幼虫だったから。あり得ない…あり得ないとはわかっていたんだ…」 「お、おう……」 「何より変だったのは彼らが俺と同じくらいの大きさだったことだな」 「化けモンじゃねぇかそれ。写真撮ってないで逃げろよ」 「俺の夢が目の前に形となって現れたら逃げるわけないだろ。鈴宮だってもっふもふの巨大猫がいたら抱きつくんじゃないか」 「巨大って……大きさはどんくらいだよ」 「鈴宮くらい」 「逃げるわ。虎に抱きつくなんて自殺行為だからな。猫はあの大きさだからいいんだよ」 「夢の小さいやつめ」 「夢と大きさは関係ないだろ。……ほら、機嫌が直ったらさっさと朝飯食って支度しろよ」 ぐだぐだとした会話は打ち切られ、向かいに座る鈴宮が椅子を引いて立ち上がる。自分が椅子に座っている分余計に上から降ってくる片づけろよ、の声に軽く返事をしてあまり進んでいなかった朝食に箸を伸ばす。 サラダに入っていた新鮮なレタスの食感を噛みしめつつ、ずっとつけっぱなしにしているテレビでニュースキャスターのお姉さんが爽やかに挨拶するのを横目に流し見る。 『おはようございます。五月十日、七時のニュースをお伝えします……』 五月。若葉が生い茂り気温も上がってきた。少しずつ移り変わっていく景色に時間の経過を感じる。この学園に来てすでに一ヶ月が経っているのか、とどうでもいいことが頭をよぎる。 いや、まだ一ヶ月、と言うべきか。待ち望んでいる夏はまだもう少し先だ。 緑がもっとずっと濃くなって、日差しも痛いくらいになって、そうしたら。 虫だってたくさん出てくる。 「おい。ぼーっとしてんな」 「……あ、」 早く夏が来ないかなあ、とぼけっと考えていた。 この調子で当然手が進む訳がなく、いち早く身繕いを終えた同室者兼同級生兼友人の鈴宮にせっつかれるのも習慣となりつつある。 「……鈴宮は優しいなあ」 「そりゃどうも。進藤は早く夢が叶うといいな」 素っ気ないがなんやかんや恵まれた同室者だった。 「おまえと一緒に暮らせてすんごく嬉しいよ」 「……あんまり余所でそんなこと言うなよ」 「わかってるよ。おまえの同性のファンに余計恨まれるのは嫌だから。…人気者は大変だね」 「取って付けたように言うなよ……」 「だって人気者の苦労なんて知らないし。一般論としてそうなんだろうとは思うけど」 「じゃあ言わなくていいだろ」 「そうだね。なんとなく言ってみたかったんだ。ほんとは鈴宮がちっちゃい美少年たちに迫られるの見んのちょっと面白い」 「だろうと思った……」 一月前から通い始めた高校は男子が男子を追いかける変わった学園ではあったけれども、背の高いこの友人に比べるとあんまり被害はないので比較的どうでも良かった。 「準備したら出るぞ」 「うん。今日は靴箱にラブレター入ってないかなあ」 「やめろ変な予測すんな」 私立青嵐学園高等学校。 山奥に建てられた全寮制の名門学園では、ちょこちょこ変わったことが起こっている。 しかし、自分にはどうでもいいことだった。 同室者の鈴宮と寮を出ると、抜けるような青空が広がっていた。 そして目の前に広がる光景に自然と頬が上がる。 クヌギ、シイ、ナラの木々、その足下はふかふかとした腐葉土、ところどころに横たわるのは朽ち木だろう。 ここは、虫たちが過ごすのに最高で、最適な環境だった。それだけで良かった。 進藤夏夜、青嵐学園高等学校一年生。 この春入学した彼の夢は、オオムラサキとカブトムシとスズメバチの(出来ればクヌギの幹で)スリーショットである。 早い話、虫さえいればそれでいい高校生だった。 「あ。ムネアカアリだぁ……」 「ありんこにも出くわすたびに足を止めるな!まっすぐ前だけを見てろ!遅刻するぞ全く……」
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