1 最適な環境

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  「えー……今日から転校生が来る。仲良くするように」 担任の教師の面倒臭そうな声がクラスに波紋を落とした。 後になって考えれば、投げやりに放り込んだ小石みたいなこれが多分学園全体を揺らす前触れだったのだろうが、当然夏夜には全く興味のない事柄だった。 ざわりざわりとどんな奴が来るのかだのかっこいい人がいいだの好き勝手にさざめく同級生たちはどことなく降ってわいたイベントに浮ついているようだった。 夏夜は椅子を少し傾けて、五十音順で後ろに座る鈴宮に顔を向けた。 「この時期に転入生?変なタイミングだね」 「新学期始まって一月で転校してくるのは確かに珍しいな。けどまあ、ないこともないだろ」 「ふぅん……」 確かに珍しいがそれだけのことではある。鈴宮との会話をそこそこに、夏夜は椅子を戻して前に向き直った。教室の前では教師が転校生を呼び入れていた。 「おい、満。入れ」 「はい」 「──おやま」 転校したその日に名前で呼ばれるなど、よっぽど教師の気に入ったのだろうか。 続いて聞こえた返事も大きすぎず小さすぎず穏やかなもので、やや緊張した面持ちで教室に入ってきた姿は特筆すべき点はないように見えた。染めた様子のない焦げ茶色の髪も制服も清潔感があり崩した所もない。悪目立ちはしなさそうな容姿だった。 つまり至って普通の高校生である。 だが、それに反して対面した同級生らは不満があるのか、先ほどよりも低い囁きがぼそぼそと交わされる。 「……地味」 「あの須藤先生が名前を呼ぶなんて……どういうことだ」 随分とまあ率直な意見を言うものだ。夏夜としては変に派手でやかましいのが来た方が面倒だと思うのだが。風の噂によると何年か前にまさにそんな転校生がいたらしく、相当な騒ぎにまで発展したという。それに比べればかなり『当たり』の部類ではないか。 そもそも男の顔をそんなまじまじと見つめなくともいいだろうに。素敵なイケメンが現れなくてがっかりしている同級生たちだって結構整った顔立ちをしているのだから、近くに座った者同士見つめ合えばいいと思う。需要と供給がばっちり成り立ってかつエコだ。 「結城満といいます。中途半端な時期に来てクラスのみんなと足並みが揃いませんでしたでしたが、これからよろしくお願いします」 挨拶も当たり障りなく、まじめな印象だった。軽く頭を下げた転校生──結城にまばらな拍手が送られる。そこら辺の良識はあるクラスメイトだった。 担任教師が結城の肩に手を置いた。 「実は結城と俺は親戚筋でね。たまーに癖で名前の方を呼ぶ時があるが大目に見てくれ」 「え!」 今度は驚きの声が上がる。 なるほどそれで名前呼んだのか…と納得するのと、あまり似ていない…と目を丸くさせるのが半々。 担任の須藤は模範的な教師像の真逆をいく派手な格好をしている。明るいカラーの頭髪にがっつり開いたシャツの胸元と、どうにも夜のネオン街でお姉様方を喜ばせる職の人に見えて仕方がない上に、それらをごく自然に着こなしているのだからすごい。 親戚とだけ言っていたので血のつながりがないこともあり得るものの、その須藤と、言ってしまえば地味な結城が仲よさげにしているのは、ちぐはぐだが、結城が照れたようにしているのが少し微笑ましい。 「へー、意外」 須藤は見た目からして生徒との関わりをあまり持たないような気がしていた。 結城との関係性をクラスに伝えたのはいらない憶測をされるよりも身内であることをばらした方が結城にとって安全だと判断したのか。 方々で気を遣うくらいには結城のことを心配している須藤に案外子煩悩な一面を見た。親子ではないけど。 ……たかだか高校生活で身の安全を確保しなければいけない、というのも妙な話だ。 しかもこの場合の「身の安全」というのは暴力によるものだけではなく貞操等も含めた割とガチでヤバいパターンの奴である。若者言葉で失礼。 念のため確認すると青嵐学園高等学校は男子校である。ついでに幼年部、初等部、中等部もあるがそれらも全て男子のみという混じりっけなしの男子校だとも付け加えられる。同性しかいないというのに貞操って何だ貞操って。 要は成長期まっただ中の男子をひとところで純粋培養するとアラ不思議、近場にいる存在で欲求を満たすようになる、ということらしい。名家の子息も多数集うという名門校の内部ではこんなことになっているとは誰が予測出来るだろうか。 いや、中世あたりの修道院とか歴史的に見ても女人禁制の場での同性間での恋愛はあったようなので案外あり得ることなのかもしれない。が、いざ自分がそんな特殊環境にいるとなると話は別だ。エスカレーター式に幼少の頃から慣れている生徒はまだいい。夏夜や鈴宮のような高等部からの外部生にとっては異界にも等しい学校に入学してしまったことになる。 同性から「そういう目」で見られるのは当たり前。そんな未知の文化に触れた原始人のごとく困難は目の前に立ちふさがった。見目麗しい生徒にはアイドルさながらな親衛隊が結成されて守護対象者の邪魔をする存在に制裁する、とか。その実親衛隊のお眼鏡にかなわないだけで嫌がらせされている場合もある、とか。運の悪いことに(?)夏夜の同室者の鈴宮は麗しい部類の顔立ちをしているがために入学早々美少女とも見まがう小柄な方々に突き上げ……ではなく熱烈なアピールを喰らい、一時期ノイローゼになりかけた。ついでに夏夜は鈴宮の隣にいるのをぎりぎりで許してもらっている、らしい。今では二人ともそんな空気感に慣れているあたり順応性が高いのか面の皮が厚いのか、なんだかんだ学校生活に馴染んでいたりする。環境の激変に耐えることが生き残りの秘訣といえる。 この転校生はどうなんだろうか、と他人事ながら夏夜はぼんやりと机へ肘を突いて、どこからか迷い混んできた羽付きのアブラムシが隅っこをてくてくと歩いているのを眺めていた。
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