3

1/1
前へ
/8ページ
次へ

3

 レースの週末は、サーキット近くのビジネスホテルに部屋を取っている。鈴鹿はサーキットホテルもあるが、ビジネスホテルの方が安い。 チームオーナー兼監督の北山と気心の知れた俺は相部屋だ。 交代でシャワーを浴びると、体のあちこちに痛み止めの湿布を貼った。  生身の体で走らせるとはいえ、レーシングスーツにエアバッグを内蔵するなど安全性は日々向上している。一昔前なら、明日の決勝を走ることなく人生をフィニッシュしていてもおかしくはない。 「今日はすまなかった」 予選でのクラッシュを謝った。最終戦に間に合わせるため、KTMの本社に掛け合って最新型のワークスマシンを用意するなど、北山はこの一ヶ月休んでいないはずだ。チーム運営の資金調達にも苦労は絶えないだろう。  二年前、シートを失った俺をチームに迎えてくれたのも北山だ。次世代を担う若手を乗せたいというメーカーを、ホンダからタイトルを奪うと断言して押し切った。 大排気量のマシンから乗り換える事にある種の都落ち感覚を捨てきれずにいた俺が、全日本のタイトル争いができるまで復調できたのは、マシンセッティングを含め信用して任せてくれたことが大きい。  一年目は久しぶりに乗る軽量級マシンに手こずったが、マシンに慣れた今季はかつて無いくらい絶好調だった。俺のライディングスタイル自体が、軽量級のマシンに合っているのかも知れない。 「俺は構わないから、明日は結果でメカニック達に応えてやれよ」 北山は缶ビールを開けた。 「分かってる。俺を信じて二年も付き合わせたんだ。少しは借りを返さないとな」 レーサーという人種は総じて我が儘だ。マシンセッティングへの細かい注文に、メカニックは根気よく付き合ってくれている。 「最終戦だけど、優衣(ゆい)さんは来なかったな」 去年まで妻は俺のレースに帯同していたが、今年に入ってからはレース中に顔を合わせることが少なくなっていた。 「息子の面倒をみてる。俺もその方が心配事が減って助かるよ」 暖めた麦茶を飲みながら言った。レースウィークは、決勝が終わるまでアルコールと冷たい飲み物を一切口にしないと決めている。 「全日本のタイトルは、二十年ぶりか」 北山は話題を変えた。 「獲れればの話だぜ」 二十年前に初タイトルを獲って以来、全日本タイトルには無縁だった。 「うちのチームは初めてだ。できれば自分で乗って獲りたかったよ」 北山は高校時代からバイクに乗っているが、自分の才能には早々に見切りを付けたらしい。それでもレースを諦めきれない北山の選んだ道が、チームオーナーとして参戦することだったという。 「初めてバイクに乗った日のこと、覚えているか?」 ベッドに寝ころんだ北山が、唐突に聞いてきた。 「お前が乗ってきた、ヤマハの250だろ。確かあの時も、転倒して怒られたっけ」 は、今でも鮮明に覚えている。 「お前、何年経っても進歩してねえんだな」 可笑しそうに言った北山は、ビールの空き缶をゴミ箱に放り投げた。 「あの頃は楽しかったよ」 バイクは俺に夢を見せてくれた。手を伸ばし続けた先にあるように見えた夢、世界GP。 「今はどうだ?」 「監督からプレッシャーをかけられて、押し潰されそうだ」 「ふざけんな……。優貴(ゆうき)にタイトルを持っていかれたら、クビにしてやるからな」 「ふん、全日本一年目の小僧に負けるかよ。タイトルを持って俺がホンダに移籍してやる」 「お前、本当の阿呆だな」 北山が腹を抱えて笑った。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

50人が本棚に入れています
本棚に追加