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 瞬が運転する車から降りた晃平は、欠伸をかみ殺しながらビルのドアをくぐった。既にロビーには出勤してきた社員たちが溢れている。  晃平はその波を縫うように進み、階段で社長室のある階まで駆け上がった。エレベーターの方が早いし楽だが、井垣や同僚に見つかる可能性があったのでこちらを選んだ。  誰にも気づかれず、この会社の責任者である社長に会いたかった――この企画をプレゼンするために。  社長室まで辿り着いた晃平は上がった息を整えるとドアをノックした。ドアが開き、秘書が顔を出す。 「晃平さん。どうかしましたか?」  小さい頃から知っている秘書だ。彼はすぐに柔和な笑みを作った。 「社長……いや、父さんは出勤してますか?」 「はい、書類に目を通されてますが」 「五分だけ時間ください」  晃平はそう言うと、ドアを無理に開け中へと入った。 「あ、晃平さん!」  秘書が身をかわしながら晃平の背中に声を掛ける。けれど構うことなく晃平は中へと進んだ。 「お話があります、父さん」  書類を読んでいた父親のデスク前に立ち、晃平は仁王立ちのままそう言った。 「……晃平か。どうかしたか?」 「今度のショッピングセンターの企画変更のお願いに来ました」  晃平が言うと、父親は顔を挙げ、書類から手を離した。 「あの企画は全て決定している。今更、企画課でもないお前が口を出せるようなものはない」  それだけ言うと再び書類に目を落とす。晃平は持ってきたタブレット端末を開いてデスクに置いた。 「晃平さん、そういう話は企画を通した方が……」  後ろから秘書が声を掛ける。父親の機嫌が悪くなるのを恐れているのだろう。晃平は振り返って首を振った。 「これは、僕が父親にプレゼンしたいんです。初めに言いましたよね、父さんは出勤してるかって」  晃平の言葉に秘書が押し黙る。前を向き直ると、父はタブレットの画面を見つめていた。 「――これが?」 「駐車場の図面です。ここに、三石板金という会社があります。この部分を残してもらいたいんです」 「……友達が働く場所だから、か?」  父が顔を挙げ、晃平を見て呆れたように言う。そして、そんな友情ごっこが通じるわけないだろ、と呟いた。 「誰から、それを?」 「井垣くんが教えてくれたよ。晃平は利用されてるって、言われたが……これが真実か?」 「利用なんてされてない。僕は、ただ純粋に……」  瞬が好きなんだ、助けたいんだ――そう言いそうになって口を閉じる。呼吸をひとつ置いてから、晃平は改めて口を開いた。 「こっちの資料を見てください」  ブリーフケースから企画書を取り出し、晃平はそっと差し出した。父が受け取り、それに目を通すと顔をあげる。その目が今までと違うことに気づいた晃平が、すっと口の端を引き上げた。 「悪くない企画だと思うんです」 「本当にこの数字で出来るのか?」 「はい。三石板金と話し合った結果です。今までに比べて、コストが大分変わってくると思うんですが」  晃平が言うと、父は頷いてからしばらく黙り込んだ。それから静かに秘書を呼ぶ。 「この図面を引き直しておいてくれ。午後の会議までに」 「社長……?」  秘書が驚いて様子を窺う。けれど父は、頼んだよ、とだけ言って晃平のタブレットを秘書に渡した。秘書は多少諦観した様子でそれを受け取り、自分の席へと戻っていった。 「――お前がここに来たってことは、この企画を私から出して欲しいということだろう? あんな図面じゃ笑われるだけだからな」  そう言われて、晃平は苦く笑った。その顔を見ながら、父が言葉を繋ぐ。 「けど、お前がここまでやるとは思ってなかった。いつの間にか成長したな、晃平」 「僕だけで考えたものじゃないんです。瞬が一緒に考えてくれたから」 「――そうか。いい友達を持ったな、晃平。誤解していて悪かったと、彼にも伝えてくれ」  その言葉がなんだかくすぐったくて嬉しくて、晃平は足元を見つめ、頷いた。 「ただ、多少ずるくもなったな」  そう言って父が笑う。確かに、親子という特権を使いここまで乗り込んできたし、その理由も社長という立場から企画を出してもらえば、この企画ならまず間違いなく通るだろうと思ったからだ。そこまで見通されていると思うと、自分もまだまだ子供だなと思ってしまう。 「すみません……必死だったから」 「まあ、そういう経験も大事だろう。――さ、本来の仕事に戻りなさい」  そう言われ、晃平は一礼して社長室を後にした。安心した瞬間、強い眠気が晃平を襲う。そういえば昨夜は一睡もしなかったな、と今更思い出して、それでも仕事をしなきゃ、と晃平は自分の両頬を叩いて廊下を歩き出した。
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