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午後まで会社に居たのではそわそわして仕事にならなそうだったので、無理に外に用事を作り晃平は外回りに出た。戻ってきたのは夕方だった。ビルの前で一旦立ち止まった晃平は、深く呼吸をする。やっぱりどうなっているか、正直不安だった。
いくら社長からの企画とはいえ、おそらく対峙するのは井垣だろう。井垣は本当に弁が立つし、頭の回転も早い。その上社長も一目置く人物だ。もしかしたら、ということも考えられる。
ドキドキと鳴る心臓を抑えるように胸に手を置いたまま、晃平は歩き出した。
ロビーに入り、エレベーターホールへと進むと、そこに井垣が立っていた。
「待ってたよ」
晃平の姿を確認すると、井垣はいつもの柔和な笑みでこちらへと近づく。晃平は思わず足を止めた。まだ、どんな顔をして会えばいいのかわからない。立ちすくむ晃平に、井垣は更に笑う。
「なんて顔してんの。別に何かする気なんかないよ」
「あ……なんて、言ったらいいか……分からなくて」
晃平が目を伏せると井垣はその目の前で立ち止まった。
「晃平くん、この後は? 戻ってデスクワーク?」
「の、予定ですが」
晃平が答えると、だったら、と井垣が口を開く。
「少し話そうか。時間、いいよね」
井垣はそう言うと、晃平の前を歩き出した。その背中を追って、晃平も歩き出す。
井垣と並んでエレベーターを待っていると、あー、という大きな声が響いて、晃平は驚いて顔をあげた。
「晃平、またコイツと…!」
会社のドアを振り返ると瞬が立っていた。ガラス越し、会社前の路肩に見えたのは瞬の車だろう。心配で駆けつけたのはそれだけでわかる。
「瞬…? 連絡するって言っただろ。仕事は……?」
「黙って仕事なんかしてられるかよ。結果、出るんだろ、夕方には」
どうだったんだよ、と瞬がずかずかと晃平に近づく。受付すら無視して晃平の前に立ち、井垣と対峙する。その様子に、井垣が可笑しそうに笑った。
「――じゃあ、勇敢なナイトくんも一緒に来るか?」
井垣が言うと瞬はそれに噛み付かんばかりに睨みあげた。それを晃平が宥める。
「瞬、落ち着いてよ」
晃平が瞬を見つめ言うと、その顔が不機嫌なまま頷く。
「晃平のこと、どこに連れてくつもりだったんだよ」
「二階の社員用カフェだ。君も来る?」
どうする? と井垣が聞く。ちらりと辺りに視線を送る姿につられ、瞬も辺りを見回した。さっき瞬が大声を上げたのもあり、人の目は集まっている。瞬は、じゃあ俺も、と言いかけて、いや、と自らの言葉を否定した。
「ここでいい。どうせ、会議の結果だろ?」
「まあそうだね。――びっくりしたよ、テナントの内容の会議だったのに、いきなり社長が企画持ってくるなんて。それも、オレが君に提示した図面でね」
井垣が晃平を見つめる。晃平はそれから視線を逸らした。
「で、結果は?」
瞬が痺れを切らしたように問う。井垣は頷いてから口を開いた。
「通らないわけないだろう? 駐車場をたかだか二百台分削るだけでコスト削減できるなら。元々駐車場は広めに取ってあるんだから」
井垣の言葉に晃平と瞬が顔を見合わせた。互いに笑顔になる。
「……ぃやったー! 晃平、お前偉い! ホント、最高!」
瞬がそう叫び、晃平の頭を乱すように撫でる。晃平はその手を避けながら、興奮しすぎ、と笑った。
「とりあえずそういうわけだ。――晃平くん」
井垣の声に、晃平が笑顔を消し、井垣を見やる。
「ホントは、今日あたり困ってる顔した晃平くんに会いに行こうと思ってたんだよ。おれとの取引を蹴って、他に策なんかないと思ってたからね。予想外だった」
「……すみません。裏切るようなことして」
「まあ、元を質せばおれだって断れないような取引を提示したからね」
おあいこかな、と井垣は笑った。
「でも、晃平くんがここまでするとは思ってなかったよ。自分の父親が社長だってこと、誰より否定したがってたように見えたし。そういう狡猾な部分もあるんだと思うと、益々惹かれるよ」
井垣の言葉に先に反応したのは瞬の方だった。
「お前になんか渡すかよ」
瞬が井垣を睨む。晃平はそれを咎め、井垣に向き直った。
「僕は多分、ずるいです。自分のことが一番だし、傷つくのも傷つけるのも怖くて、自分からは動けない人間です。でも、瞬といれば、こんな自分でも何か出来るんじゃないかって思える時があるんです」
こんなちっぽけな自分を好きだと言ってくれる、誰より大事にしてくれる――そんな瞬の愛情が、自分に自信をくれるのだ。だから瞬のためなら何でも出来そうな気がする。少しはまともな人間になれるような気がするのだ。
「……まさか晃平くんがのろけるとはね。――了解。とりあえず今は手を引こう。でも、おれは多分、まだ当分は晃平くんを好きでいると思うよ。気が向いたらおいで、可愛がってあげるから」
井垣は晃平の髪を乱して笑うと、ちょうど降りてきたエレベーターへと乗り込んだ。
「なっ……何、今の! 大人の余裕? どっから来るわけ、あの自信!」
閉じたドアを見つめながら、瞬が息巻く。晃平はそれを見ながら笑い、口を開いた。
「井垣さんはいつもああいう感じだよ」
「でもさあ」
「いいから、ほら、結果も聞いて安心しただろ? 仕事戻らないと真一さんから……」
晃平がそこまで言うと、瞬のポケットから着信音が響いた。噂をすれば影、発信元は真一のようで、瞬の表情が歪む。
「ほら、行った方がいいよ。仕事終わったらまた会おうよ」
「――だな。晃平、ホントに気をつけろよ、アイツ」
ため息を吐きながら瞬はドアへ向かい歩き出す。晃平もそれについて歩いた。
「大丈夫だってば。僕の気持ちがぶれなければいいだけだろ」
そう言うと、瞬は足を止めて晃平を見つめた。な、と笑いかけると、その顔は少しだけ照れたように笑んで頷く。
「じゃ、また後で」
「うん」
瞬がドアを抜け、歩いていく。その背中を晃平は追いかけて、瞬、と呼んだ。瞬が振り返る。今なら顔を見て言える気がした。
「ずっと……ずっと好きだよ、瞬」
瞬が、知ってるよ、と笑った。
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