背中になら言えるのに~5 years ago~

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背中になら言えるのに~5 years ago~

   このあたりにしては珍しく雪が降り積もったその日、瞬は冬休みを終えて寮に戻って来た。  たった二週間の休みだが、瞬にとってはめまぐるしい日々だった。  まず、去年から揉めていた両親の離婚が正式に決まった。残りの学費は父親が、生活費は母親が払ってくれるらしい。そして肝心の瞬の保護者はというと、父でも母でもなく、叔父がなることになった。 『どちらの方が瞬を後継者として欲しがっているか』に争点が移って行く様を傍観していた叔父の真一だったが、とうとうキレて『だったら瞬は俺が貰う』と言ったのだ。両親が自分を子どもとしてではなく後継者として欲しいがために争っているところを見てきた瞬は、いい加減バカらしくなっていたので、真一のその提案に飛びついた。  逃げだとしてもいい。今はとりあえず瞬のことを思って決断してくれた真一に感謝していた。  冬休み前までは晃平と受験勉強をしていたが、もうその必要もなくなった。真一は、進学してもいいといってくれたが、やはり恩は返したい。  そして同時に、高校を卒業したら晃平と会わないことも決めていた。 「瞬、早いね。もう着いたんだ」  瞬がカバンを机に置いたままぼんやりと考え事をしていると、部屋のドアが開き、晃平が顔を出した。  外の寒さのせいか、頬が赤くなっている。 「うん、おかえり、晃平」  瞬は晃平に近づき、その頬を両手で包み込んだ。晃平がこちらを見上げ微笑む。 「瞬の手温かい」 「今日寒いよな。寮の中も人少ないせいか寒いし」  瞬はそう言うと、晃平の体を抱きしめた。晃平の体温や息遣いを感じると、心が凪いで行く。 「……なあ、晃平」 「ん?」  大人しく瞬の腕の中に納まっていた晃平が少しだけこちらを見上げる。 「今から、しない?」 「……え? まだ夕方だよ?」 「二週間もお預けだったんだから、いいだろ? 部屋の鍵掛ければ平気だって」 「ちょっ、瞬!」  どさりとベッドに晃平ごと倒れ込むと、晃平は困った顔でこちらを見上げた。 「なんか変」 「どこが?」 「コレとか。去年辞めたよね?」  着ていた上着のポケットから零れ落ちた煙草の箱を拾い上げ、晃平が言う。晃平と一緒に受験をしようと決めてから、煙草を封印した。制服もきちんと着るようになったし、夜遊びもしなくなった。  晃平と一緒に居たかったからだ。晃平と同じところに進学して、また四年間傍に居たかった。もし、同じ大学に合格できたら、ちゃんと告白をしよう――そんなことも思っていた。けれどもう、それも叶わない。そう思ったらいつの間にか煙草も復活してしまっていた。 「うーん……禁煙失敗?」 「未成年が言う言葉じゃないよ」 「だって実家つまんなかったんだもん。だから、そんな俺を慰めて、晃平」  にっこりと微笑んで晃平の目をじっと見つめる。晃平は浅く諦観の息を吐いた。 「鍵、ちゃんと掛けてよね。あと夕飯はちゃんと食べるからね」 「了解」  瞬は一度ベッドを降りて部屋の鍵を掛けてから再び晃平の居るベッドへと戻る。起き上がって上着を脱いでいた晃平を再び押し倒すと、そのままキスをした。貪るようなキスに、晃平の喉が、ん、と鳴る。苦しそうなその声でさえ愛しかった。 「……夕飯、時間ギリギリになるかも」  瞬の言葉に晃平が小さくため息を吐く。 「食べれるならいいよ」  晃平はそう言うと、そっと瞬の背中に腕を廻した。 「そんな怒るなよ、一応食べられたんだし」  深夜に近い時間、瞬はベッドの下から発泡スチロールの箱を引っ張り出し、中に入っていた缶ビールを晃平に手渡した。 「寮母さんが気を利かせて作ってくれた余りもの定食だけどね!」  ベッドに乱暴に座り込んだ晃平は少し不機嫌に瞬を見上げる。結局あの後、一回じゃ終われずにもう一度とお願いしたら、晃平が気を失ってしまった。瞬が暴走してたまにやってしまうのだが、こうなると気の毒で、起こすことはできない。そのせいで、食堂に着いたのは九時少し前のことだった。 『まだ食べてないの? こんな時間まで何してたの?』という寮母に二人は、セックスしてました、なんて言えるわけもなく、ちょっと運動を……なんてごまかして、晃平が言った通りあるもので食事を作ってもらったのだった。 「今日はコロッケだったのに!」 「だからビールと一緒に買ってきてもらっただろ? コンビニのコロッケ」 「違うんだよ。ここのコロッケが美味しいの!」  もう、と唇を尖らせる晃平に瞬がため息を吐く。それからコンビニの袋から出したホットスナックのコロッケを晃平の目の前に差し出した。 「じゃあこのコロッケは要らないんだな」 「誰が食べないって言ったの。食べるに決まってる!」  晃平はそう言うと瞬の手からコロッケを奪い取る。それを見て瞬は、くすりと笑った。 「そういえばまたコレ買ってきてもらったの? 僕、そんなに美味しいと思わないんだよね」  晃平はそう言いながら缶ビールのプルタブを開ける。瞬は頷いた。 「八重樫、どう見ても三十越えたおっさんに見えるだろ? コンビニで怪しまれたこと一回もないらしいぜ」  瞬が笑うと晃平も、嘘でしょ、と笑った。 「ホント。卒業まで買い物は、あいつに任せよう」  瞬がそう言って笑うと晃平は、卒業か、と少し目を伏せた。 「瞬は……就職、なんだよね?」  冬休みに入る前に、進路変更のことは晃平に伝えている。その時も晃平は、こんなふうに目を伏せていた。感情の読み取れない表情は、悲しんでくれているのか、諦めているのか、喜んでいるのかさえ、分からない。 「そうだな。バリバリ働くよ」  瞬はできるだけ笑顔を作って答えた。本当は晃平と一緒に大学生になりたかった。けれど、これは瞬のケジメだ。真一にやっぱり大学に行きたいと告げたら喜んで頷くだろう。晃平もきっと喜んでくれる。一緒に学校へ行って、勉強はまあそこそこに、遊んだりこうして二人で話したり……たくさんのことが出来るはずだ。  だけどそうしたら、両親はまだチャンスがあると争うはずだ。それはもう見たくなかった。 「瞬が社会人ねぇ……大丈夫?」 「大丈夫。就職先だって、もうほとんど内定もらったようなもんだし」 「そうなの? いつの間に就活してたの?」 「まあね。冬休みの間にちょっと」 「そっか……瞬は、ちゃんと前に進んでるんだね」  晃平が寂しそうに言ってから、ビールの缶を傾ける。それからそっとそれを瞬に差し出した。 「やっぱり苦手、ビール。あと飲んでいいよ」  晃平は瞬に缶を手渡すと、そのままベッドに転がった。天井をじっと睨むように見つめたまま、僕ね、と口を開く。 「志望校、変えたんだ……迷ってたんだけど、もう一校受けることにしてるんだ」 「え?」 「K大。……父さんの母校なんだ」  ぽつりと呟いた短い言葉だったけれど、瞬にはとても重く感じた。それまで第一志望を瞬のレベルに合わせたところにしていたのだが、瞬の進路変更を聞いて、晃平なりに悩んだ結果なのだとすぐに分かった。  晃平は、自分の父親が嫌いらしく、ほとんど親の話をしなかった。大きな会社の社長だという父親に、嫌悪すら抱いているところがあり、そんな晃平を知っているからこそ、父親の母校を志望校にする、というのはよほどの決意があると分かるのだ。 「そう、か……うん。晃平ならきっと合格だよ」 「うん、ありがと。僕、頑張るから……ホント、頑張るから……」  掠れていく声が切なくて、愛しくて、瞬はビールを机に置くと、そっと晃平のベッドに腰掛け、その顔を見下ろした。瞳には、大きな湖が溜まっている。そっと頬に触れると、その決壊が崩れて雫が転がり落ちた。  よく真珠のような涙、なんて言うけれど、きっと好きな人の涙は宝石にも見えるのだろう。今、瞬の目に映る晃平の涙は、どんな宝石よりも輝いて見えた。  晃平が言う『頑張る』という言葉は、受験だけではなく、その先の父親との関係も視野に入れてのことだろう。  父親が嫌いだから、敷かれたレールの上は歩きたくないから、そんな子供じみた言葉を並べて逃げていられるのも、卒業で終わりにするという、晃平の想いが痛いほど伝わってくる。 「俺も、頑張るよ」  好きだよ、と伝えたかった。ずっと一緒に居ようと言いたかった。  けれど、言ったところで何も変わらない。きっと晃平を困らせるだけだ。傍に居られないことは分かっているのだ。晃平にこれ以上負担は掛けられない。 「晃平、ずっと友達でいような」  自分に刺すとどめのような言葉を吐いて、瞬が微笑む。晃平は一瞬切ない表情を見せたが、小さく頷いてそっと両腕を伸ばした。 「もっかいしてもいいの?」  冗談めかして言うと、晃平が頷く。それに瞬は更に笑って、酔っ払いかよ、と言いながら晃平を抱きしめた。
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