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結局瞬には連絡せずに、全ての仕事が終わってから晃平は自力で三石板金までやってきた。名刺にある営業時間は少し過ぎてしまっていたが、まだ工場内には明かりがともっていて、人の声も響いていた。晃平は、その様子にほっとして工場の入り口から、すみません、と声を張った。
「はーい……って、昼間の、瞬の友達」
返事を返し、こちらに向かってきたのは、さっき瞬から工場長だと紹介された瞬の叔父真一だった。
「すみません、遅くなりました。車は……」
頭を下げて晃平が言うと、それがなあ、と呟いてから瞬を呼んだ。奥で瞬がそれに答える。
「結構雑に乗ってるだろ? 交換したほうがいい部品がかなりあるんだが」
「ああ……共有の営業車ですから。それに古い車だし」
「どうする? このままウチでみてもいい。他に出すよりは安く済むとは思うけど」
真一の言葉に、晃平はうーんと唸る。それは個人で決めていいことなのか、ということと、そうすれば瞬とまた会うことになってしまうということ、その二点ですぐに返事をすることは出来なかった。どうしようかな、と考えていると、晃平、という瞬の声が響いた。
「なんだよ、電話しろって言ったじゃん」
待ってたのに、と瞬が晃平に駆け寄る。
「ごめんね。すぐバスに乗れたから」
瞬を呼ぶより早いと思って、と晃平が下手な嘘をつくと瞬は、そうか、と寂しそうに頷いた。
「瞬、お前、それを理由にサボろうとか考えてただろ」
真一が言うと瞬が、まさか、と首を振る。
「だって、客を迎えにいくのだって、立派な仕事じゃん」
「どうせそのまま直帰します、とかって飲みに行くつもりだったんだろ。お前が友達と絡むとろくなことにならんからな」
その言葉に瞬が苦く笑う。その顔を見ながら真一は、でも、と言葉を足す。
「いつもの友達と違うようだな、彼は」
真一にまじまじと見られ、晃平は慌てて名刺入れを取り出した。
「沢井野といいます。瞬くんとは、高校の時の寮が同室で……」
「へえ……沢井野グループにお勤めの沢井野さんってことは……家業を手伝ってるってことか」
真一は名刺を眺めながら呟いた。名刺を出すと、必ずこの言葉を言われる。社長とはどういうご関係ですか、と聞かれて素直に息子だと答えると、茶菓子が出てきたこともあった。晃平はそれが嫌で、名刺を出す機会を自分から減らしている。父親が、社会経験に一番なるだろう営業ではなくて管理部に晃平を入れたのも、そういう経緯だと思っている。父親も会長である祖父から会社を継いでいる。少しは晃平の気持ちがわかるのだろう。
ただ、わかるのなら職業選択の自由が欲しかったが、そういうわけにはいかなかったらしい。
「おじさん、そういう言い方するなよ。俺の自慢のダチなんだから。コイツ、すげーんだよ。あのバカ高校からK大行ったんだぜ?」
瞬が真一に言うと真一は、へえ、と晃平を見やった。
「まあ、確かにお前の友達にしちゃ随分まともだとは思ったがな」
「俺だってまともだ」
「まともな奴は隙あらばサボろうなんてしねえよ――まあ、今日はいいか。どうせ、飲みに行く予定だろ? あがれ」
「サンキュ、おじさん。ていうわけだから着替えてくる。待ってて、晃平」
瞬はそれだけ言うと事務所に向かって走り出した。晃平は、それを止めようとするが既に無理な距離にその背中はあった。
「……僕まだ行くって言ってないのに……」
「いいじゃないか。久しぶりなんだろ? つきあってやってくれ」
忙しいとは思うが、と真一が言う。晃平は、はあ、と曖昧な返事をしてからスマホを取り出した。会社に車のことを相談しなくてはいけない。とりあえず管理部の上司に掛けると、総務だな、と言われ、総務に電話を回して貰ったが、結局『晃平さんなら社長に直接伺ったほうが』と言われ、電話を切った。更に自宅に電話をする。普通の会社員ならば、総務で手配するのが筋だろう。結局車に関しては契約工場が決まっていないため、面倒だから直接話せなんて言われるのだ。解せない気持ちのまま父親に連絡を取る。
『――事情はわかった。自走できないのか? できるなら車は会社に戻せ。できないなら預けて明日見積もりを持って来なさい』
まあそうなるだろうな、ということを言われ、晃平はそれに頷いた。じゃあ明日また報告します、と晃平が電話を切ろうとすると、ちょっと待て、と父親がそれを止めた。
「何か?」
また小言かと、晃平はうんざりした表情で聞く。
『今晩は、遅いのか? まだ外だろう?』
「これで最後です。でも、これから友人と会う予定ですので。母さんにもそう伝えてください」
『友人か……わかった』
父親はそう言うと電話を切った。
二十歳を過ぎると、父親は晃平の行動に何も言わなくなった。晃平も派手に遊ぶ方でもなかったし、友人も多いほうではなかったから言うことも少なかったせいかもしれない。しかし、就職してからは連日深夜までの残業をしている晃平に、また遅いのか、と呟くことが多くなった。確かに管理部の誰よりも遅くまで仕事をしている。どうしてもその日の仕事を終わらせるにはそこまでかかってしまうのだ。多分、父親はその処理能力の低さを言いたいのだろう。それが嫌でこの頃の晃平は父親が寝てしまう頃、帰宅することが多かった。
晃平はため息を吐きながらスマホをしまいこんだ。
「電話、終わった?」
そんな晃平に後ろから声が掛かる。びっくりして振り返ると、ジーンズとジャケットに着替えた瞬が立っていた。
「あ、うん……。工場長さんに、これの見積もり頼みたいんだけど、いいかな? 明日、見積もり貰いにくるから」
「ん、了解。俺が作るから、明日メールで送っていい?」
「うん、助かる。ごめんね、仕事増やして」
「なにそれ。仕事はあればあるほどいいもんだよ」
「そっか……そうだよな」
あはは、と笑うと、瞬が嬉しそうに笑顔を見せた。
「やっと、ちゃんと笑ったな」
瞬がそう言って微笑む。晃平はなんだか恥ずかしくなって俯いた。そんな晃平を笑って瞬は、行こうか、と声を掛けた。晃平が顔を上げて頷く。
瞬の、こういう何気ない一言が未だに晃平の心を掴む。どうしよう、このままじゃ好きになる。それは怖い。また、あんな辛い恋をするなんて耐えられない。
「……友達、なんだ……」
自分に言い聞かせるように口の中で呟く。瞬には聞こえていないようで、これから行く店の話をしている。晃平もそれに相槌を打って答えた。
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