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 瞬がよく行くという店はビルの地下にあって、半個室のようなっている席ばかりの店だった。カフェバーとでもいうのだろうか。インテリアもしゃれている。こんな店を知っている、それだけで瞬のセンスがいいことがわかる。一方自分は、こうやって人に連れて行って貰った店くらいしか知らない。五年の間に瞬と自分の間にはまた距離が生まれているようだった。 「昔はこんなビールも隠れて飲んだよな。寮の机の下に発泡スチロールで簡易冷蔵庫作ってそこに隠し持って」  瞬は運ばれてきたビールを見ながら懐かしそうに話した。たしかに高校の頃は近くのコンビニに普通に行ってもアルコールは売ってもらえなかったから、老け顔の同級生に買ってきてもらい、みんなで分けた。そこまでして飲むほど美味しいものでもなかったけれど、アルコールを飲むというその行為が大人のようでよかったのだろう。 「やったね、そんなことも。タバコとか」 「そうだな。今じゃ普通に咥えてるけどあの頃は特別だった。そういや、晃平は咽て泣いてたな」 「煙が目に染みただけだって、あの時も言ったよ」  晃平が頬を膨らませながら返すと、今は? と瞬がジーンズのポケットからタバコを取り出して晃平に差し出した。 「僕はいいよ。あれ以来吸ったことないんだ」 「ま、それが正解だよな。大学も真面目に通ってたんだろ」  体にも財布にも優しくないよコレ、と笑いながら瞬はタバコを咥えた。 「真面目ではなかったよ。高校の時みたいに友達とサボったり、レポートもネットから色々引き出して書き上げたり」  そうやって上手く息を抜きながらやっていたと思う。そんな普通のことを話すと、瞬の表情が一瞬だけ険しくなった。けれどすぐにいつもの穏やかなものに戻る。 「晃平でもそんなことしてたんだな」 「高校の頃からしてたよ」 「お前は俺に引っ張られてるだけだと思ってたよ」 「そんなことないよ。僕は自分で、瞬についていってたよ」  無断で学校を抜け出すことも、深夜の校舎で飲み会をすることも、無免のバイクの後ろに乗ることだって、瞬と一緒ならなんでもしたかった。怖くはなかった。どれも見つかれば停学、ひどければ退学になることだったのに、晃平はそれすら別にいいと思っていたのだ。今考えれば見つからなくて本当によかったと思うが、あの頃の晃平の世界は瞬を中心に廻っていたといって過言ではなかったのだ。 「楽しかったよな、あの頃。何にも考えないでバカなことばっかりやって」 「よく順当にここまで来れたと思うよ、僕も」  晃平が言って笑うと瞬も、ホントだな、と同じように笑いながらグラスを傾けた。 「今の仕事、どうなの? やっぱ親父さんの下だと大変?」 「いや、そんなことないよ。会社では会うことないし、家でもそんなに……」 「今、実家なんだ」  晃平の言葉に瞬が聞く。晃平は頷いた。 「うん。大学からずっとね」 「不便じゃね? 夜中の出入りとか」  それが嫌で俺は即行で家出たんだよね、と瞬が言う。けれど晃平は、うーん、と唸ってから、そうかな、と口を開いた。 「ウチは寛容みたいで、全然不便感じないんだよ」 「今、恋人は? 結婚はしてないみたいだけど、彼女とかいると不便だろ」  瞬が晃平の左手を見やる。そうされて、晃平も自然と瞬の手に視線を送った。 「俺は予定もないけどさ。晃平は?」 「いないよ」 「ずっと?」 「うん、まあ。ずっと、かなあ?」  晃平が曖昧に答えたのは、その相手が女の子ではないからだ。大学二年の時、一年ほど先輩と付き合ったことがある。あまり目立つ人ではなかったけれど優しくて紳士的な男性だった。やっぱり自分はこっち側の人間なんだな、とその時改めて感じたものだ。  ただ、その付き合いは中学生も驚くほど清らかで、結局互いに触りあう程度のことしかしなかった。後になって思えば、先輩は興味で自分を誘っていたのだと思う。そして自分も先輩を本当に好きにはなっていなかったのだろう。だから互いに欲しいとは思えなかったのかもしれない。 「なんだよ、その答え。あ、そういえばK大ってミスコンあるほど可愛い子が多いとこだったよな? まさか、一回だけお願いを繰り返して……」 「――たわけないだろ。瞬じゃあるまい」  瞬の言葉尻をすくい、晃平が返す。それに瞬が、わかってないな、と苦笑いを見せた。 「俺は一途だぜ、こう見えて。好きになったらずっとそいつだけ」  瞬の言葉が、晃平の心臓を貫く。一瞬、息も出来なくなるほどの衝撃だった。きっと瞬にはそういう女の子がいるのだろう。誰かなんて聞きたくないけれど、きっとその予想は正しいはずだ。 「ふーん、意外だね。ところで、瞬の仕事の方は? 順調なの?」  晃平は瞬の言葉を受け流すようにしてから話題を変えた。これ以上恋愛に関する話はしたくなかったし、聞きたくもなかった。 「ああ、仕事? まあね、大抵のことはやってるよ。一応主任なんだ」  にっこりと微笑むその顔からは、自信が垣間見えた。これまで色々苦労や努力を重ねてきたのだろう。そして得た肩書きは、確かに嬉しいものだ。 「すごいね、主任って」 「従業員四人の会社で主任って下から二番目ってことだけどな」  そんな大したものじゃないんだ、と苦く笑う瞬に、晃平は首を振った。 「何人だってすごいよ。肩書きなんて、ずっといれば勝手についてくるものじゃないもん。何年居たって、出来ない人には肩書きくれないよ」  だからすごいんだよ、と晃平が言うと、瞬は柔らかい笑みを作り、ありがと、と晃平を見つめた。その顔があまりにもカッコよくて見ていられなくなった晃平は首を振りながら俯いた。そんな表情は反則だ。どうしたって心が揺らいでしまう。しかもそれが自分に向けられているのだと思えば尚更だ。 「晃平、次何頼む?」  珍しく真面目に熱弁してしまったことを恥じたと思ったのだろう。瞬は、静かに話題を変えるようにそう聞いた。 「ビールでいいよ」  晃平の言葉を聞くと、瞬は近くの店員にビールを頼む。そして晃平にはゆっくり飲もうよ、と笑った。晃平はそれに頷き、グラスに残っていたビールを呷るように飲み干した。  明日も仕事だし、と二時間ほどで店を出た二人は、最寄り駅へゆっくりと歩いていた。特に会話は交わさなかったけれど、今でもその沈黙は苦痛ではない。それがなんだか嬉しかった。  通りの奥に駅の明かりが見えた頃、瞬が沈黙を破るように口を開いた。 「あのさ、晃平。これからウチ来ない? シャツとネクタイなら貸せるから泊まっていってもいいし」  そんなことを言われ、晃平は足を止めた。心臓が押しつぶされそうなほどの緊張に、上手く声が出ない。 「ど……して?」  精一杯に返すと瞬は、どうしてって、と残念そうな顔をした。 「久しぶりだし?」  その言葉に何か他の意味が隠れているように思えた晃平は、脳裏で高校時代を思い出した。夜、二人きり、ひとつの部屋――それが揃えば瞬は晃平を抱いていた。久しぶりというのは、そのことなのではないだろうか。そう思った晃平は反射的に、やだ、と答えた。 「え?」 「嫌だ。もう嫌なんだ、あんな想いするのは。ごめん、僕帰る」  晃平は顔も上げずにそれだけ言うと駅に向かって走り出した。背中に自分を呼ぶ瞬の声が響く。けれどそれに反応することは出来なかった。 「もう会えない……」  瞬が自分を再び遊び相手にと思っているのなら、もう会えない。それだけは無理だ。きっと瞬に抱かれたら、一気に好きになってしまう。そうしたら高校の時と同じことを繰り返すことになる。あんな想い、二度も経験できない。そんなことになったら、晃平は死すらも視野に入れてしまうだろう。自分を守るためには、瞬から離れるしかないのだ。  だから、もう会えない。  晃平はそう決めて、滑り込んできた電車に乗り込んだ。流れる窓からの景色に瞬の姿が見えた気がしたのは、自分の未練が映し出した幻覚だったのかもしれない。
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