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着いたのは住宅街の中にある、小さな店だった。食堂、というのが一番しっくりくる呼び方かもしれない。
その店に慣れたように瞬は入っていく。瞬が言ったようにこういう店は初めてで、なんだか不安なまま晃平は瞬の後に付いて行った。一方瞬の方はというと既に常連のようで、客の一人と軽い談笑なんかしている。
「そこ座ってて。おばちゃーん、しょうが定二つ」
瞬は晃平を席のひとつに座らせるとカウンターの向こうにそう叫んだ。それからそこに積み重なっているグラスを勝手に持ち出し、やかんに入った水を注ぐと、布巾と共にそれを持って戻ってきた。
「ここね、テーブル拭くのも水もセルフなんだ。ひどい時はカウンターから席まで飯運ぶのもセルフ」
瞬がそう言って笑い、再びカウンターに布巾を戻した。そんな瞬を見ていると後ろから、なあ、と声が掛かり、驚いて振り返る。
「あんた、瞬の友達? この店じゃ見かけない感じだけど」
中年の男性に言われて店内を見渡すと、確かに作業着人口が異様に高い。たまにネクタイをしている人もいるが、やっぱり傍らに作業ジャンバーを置いている。
「はい……実は初めて連れて来て貰って。すみません、勝手がわからなくて」
晃平が頭を下げると、男性は慌てて、謝ることじゃねえよ、と返した。
「なんか困ったことになってたらと思っただけだ。友達なら、構わねえ」
ここの飯は美味いからいっぱい食って大きくなれよ、と豪快に男性が笑った。
「二十歳越えた男がこれ以上大きくなるったら横しかねえよ、おっちゃん」
晃平はこのままでいいの、と戻ってきた瞬がため息を吐いた。
「それに、心配しなくていいから。俺はもう独り立ちしたんだから、関係ないんだよ」
瞬が言うと、そうかそうか、と男性は席を立った。
「悪かったな、晃平。ここ、こういうフレンドリーなおっちゃん多くて」
「いや、気にしてないよ。ちょっとびっくりしたけど」
食事に入って話しかけられるなんて社員食堂くらいなものだ。それも晃平は好奇の目が嫌であまり利用しないから本当に驚いた。
「だよな。でも、なんかいいだろ?」
確かに、ここがひとつの家みたいにあちこちで雑談が飛び交う感じは、高校の寮のようでなんだか懐かしい。晃平は瞬の言葉に笑顔で頷いた。
すると定食を二つ持った、店員だろう中年の女性が、瞬ちゃん、と話しかけた。
「今日は可愛い子連れてるじゃないの。真一さんは?」
「今日は愛妻弁当。コイツ、俺の高校の同級生。今度来たらサービスしてやって」
「可愛い子はいつでもサービスするよ」
またおいで、と彼女は笑って奥へと戻っていった。
「僕……いくつに見られたんだろ? 可愛いって歳じゃないんだけど」
「おばちゃんから見たらウチの工場長だって可愛いになるよ」
気にするな、と言い、でも、と言葉を足した。
「晃平は変わらず可愛いと思うよ」
高校の頃も可愛いって言われてただろ、と瞬が当然のように言った。それから手を合わせていただきます、と目の前の膳に手をつける。けれど、晃平は瞬の言葉に驚きすぎて、同じように箸を持てなかった。
「初耳」
「あれ? そうなんだ。まあ、そういう評判って大抵本人には伝わらないよな」
知らなくて当たり前か、と瞬が笑った。
「そう、だったんだ……」
地味で真面目で面白みのないつまらない人間だから、話して貰えるだけで嬉しかったし、仲間に入れてもらえるだけで有難かった。まさかそんな評判になっているとは夢にも思わなかった。
「だから、三年同室だった俺なんて羨ましがられたよ」
「なんだ。それなら、もっと楽しめばよかったな」
晃平がそう零してから食事を始めると瞬が怪訝な顔をした。
「楽しむってどんな?」
「いや……僕、絶対あの学校では浮いてると思ってから自分から友達作ろうとか思わなかったから、嫌われてなかったんならもっと友達増やしていろんな事みんなでやってもよかったなと思って。僕、文化祭とか体育祭とかクラス行事に参加しないで生徒会にばかりいたから」
自分が居たら気を使わせてしまうんじゃないか――そう思って、晃平はクラス行事のほとんどを生徒会としての立場から参加していた。ちょっと寂しい部分はあったけれど楽だったのは言うまでもない。
「なんだ、そんなことか……いやでも、あれでよかったと思うよ。バカばっかりやって、怪我とかもいっぱいしたし」
「嘘、どんな?」
「ロケット花火を手で受け止めるって言ってやけどしたり」
「バカじゃん」
「バカだよ?」
瞬が堂々と答える。その様子に、晃平はついけらけらと声を立てて笑ってしまった。瞬もつられて笑う。それから、よかった、と呟くように言葉を繋いだ。
「晃平、笑ってくれてよかった」
「え? あ、昨日はだから僕が悪いんだって。瞬は何も悪くないよ」
「それでも、晃平が何か思ったことには変わりないだろ? だったら、俺の責任でもあるからさ。でもやっぱりせっかくこうして再会できたんだから、こういう縁とか大事にしたいんだよね――こうやって、時々飯食ったりとか、ダメかな?」
「瞬……」
「晃平の都合のいい時でいいよ。頻繁に会おうなんて言わないし」
瞬の言葉に、晃平は名刺を取り出すと、裏にスマホの番号とメッセージアプリのアカウントを書いて瞬に差し出した。
「いつでも連絡してよ。また、僕の行ったことないような店、連れてって」
晃平がそう言って笑うと、瞬も同じように笑って、後で連絡する、と頷いた。
楽しいことも、悪いことも、ドキドキするようなことも全部瞬に教わった。これからまた、そういう日々が来るのだと思うと嬉しい反面、やっぱり不安もあった。二度目の失恋を教えられるのはやっぱり嫌なのだ。けれど、自分さえしっかりしていれば、あんな思いはしなくて済むのだ。友達だと自分に言い聞かせ過ごせば、これ以上ないほど楽しい日々になるだろう。
「飯、冷める前に食おうか」
名刺を大事そうに財布に仕舞った瞬が微笑む。晃平も頷いて箸を手に取った。
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