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「さようなら〜」「おつかれさーん」
荷物をまとめ終え、部員達がお互いに挨拶しながら、一人一人その場を後にする。未だ晴れない気持ちに蓋をして、私はゆっくり荷物をまとめる。ふと気付くと、もう私以外には誰もいなかった。水色の空に、薄ら白色の月が浮かんでいる。もうすぐ暗くなる。そう思いながら、私は急いで荷物を抱えた。
……日野先生が来れば、それだけで何か変わるんだろうか。
指導者一つで、色んな集団は大きく変わる。そんな話を聞いた事があるが、私には、どうしても信じ難く思えた。爪先の慣れない違和感に、私は下を向いて歩く。
「さつき先輩は何とも思わないんですか!」
吹き曝しの渡り廊下を抜けて、曲がり角に差し掛かった時、千里の大きな声が聞こえた。私は思わず身を隠す。回り道するか迷ったが、脚を動かす事ができない。私は壁に背を付けて、じっと立ち尽くす。
「何とも、って何のこと?」
「あれじゃ部活じゃないです。皆黙って練習してるだけ。何のためにわざわざ時間決めて集まって練習してるんですか? 一中出身の先輩なら分かってるはずです」
いつも通りの声色で話すさつき先輩に対して、千里は激しい剣幕でそう問いかける。冷さを伴った空気が、私の呼吸を凍結させた。
「別にいいんじゃない? 陸上って個人競技やし」
さつき先輩は声の調子を一切変えずに、そう返答する。一瞬の静寂の後、千里が思い出したように再び口を開いた。
「……本当に、本当に先輩はそう思ってるんですか? 個人競技と部活動が別なことくらい、先輩なら分かってますよね? それに私が武高に来たのだって、先輩と一緒に四継がしたかったから……」
千里の声はひどく弱々しい。彼女らしくない、振り絞るような声に、私は胸の辺りが痛くなって、そのまま潰れそうになった。
「……じきにね。今は我慢してよ。それじゃダメ?」
そうさつき先輩が言ったのと同時に、千里が我慢出来ずに走り出すのが聞こえた。乱暴な高音が、コンクリートの床に反射する。足音が次第に小さくなり、完全に聞こえなくなるまで、私はただじっと息を潜めていた。
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