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第1話 ようこそ、武山高校陸上部へ 1
プロローグ
やりました、男子100メートル、金メダルです! 二十五歳、日本陸上界の希望の星、鬼龍院颯太が見事日本新、アジア新記録です! 東京で結果を出す事の出来なかった若き超新星が、遂に、遂にやってくれました! おめでとう! ありがとう!
以上、先日アメリカで行われました、国際陸上大会からのニュースでした。当大会で、金メダルを獲得した…………
「ねえ、お母さん、日本記録で金メダルだって」
ちらりと視界に入ったテレビのニュースからは、何を喜んでいるのか分からないくらい、耳をつん裂く大きな歓声が聞こえている。それはそれは激しい、お祭り騒ぎの様相が眩しい。
「へぇ、何の話?」
そんなニュースに、対して興味を示していないような母は、壊れ物注意のテープが貼られた段ボールの中から、小さな食器を一つまた一つずつ、割れていないか確認しながら取り出している。
「100メートル、男子の! 9秒89だってー。これって凄いのかなぁ」
私は出来立てのチーズトーストを咥えて、髪を後ろで結び、それから真っ白のソックスを乱暴に引き上げる。新生活の始まりに、居ても立っても居られない私は、床の隙間から隙間を目まぐるしく飛び回る。
「さあねぇ、私陸上ってよくわからないから」
確かに、私も陸上なんて分からないや。どうして気になったんだろう。と頭の上に疑問符が浮かんでくる。
「ふーん、だよねー」
「ねぇりく、ニュースはいいから早く出なさいよ〜。久々に福井に帰ってきたばっかで、私もちょっと忙しくてさ。今日から高校なのに、見送れなくてごめんね」
大小の段ボールが、こちらに届いてまだ一日、部屋中沢山残されていた。新しい段ボールからは、梱包材がつんと匂う。
「いいよ、気にしないで。じゃあもう出るね」
玄関までの細い廊下を、私は胸の高鳴りを感じながら、小走りで通り抜けていく。小さい頃の私もこんな風に遊びに出かけたのだろうか。廊下の隅の柱に残った薄い溝は、昔私がここに住んでいた名残だ。
「いってらっしゃーい、りく」
「はーい、いってきまーす! ……おっと、その前に」
私は玄関で立ち止まり、シューズボックスを半開きしたところで、棚の上に置かれた写真立てを手に取ると、
「お父さん、私、行ってくるね」
写真の中の父は、今日もあの日のままの姿で笑っている。
父が私に、いってらっしゃい。と言っているような気がした、ほのかに暖かい春の朝は、私の物語のスタートラインの上に有った。
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