私、と入江

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 スタスタスタ。この音も何度目だろうか。もう慣れた。今日もいつも同じ昼休みの時間に少し早足気味な足音が一つ、私のもとへ近づいてくる。この足音の正体、入江は今日も昼ご飯を食べに私のもとにやってきた。 「やっぱり馴染めない・・・」 (大丈夫だって、まだまだこれからだ) 私としては、こんな会話は幾度と無く交わしてきたつもりなのだが、入江には届かなかったのだろうか。 入江は学校がある日は必ず昼休みに私のもとへ来て、ご飯を食べながら少しの愚痴をこぼし、私はそれを黙って聞く。入江は黙々と食べ、食べ終わるとすぐに、今どきの子らしくポケットからスマホを取り出す。偶に誰かが私のもとへ来ても、昼休みが終わるまで黙って私のもとで、私と似た無機質な白色をした手でスマホをいじり続ける。そしてチャイムが鳴ると憂鬱そうな顔で、トボトボと教室に戻っていく。 私はそんな入江を無言で見送り、この後の退屈な時間を憂う。この一連の流れに慣れてきた私はいつしか昼休みを待ちわびるようになっていた。私は (明日も入江は来てくれるかな) と、叶ってほしくないような叶ってほしいような願いを、抱くようになっていた。 そんなことを考え期待してしまう自分に失望していると、今日も今日とて昼休みの時間になった。しかし今日はいつもとは、何かが違っていた。今日はサッサッと足早にやってくる音がした。自分への失望はどこへやら、足音に違和感を覚えながらも、逸る気持ちを必死に抑え入江が来るのを待った。少しして入江が私のもとに駆け込んできた。やはりいつもとは違っていた。入江の違和感の正体に気付いた私は、途端に不安に襲われた。 (入江、その足どうしたの?) なんて聞いても、おそらく入江は何も答えないだろう。それにもし聞くことができて、入江が答えたとして、もしその答えが僕の予想通りのものだったら、と答えを聞くのが怖いというのもある。いつもとは違う入江は、普段通りにご飯を食べ始めた。鼻を啜る微かな音が、私の鼓膜に劈くように響いた。それでも無力な私は何も口にすることなく、ただただ入江を眺めていた。すると手を止めた入江が一言、 「僕が何をしたって言うんだよ・・・」 (・・・・・・) 怒りや戸惑い、辛さなどを含んだ、助けを懇願しているような入江の言葉に、どう返せばいいのかわからなかった。どんな言葉が救いになるのだろう。はたして救いになるような言葉は存在するのだろうか。考えても考えても答えが出せなかった私は、入江と同じ空間にいることしかできなかった。少しして落ち着いたのか、入江は途中だったご飯を口いっぱいに頬張り完食し、いつものように黙ってスマホをいじり始め、チャイムが鳴ると憂鬱そうに、まるで重いものを引きずっているかのように、ゆっくり教室に戻っていった。初めて感情を剥き出しにして去る入江のうなじは、暗い感情とは裏腹に、石英のように輝いていた。  次に入江が私のもとに来たのはそれから一週間後のことだった。その日も普段とは違った。入江は少しやつれた様子で俯いたままトボトボと、それも朝に私のもとにやってきた。私はもう知っている。入江はクラスでいじめられているということを。入江が来なかった間に入江のクラスメイト数人が私のもとにやってきて、 「入江のやつとうとう学校休みやがったぞ」 「ウケる。あいつ弱いなぁ」 と笑いながら話していた。怒りが込み上げてきた。入江をいじめている奴らにだけでなく、いじめの事実を知ってもなお、注意したり大人に言ったりして、いじめをやめさせることができない無力な自分が、何よりも憎くて憎くて仕方なかった。柄にもなく感情的になっている私とは対照的に、入江はただ茫然と座っていた。それは下校時刻まで続いた。その間にも私のもとに色んな人が来たが、入江は何も反応することなく、昼休みにはご飯をしっかり食べ、下校時刻のチャイムが鳴ると何かを思い出したかのように帰っていった。私はどうすればよかったのだろうか。いや、そもそもどうすることもできない。それを私は自覚していた。 (辛くても大丈夫。私がいるでしょ。) いったい何度この言葉を反芻しただろう。けれどももし私が、口に出して言うことができたのならば、すぐにでも言っただろうか。いや、友達になることすらできない私が言うには、この言葉は少々重すぎた。 入江が朝から下校時刻まで私のもとで茫然と過ごすようになってからもう一ケ月が経とうというある日、入江はパタリと私のもとに来なくなった。それからしばらくして私のもとにやってきた数人が言っていた。その人らの話によると、どうやら入江は転校したらしい。  悔しくなった。傲慢かもしれないが、入江に何もしてあげられなかった。けれど私には悔しさを表現する術すらなかった。私には、入江が転校した先ではクラスに馴染めるように、入江を独りにさせたくないという思いを持ち、行動することができる人間と、入江が出会えることを願うことしかできなかった。 スタスタスタ。今日もまた、一つの憂鬱そうな足音が僕のもとにやってくる。この音がなくなることはあるのだろうか。私はあと何度自分の無力さに失望すればいいのだろうか。私はいつまで自分を責め続ければいいのだろうか。きっと、ヒトという生物がいなくなるまでだろう。私は何なのだろう。
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