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魔法のマカロン
桜舞う始まりの季節、高校三年生になって数日が経った。
何年経とうと、私には部活へ行く前に毎日欠かさず会いに行く人がいる。
「もうやめてって、言ってるよね?」
そう、今目の前で私を睨む親友、佐々木 愛だ。放課後になると、私は決まって彼女に手作りのマカロンを渡しに行く。
「今回のマカロンはね、もっと口当たりがよくなるように、メレンゲに力を入れてみたの。きっと、愛にも気に入ってもらえると思う」
今回は味を感じられない愛のために、カラフルな見た目とサクサクなもの、しっとりなもの、いろんな食感のマカロンを用意して工夫した。
お願い、どうか今日こそは愛に食べてもらえますように。
祈るような気持ちで、愛にマカロンが入った紙袋を差し出すと――。
「こんなもの、いらない!」
「あっ……」
バシッと紙袋を持つ手を叩かれた。紙袋は地面に落下し、床にぶつかった拍子にマカロンが飛び出る。
ピンク、黄色、緑色のマカロンが廊下に寂しく転がった。それを拾おうと私がしゃがむと、愛はスタスタと歩いて行ってしまう。
「あーあ、また失敗」
周りにいた生徒たちが好奇の視線を向けてくるけれど、私は気にせず苦笑いしながら愛の背中を見送る。
今日で失敗すること何回目だろう。愛の笑顔を見たいのに、うまくいかないな。
それでも私は、まだお菓子の魔法を信じてる。私を笑顔にしてくれたこのマカロンが、愛のことも幸せにしてくれるって……。
「……また明日ね、愛」
マカロンを拾い終えた私は、そう呟いて廊下を歩く。
ねえ、愛……本当に笑わなくなったね。
前は私の睡眠時間を削る勢いで、お菓子のうんちくを楽しそうに話していた。それには困ったけど、雑音も無いとこんなに寂しいんだ。
「あーあ、また暗くなってる。卒業までまだ一年あるじゃん、明日頑張ろう!」
無理やり自分を奮い立たせて前を向くと、突然「うぅ~」と低い呻き声が聞こえた。
「ひっ、なに!?」
幻聴であって欲しい。愛のおかげで大抵のことには耐えられる鉄のハートを持っているつもりだけれど……幽霊、こればかりは苦手だ。
だって目に見えないものほど、恐ろしいものはないし!
「うう~、う……」
私は声が聞こえるほうへ足を向ける。
怖くてたまらないのに、なんで得体の知れないものほど確かめたくなるんだろう!
矛盾した衝動に怒りを覚えつつ、私は廊下の突き当り、階段に続く角を曲がった。
「ど、どちらさまで……」
そろりと階段の前に立てば、その下の踊り場の隅に体育座りをする男子が一名。
私は「ギャッ!!」と色気の【い】の字もない悲鳴をあげた。
私の声に気づいた男子の幽霊?がゆっくりと顔を上げる。
ぎゃーっ、こっちを見ないでええええ!
ガクガク震えながら、心の中で叫ぶ。
「誰? きみ……」
どんよりとした負のオーラを纏う男子が、こちらを見上げている。
――どうしよう、目が合っちゃった! 呪われる? 私、死ぬの!?
ちょうど日の当たらない場所にいるからか、なお幽霊に見えてしょうがない。
でも、とにかくなにか返事をしないと。幽霊の機嫌を損なって、殺されてしまったらたまったもんじゃない。
「わ、私は……」
「やっぱいいや、しばらく女の子とは話したくない」
――な、なんじゃそりゃあ!?
なんとか口を開いたのに、出鼻を挫いてきた幽霊。すかさず心の中で突っ込むと、私は幽霊くんをまじまじと眺める。
女の子絡みで自殺したとか?
頭の中に【失恋】【三角関係】【修羅場】の文字がいくつも浮かぶ。
想像してもしょうがないし、とりあえず……。
私は恐る恐る階段を下りていき、紙袋から床に落ちなかったマカロンを選ぶと、幽霊の彼の前にしゃがむ。
「マカロンでも食べとく?」
「は?」
当然の反応だとは思うけど、マカロンを差し出すと目の前の幽霊は意味不明だと言わんばかりに口をあんぐりと開けていた。
その顔を見て、あの日と同じだと口元が緩む。
高校一年生のとき、好きな人にふられて撃沈していた私に、愛が空気を読まずマカロンを差し出してきたことがあった。私はあのマカロンに、笑顔にしてもらったんだよね。
「ふふっ、まあ、とりあえず話を聞かせてよ」
私は彼の隣に座る。さっきまであんなに怖かったのが嘘みたいに、不思議とこの幽霊には親近感が持てた。幽霊も色恋に悩んだりするんだなって。
「……笑わない?」
心配そうな声に「うん、笑わない」と言って笑い返したとき、いつの間にか迫っていた太陽の日差しが幽霊の彼を照らす。
「え……あ!」
こ、これは驚いた。まさか、こんなところでまた顔を合わせることになるなんて……。
オレンジアッシュのほどよく遊ばせた髪。この学校の女子の目を惹きつけてやまない整った顔に、モデル顔負けの高身長とスラッとした手足。
ゆるく絞められたネクタイやボタンふたつほど外されたワイシャツ。着崩された制服からは色気さえ感じる。
光の加減のせいか、覇気がないせいか、こんなに近くにいたのに彼だと気づかなかった。いつも放っていたイケメンオーラが消え失せている。
この幽霊――ではなく、男子生徒には因縁がある。
学校一のモテ男、私と同じく高校三年生の五十嵐 旭。『ごめん。俺、女の子はみんな平等に好きだから、ひとりには絞れないんだよね~』と、理解不能な理由で私を振った初恋の男子だった。
旭くん、私に告白されたことなんて覚えてないんだろうなあ。『好き』なんて、飽きるほど言われてるだろうし……。
というか、同じ学年だということさえ知らないかもしれない。こうして顔を合わせても、私を知っているような素振りを見せないから。
そんなことを考えていると、旭くんは右耳に輝く銀のイヤーカフを指でこすりながら、静かに語りだす。
「俺さ、女の子に振られたことってなかったんだ」
――ちょっ、いきなりナルシスト発言ですか。
いろいろツッコミどころ満載だけれど、話の腰を折るのもなんなので黙っていることにした。
「でも、チャラ男とは付き合えないって言われちゃって……」
「でしょうね」
「俺は女の子を平等に愛してるだけなのに!」
「平等に愛すな」
「だって、俺を好きな女の子はいっぱいいるし、ひとりに絞るのは可哀想じゃん」
にっこりと笑って、サラッと言ってのけたチャラ男。
なに平然と博愛主義ぶってんの? あのときからなんにも変わってないな、この人!
「おいイケメン、そこに正座しなさい」
「イケメン? なにそれ、美味しいの?」
げんなりしながらも、旭くんは正座する。ここがあまり使われていない階段でよかった。イケメンを正座させる女子、絵面的に結構まずいから。
「あのね、きみを振った女の子は利口ですよ。よくぞ、正しい選択をした。頭撫でくりまわして、褒めてあげたいくらい」
「ひどいっ、慰めてくれるんじゃないの!?」
「それを期待する前に、自分の行動を見直しなよ。私のことも忘れてるし……」
つい漏らした言葉に、旭くんは目を見開く。
「俺、きみとどっかで会ったっけ?」
ほら、覚えてない。旭くんにとって私は――というより、誰もこの人の特別にはなれないんだ。旭くんがたったひとりの女の子を見つけたいと思わない限り。
きゅっと締め付けられる胸に気づかないふりをして、私は改めて旭くんに向き直った。
「その話は置いといて、旭くんが博愛主義だろうと一応、平等にその子のことは好きだったんだよね?」
「うん? もちろん」
「そっか……失恋って切なくて苦しいよね。私も告白して秒で振られた経験があるからわかるよ」
目の前のきみにだけどね。
燃え上がるほどの熱情が急に冷水をぶっかけられてジューッと冷めてくようなあの虚しさといったら、つらい。
「わかってくれる? 俺の気持ち」
「まぁ」
あなたが元凶だけどね!
それにしても不思議だ。旭くんはモテるし、女の子なんて選びたい放題なのに、ふられたことをこうして引きずってる。
もしかして、本人は気づいていないだけで、その子のことは特別だったとか? いやでも、話を聞くに女の子にふられたのが初めての経験だったから落ち込んでる……のほうが正しいかも。
なんにせよ、イケメンオーラが消えてしまうほど弱っている旭くんをほっておくわけにもいかないし、ここは慰めてあげようじゃないか。
「その胸が切なくて苦しいなら、私のマカロンでも食べて元気出してよ」
「子供じゃないんだから、お菓子なんかで元気になれるわけ──」
「なれるよ、だって魔法のマカロンだから」
私は不敵に笑って、半信半疑の旭くんの口にマカロンを突っ込む。前に、愛が私にそうしたように。
「んぐっ!?」
「想いを込めて作ったマカロンだから」
本当は旭くんではない人にあげるはずだったけど、心を込めて作った。
私のお菓子が、魔法を起こしてくれますように――。
「んぐ……う、うまいっ」
マカロンを飲み込んだ旭くんが感動している。
「ふふっ、でしょ? 夢と優しさに溢れてる甘いお菓子は、世界を救うんだよ」
得意げに返すと、旭くんの視線がじっと私の手の中にある紙袋に注がれているのに気づいた。
「あ……食べたいの? だけど、さっき旭くんにあげたやつ以外は床に落ちちゃって。食べたら汚いから……」
「じゃあ捨てるの?」
「いや、私が食べようかと……」
「なら、俺にちょうだい。それ、失恋なんかどうでもよくなるくらい、超うまいからさ」
くしゃっと笑う旭くんの表情に目を奪われる。
「あっ……」
いい笑顔――。でも、あれ? なんでかな、視界がぼやけてきた。
困惑しながら目元を手の甲で拭うと、なぜか湿っている。そこでようやく自分が泣いているのだとわかった。
親友を笑顔にできなかった私のマカロンが、旭くんを笑顔にした。心を込めて作ったお菓子に宿る魔法、私にも使えたんだ。
「……っ、ありがとう、旭くん」
「えっ、なんで泣いて……というか、どうして俺にお礼?」
きょとんとしている旭くんに、私は首を横に振った。
「こっちの話、とにかく食べてくれてありがとう」
私の心を救ってくれた、さっきまでの無力感が嘘みたいに軽くなった。
自分を信じて、愛にもう一度お菓子への情熱を取り戻してもらおう。
自然と心が前を向いたとき、旭くんが顔を覗き込んできた。
「きみってさ、何者?」
私が 泣きそうになっていたことに気づいていたはずなのに、詮索しないでくれている。興味がないのか、気遣ってくれたのかはわからないけれど、どちらにせよほっとした。
「何者って聞かれると、どう答えていいのか悩むんだけど……。ま、魔法のパティスリーの部長です」
なんとなく、名乗るのはやめた。旭くんに限ってないとは思うけれど、私が告白をしたことを思い出されたら恥ずかしいし。私の中ではもう終わった過去のことだから、掘り返されたくなかった。
「魔法のパティスリー? そんな部活あったっけ? つーか、こんなクオリティーのお菓子作れるとか、部活の域超えてるって。もはやプロだろ、このマカロン」
だんだん調子が出てきたのか、絶賛してくれる旭くんに大げさだなあと思う。愛に比べたら、私の腕はまだまだだ。
私の所属する料理部は、生徒たちの間で『魔法のパティスリー』と呼ばれている。
お菓子目当てにやって来た学生の相談に、乗るようになったのが始まり。いつの間にか悩める学生――お客様が訪れる相談室みたいな場所になっていた。
愛みたいに傷を負ってしまった人が笑顔になれるお菓子を作ること。それをモットーにしていたら、それが活動のメインになっちゃってたんだよね。
やりがいあるし、愛が作り上げた料理部を守りたかったから、こんな形で部活を存続できてよかった。
「お褒め頂き光栄です。それじゃあ、私はそろそろお暇しますね」
ゆっくりと立ち上がり、残りのマカロンを旭くんに押しつける。
「傷ついたぶん、きっとこれから素敵な恋ができるよ」
私の魔法のマカロンを食べたんだから、そうでなきゃ困る。
私のやってることが無駄じゃないって証明してみせてね。旭くんの笑顔がその証明になるから。
「じゃあね」
「バニラの甘い匂い……不思議な子だったな」
階段を下りて部室へ向かう私の後ろで、旭くんがそう呟いた気がした。
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