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日本に大学と名のつく教育機関は、大小取り混ぜて約800校ほどあるらしい。その中で通称「エーサン」と呼ばれる千葉県某市、栄架産業大学はレベルで言えば中の中、もしくは中の下に位置する私立大学だ。
生徒数も設備もごく標準的。あえて特徴を挙げればいくつか実験的な授業を取り入れている学科があるくらいで、要するにわざわざ地方から受験するほどの大学ではない。
そのような理由で、大阪府八尾市からやってきた海東淳(かいとうすなお)という2年生は、この田舎の中流大学では多少特異とも言える存在であった。いや、出身地の問題以上に彼が仲間内から浮いているのはそのキャラクターによるところが大きい。
何しろ滅多に笑わないし喋らない。色白の肌に癖っ毛のもしゃもしゃ頭。わざとらしいほどゴツいセルフレームの眼鏡の奥にはいつも不機嫌そうな眸が鎮座し、人を避けるように早足で歩く。いわゆる偏屈というやつだ。
当然だがそんな彼には友人が少ない。しかし少ないからといって付き合いが全くない訳でもなく、かえって偏屈な彼をマニアックに面白がる人間も存在する。エーサン第2学食でカツ丼(大)を頬張りながら、偏屈王に果敢なる交渉を試みている水谷秀彦という学生も、淳の仏頂面をものともしないマニアの一人だ。
「行けへん言うてるやんけ」
「お前もたまには女と交われよぉ、腐るぞそのうち」
「あほくさ、帰って寝た方がええわ」
水谷はジーンズの尻ポケットからキーホルダーを出すと、淳の鼻先で振って見せた。
「にゃんこ、欲しくない?」
そこにはガシャポン「フルーツにゃんこシリーズ」のレアキャラ、「ドリアンにゃんこ」がぶら下がっていた。淳があと一つでコンプリートする、幻のにゃんこだ。淳は先月からかれこれ5000円は突っ込んでいたが、一向に出現しなかった。仕送りとバイトでかつかつの貧乏学生には大きな投資だ。
淳の眉間のシワがぐっと深くなった。
「ま、自力で出るまで頑張ると言うなら止めはせん」
「ほんま、やらしいやっちゃで」
そう言いながら淳は水谷の手から素早くキーホルダーを奪い、さっさとシャツの胸ポケットにしまう。その仏頂面の口角挙筋がわずかに上がっているのを、目ざとい水原は見逃さなかった。
「受け取ったからには来いよな」
「会費いらんなら行ったるわ」
「ちょ、ちゃっかりしすぎだろ」
「貴重な睡眠時間を割くんや、それくらい当たり前やろ」
ぶっきらぼうに言い捨てて自分の食事に戻ってしまった淳に、水谷は諦めたようにため息をつき、ノートを一枚破るとそこに店の場所と日時を書き付けた。これでも首尾よく行った方だ。
無愛想で人を寄せ付けないオーラに包まれてはいるが、少女漫画に出てくる王子様キャラのような淳のルックスは、女子学生への撒き餌としては効果抜群である。今回のコンパも淳が参加するという条件付きで、水谷は国際学部のアイドルを口説き落としたのだ。たまたまガシャポンで出たキーホルダーと会費で済んだのなら、むしろ安いうちと思わねばなるまい。
水谷はメモを置くと席を後にし、目をつけておいた飲み屋にうきうきと予約の電話を入れた。
「海東くんが全然しゃべってくんなーい」
大学から歩いて20分ほどの区役所通りが、ここらで唯一の繁華街だ。コンパの会場はいかにも若い女が好きそうなイタリアン風居酒屋で、奥の大テーブルには男5人、女4人が交互に座って飲み食いに興じている。
淳の隣に座っている女は、すでに甘ったるいカンパリのカクテルで酔っているのか、それとも酔った振りをしているのか。どちらにしても明らかに淳を口説いているらしく、さっきからしきりにしなだれかかっては振りほどかれることを繰り返している。
「海東、ちょっと相手してやれよー。カノジョ可哀相だろ」
「面倒くさい」
見かねた仲間がヘルプを入れるが、言下に跳ねつけられて場の温度が2~3度下がる。カンパリの彼女は憮然としてトイレに立ち、戻ってくると別の席に移動してしまった。もともと女性陣が一人遅れているので、席がひとつ空いているのだ。
そういえば始まってから1時間近く経つのに、空席の主は未だ現れていない。だったら自分も来なければ良かったと思っていたその時、ちょうど淳の後ろあたりから涼しげなアルトの声が響いてきた。
「ごめーん、遅くなりました!」
「おー、チヨさん登場!」
チヨと呼ばれたその女性が、目の前の集団の女達とは雰囲気が違うことに淳は気づいた。背中の真ん中あたりまであるストレートのロングヘアーは、今どき全くカラーリングの気配もなく、すらりとした長身はシンプルな麻のシャツとブルージーンズに包まれている。
コンパというだけで満艦飾に飾り立てる女が多い中、殆ど化粧もしていないような彼女の表情は、淳にはかえって新鮮に感じられた。
「バイトが長引いちゃって、すいませーん」
彼女は席を見渡すと躊躇することなく淳の隣の空席に滑り込み、店員に「生の中ジョッキ、お願いします!」と注文を入れておしぼりで手を拭き始めた。
「何のバイト?」
淳が自分から口を開いたことに、周囲のメンツが一様に驚いた。乾杯からこの一時間、淳の口から出た言葉といえば自己紹介で名前を言った以外は、必要最低限の単語くらいなものだ。そんな淳がいきなり自分から質問をしたことで、メンバーの興味が一気に二人の会話に注がれた。
「通訳もどき。アメリカ人観光客のガイドっていうか、雑用係に近いかな」
「英語しゃべれるんか」
「うーん、片言に近いけどね。一年アメリカにいただけだから」
そう言うとチヨは大きな口でにかっと笑い、運ばれてきた生ビールのジョッキを豪快に掲げて挨拶をした。
「遅くなりましたが、こんばんは~。瀬川チヨです」
その声で一同グラスを上げたものの、どことなく不自然な空気を感じて、チヨがそれぞれの顔を見渡す。いったい自分は何をしてしまったのだろうか。その理由はチヨではなく、隣のメガネの兄ちゃんにあった。
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