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   コンパの店から駅までは早足で5分足らず。並んで歩くのはお互い癪だったので、大人気ないとは思いつつ道の両端に分かれて目的地をめざした。  淳は改めて道の向こう側のチヨを見て、思いのほか背が高いことに気付いた。ヒールのせいかもしれないが、173センチの自分とそう変わらないようで悔しかったし、股下に見合った速度で歩くのも気に食わない。  一方チヨも先ほど近くで淳を見た時、女の自分よりきれいな顔立ちをしていることに軽い嫉妬を覚えていた。自分などビューラーにはさめないほどまつ毛が短くて悩んでいるのに、あの眼鏡男はバサバサ音がしそうな長くて濃いまつ毛をしていた。許せない。ついでに言うと、そのまつ毛を隠している眼鏡がどうやら伊達らしいというのも胡散臭いと思った。  駅の改札を抜け、お互い同じ方向のホームに足を向けた時点で嫌な予感が二人を襲った。この駅から終点までは、わずか3駅。電車の方向が同じということは、1/3の確率で同じ駅、そうでなくても非常に近い範囲に住んでいることになる。  うんざりしながらホームで電車待ちしていると、10メートルくらい離れた所に立っていたチヨが淳に声をかけた。 「ねえ、ちょっと100円貸して」 「あ?」 「自販機使いたいけど、小銭がないのよ」  コンビニに行けと言いたかったが駅のホームではそれも叶わず、渋々と淳はジーンズのポケットから財布を出すと、100円玉をチヨの掌に乗せてやった。 「ありがとう」  挨拶しろと説教しただけあって、そこらへんの礼はわきまえているらしい。チヨは嬉しそうに自販機のボタンを押すと、ガコンと転がり出てきたジャワティーのペットボトルを取り出した。 「知ってるか、それ大阪の会社やで」  チヨがキャップをひねろうとしたペットボトルを淳が指差す。 「え、そうなの」 「大阪が世界に誇る大塚食品や。ボンカレーもな」 「へえー、ってゆーか海東くんって大阪の人なの?」 「気付かんかったんかい、今まで」 「うん、だって殆ど喋んないじゃない」  チヨは勝ち誇ったように笑うと、ごくりとジャワティーを飲んだ。淳はむっと唸って黙り込む。どうやら只今の勝負は、チヨに軍配が上がったようだ。さっきとは種類の違う沈黙のまま、やがて到着した電車で二人は家路に着いた。もちろん車輌内でも他人のような顔をしながら。  淳がチヨにつかまったのは、それから4日後。 「おー、やっと見つけた、海東くん!」  電車の中で判明した事だが、二人の自宅は一駅ちがいというご近所さんで、当然ながらよく利用する店なども同じエリア内にある。ここは淳が足繁く通う古本屋で、「伽藍堂(がらんどう)」という。ボロいながらも洋書の品揃えが豊富で、暇さえあれば映画を観て過ごす淳が、カルト系作品の雑誌記事を熟読していていたところ、ポンと背中を叩かれた。 「何や」 「何や、じゃないでしょ、こんばんわー。はい、これ。この間借りたお金。ずっと探してたんだ」  チヨはそう言うと淳に100円玉を差し出した。手に持っているのがブランド財布でなくガマ口なのがいかにもチヨだ。聞けばこの100円を返すためにチヨは大学で淳を探し回ったが、学部しか知らなかったので会えずに困っていたという事だった。 「100円くらいええのに」 「それはダメでしょ、借りたもんは返さないと」  義理堅いといえばあまりに堅い。最近の女子大生には珍しい女だと淳は思った。しかしそれより気になったのは、さっきから淳の手元を凝視するチヨの目線だ。やがてチヨは大きな口を三日月みたいな形にしてニカッと笑った。 「アレハンドロ・ホドロフスキーだね」 「知ってんのか」 「うん、2本だけ観たことある」  淳の脳内のどこかで、鐘が鳴るのが聞こえた。 「最初に観たのが『エル・トポ』で、すごい衝撃だったの。その後に『リアリティのダンス』を観た。それもしばらく頭から離れなかったよ」  淳は食いつきたい衝動を抑えて、淡々とした口調で話をつづけた。本を眺めるふりをしているが、もう記事など読んではいない。 「普段は、どんなん観るんや」 「雑食だよ、まだここ数年のマイブームだからね。ハリウッド大作も観るけど、アングラ系も観る。あとはね、好きな監督の映画は何があっても観る」  淳の体にピリリと電気が走った。好きな俳優ではなく監督で観る。それは全く淳と主義を同じくするものだ。それがきっかけで、淳の中のチヨに対する好奇心が増幅した。気がつくと淳はリミッターを外していた。 「ほんなら『ホドロフスキーのDUNE』は観といたほうがええかもな」 「おお、そうなのね。配信サイトにあるかな」 「あるんちゃうか。その前にデヴィッド・リンチの『DUNE/砂の惑星』を観といたら比較できるで。ホドロフスキーがミックジャガーやらダリやらキャスティングして作るはずやった映画が『DUNE』なんやけど、配給会社が決まらんとお蔵入りしたんや。それを後にデヴィッド・リンチが撮った」 「ホドロフスキーの心境は複雑だっただろうね」 「どうやろな。リンチ版は評価ボロカスやったし、やっぱし俺が撮らなあかんと思うたんちゃうか。まあ結局、ホドロフスキーが『DUNE』を撮ることは叶わんかったけど、メイキングというか、関係者の話とか資料を集めて撮ったドキュメンタリーが、『ホドロフスキーのDUNE』や」 「それは観たいかも」 「せやろ」  淳はワクワクとした興奮が体を這い登ってくるのを感じた。まさかこんな古本屋の店先でホドロフスキーの話に花が咲くとは。たぶんエーサンで『エル・トポ』を観たことのある学生は、10人にも満たないのではないだろうか。  チヨもチヨで、普段は友人の誰とも趣味の合わないマイナー映画の話を、食い気味に聞いてくれる人間がいた事が嬉しかった。眼鏡男とはオタクのベクトルが合うのだろう。自己完結しがちなマニアにとって、これは非常に幸運な事だ。
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