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第8話 監獄への道
ジョセフを失い、仮面の騎士達から命からがら逃げ出したナナシが辿り着いたのは、もう夜が明ける頃だった。
騎士たちから身を隠す為、ナナシは木々の間を全身傷だらけになりながらも這って進んだ。
騎士達の存在を示す馬の響きが後方に遠ざかり、ようやく前方に愛しの我が家、あのテントが見えてこようと思われた。
だが,その時である。
ナナシは絶望のあまり、その場でしゃがみ込んでしまった。
ナナシが目にしたもの。
それはごうごうと大きな音を立てて燃え上がる、あのテントであった。
————俺の家が、燃えている?
もはや草木で切った全身の切り傷など、何処かへと消え失せてしまったかのようだった。
だがそれでも頭の中では、誰の仕業か一瞬のうちにして判断することが出来た。
「あの騎士がやったのか……?」
ナナシはポツリと呟く。
そしてその予想は、すぐに肯定される事となった。
「おい、奴を見つけたか!?」
ナナシはすぐに近くの草むらへと身を隠し、声の方向を見つめる。
見覚えのある騎士が、テントの周りをウロウロしているのが見えた。
「いや、いない。どうやら逃げられたようだ」
「ちくしょう! 逃げ足の速いネズミだ。
勇者様に申し訳が立たぬ。
だが、残りの4匹はすでに始末した」
「うむ、それはよくやった」
————な、なんだって。
その時。
ナナシの体が、意思に反して地面へと崩れ落ちた。
——すでに、始末した?
しかも、まだ彼の絶望は終わらなかった。
騎士たちの会話は続く。
「ふん、そのうちの三匹のガキは生意気にもチョロチョロと逃げ回り、そしてその母親は生意気にも抵抗してきやがったがな。
三匹のガキのうちの一匹を殺したら、みんな放心したのか、静かになったよ」
「おいおい、なんだよ、それ。
子供も殺したのかよ、胸糞悪いな」
「まぁ、聞けって。
確かに俺はその後に、女も含めて子供も3人殺した。だが、ここからが本題だ。
奴らの腕には、女神インバダ様を信仰する証であるアニマルのタトゥーが入ってなかったんだよ」
「……つまり、奴らは異教徒だったって事か?」
「そういう訳だ。
女神インバダ様のお力でこの世に生まれた人間という種族であるにも関わらず、タトゥーを入れておらぬという事は、奴らは教えに背く『反逆者』だ。
どうだ? これでも奴らに情が沸くか?」
「いいや、異教徒ならば子供も大人も関係なしだ。
よくやってくれた。
お前は女神インバダ様を信仰する、良き信徒だな」
…………死に際にジョセフは、
『王国で人をやむなく殺し、このトチの森に逃げてきた』と言っていた。
騎士たちの言葉から察するに、アニマルのタトゥーは王国で生まれた子供に必ず彫らせる、いわば女神への信仰の証。
しかし、三つ子であるイナ、マナ、セナはこのトチの森で生まれた子供だ。
だから、彼女達にアニマルのタトゥーは無かったのである。
そんな彼女達を、騎士たちは『異教徒』とみなし、殺した。
————こいつら、狂ってやがる。
ナナシの目からは大粒の涙が溢れ始めた。
あの子たちが一体、何をした?
確かに、ジョセフとニーナは過去に人を殺した犯罪者だったのかもしれない。
だが、あの子達には何の罪もなかったはずだ。
それを…………、それを。
『異教徒』だからという、クソみたいな理由で殺しやがって!
ちくしょう……、ちくしょう!
大声で叫び出したいッ!
この草むらから飛び出して、奴らを全員ぶっ殺してやりたいッ!
ああ、そうだッ! ぶっ殺そう! 今すぐ!
そう復讐心を燃え上がらせ、立ち上がろうとしたナナシ。
だが……、体は動かなかった。
まるで石のように、体が硬いのだ。
「どうして……?」
ナナシはそう、ポツリと呟き、そして気が付いた。
自分は、恐れているのだ。
やつらを。 騎士たち。 そして仮面の男を。
恐怖という鎖が、ナナシの体を縛っているのだ。
——ああ、情けない。畜生ッ! 情けないッ!
ナナシは自分の動かぬ足を手で殴った。
だが、依然として動かぬままだ。
——俺にもっと、勇気があれば! 勇気が!
やがてナナシは全身の痛みに耐えながら、草木が続く細道を、這って進んでいった。
周りの騎士に悟られぬよう、どんなに小さな物音を立てぬよう、最新の注意を払って。
——みんな、すまない! 俺を、許してくれ!
仇を打とうという勇気すら持てず、尻尾を巻いて逃げ出す、この俺を許してくれ!
…………こうしてナナシはこの日、家族を失った。
***********************
それから月日がさらに1年経過した。
王国、インバダから遥か北に位置する刑務所。
その名も『インバダ国立刑務所』。
そこまで囚人を運ぶ為の『囚人護送馬車』の中で、1人の薄汚い身なりをした囚人が、近くにいた1人の刑務官へ声を掛けた。
「おいまだ着かないのかよ、刑務官さん」
まるで内面の卑しさがそのまま顔に出たかのようなその囚人は、ヘラヘラと笑っている。
しかし、彼は知らなかった。
偶然、声をかけたその刑務官が、実はこの刑務所の中に存在する役職の中で『所長』の次に位の高い、『刑務主任』である事を。
しかも、その男が、刑務所の囚人たちから
『鬼の刑務主任ノートン』と恐れられている事を。
「……口を閉じてろ」
鬼の刑務主任ノートンはそう一言、低くうなる獣の様な声を発した。
その声で周りに座っていた囚人達の顔色が青くなる。
しかしその囚人の男は、尚もノートンに向かって絡み続けた。
「なぁ、それぐらい教えてくれよ。
後どれくらいで刑務所に着くんだよ」
この時の囚人の心を代弁するとするならば、それは
『————刑務官に噛み付くオレ、カッコいい!』
である。
しかし過去に何百人といった囚人を相手にし、そして黙らせてきたノートンは、その囚人の心の内を見透かしていたようであった。
「……なぁ、これから入所する新人の坊や。
刑務官に生意気な口を聞く事がカッコいいと思っていたら、それは大きな間違いだ。
刑務所での囚人の扱いは国王直々の命令によって、刑務官に一任されている。
だからお前らを生かそうが、ぶち殺そうが、それは俺らが決める事なんだよ。
分かったら、ちゃんと口にチャックをしておけ。
次は————ないからな」
一見、ノートンの顔は若干の微笑を浮かべていたように見えたのだが、その声には明確な『最後の警告』という意図が含まれていた。
流石のノートンの圧に、思わず囚人も怯えた草食動物のように体を縮こませる。
それを見たノートンはフンッと鼻を鳴らすと、他の囚人を一瞥し、大きな声を上げた。
「いいか! お前ら!
門を前に、ここの『ルール』を教えてといてやる!
すぐに理解できる、簡単な事だ。
ルールはただ一つのみ。
『この刑務所において絶対なのは、女神インバダ様と囚人以外だ』。それを胸に刻め!
…………そして見えてきたぞ」
そう言うと刑務官は馬車の窓から見える、前方の大きな門に刻まれた、文字を指さした。
「ようこそ!
ここ、インバダ王国にただ一つしか存在しない
犯罪者の終点、『インバダ国立刑務所』へ」
そう言い終えると同時に、馬車は門をくぐり終え、門は重苦しい音を立てて閉じた。
————インバダ国立刑務所。
ここが当分『勇者』から身を隠す、俺の隠れ家だ。
最後尾に目立たないようにして座る、囚人となったナナシは、そんな事を心の中で呟いた。
そう。
ナナシはあのジョセフを殺した仮面の『勇者』から身を隠す為に、あえて身分を偽って窃盗で捕まり、この刑務所へやってきたのであった。
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