第11話 夢

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第11話 夢

——いつから僕は、外のセカイを怖く感じるようになってしまったのだろうか。 懲罰房に行くその長い長い廊下の中で、僕は少しばかり考える。 少しばかり前までは、こんな事にはならなかった筈だ。 あの仮面の悪魔、『勇者』に襲われ、家族を殺され、家を焼かれた。 あの勇者という者は、自分の事を『魔王』と呼び、捕まえると言っていた。 つまり、アイツらの狙いは僕だった。 ジョセフやニーナさん、イナとマナとセナは、ただ僕に巻き込まれただけ。 僕が、家族を殺したも同然だ。 この2年という刑務所の中での歳月、あの日を思い出さない日は一度もない。 後悔だってするし、悪夢だってみる。 僕は、最低の男だ。 ああ、そんなことは分かっている。 だがしかし、だからこそ不思議なのだ。 だがトラウマなはずなのは、あの『仮面の勇者の顔』や『家族の死』であって、決して『外のセカイ』ではなかったはず。 どうして僕は、先程マチミヤから言われた『外のセカイ』という言葉に、あれほど胸を締め付けられたのだろう。 僕自身にも、分からない。 そんな事を考えていると妄想の外側から、微かなマチミヤの声が響いた。 ——着いたで。 ******** 二度目だというに、まだ僕はこの懲罰房内の狭苦しい空気に適応することはできなかった。 壁は薄汚れて黒いし、床もなかなか汚い。 しかもこれから僕は、初めて他人に自分の過去を話すのだ。 そりゃ、暗い気持ちにもなる。 しかし、時は待ってくれないものだ。 「さぁ、話してくれへんか。 君の、全てを」 マチミヤはそう、催促する。 しかし、そこには確かな『優しさ』があった。 マチミヤは僕に話をさせようとするのではなく、話を何とかのだ。 僕の精神状態を気遣って、あくまでも。 マチミヤは僕の負担を考えて、辛い記憶を引き出してくれようとしてくれている。 確かにこの男は、昨日会ったばかりの赤の他人だ。 だが。 ——だが、この男には、かつて僕が『家族』と呼んでいた人間達に似たような匂いがする。 僕はその目の前にある温かさにすがるようにして、口を動かし始めた。 忘れていても、大丈夫。 ひとたび(一度)目を瞑れば、まぶたの裏にあの日の光景が蘇ってくるから。 あの日の炎。 あの日の騎士たち。 あの日の仮面。 あの日の悲しみ。 あの日の怒り。 あの日の絶望。 そして、あの日の喪失。 ……気がつけば、僕は全ての過去を話し終え、その目からは涙を溢していた。 正直、正面に座るマチミヤの顔を見る事は今はできない。 全て、彼には知られてしまった。 どんな顔をしているのか、見る勇気が出ない。 家族を見捨てた臆病者で、腰抜けで、弱くて、情けない自分にはもう何も残っていない。 過去の記憶も、勇気も。 そして、家族すらも。 ……マチミヤからの返事は、何もない。 こんなにも至近距離にいるのにも関わらず、僕らの距離は、幾千にも遠いように感じた。 周りの雑音が、何もかも聞こえない。 あるのは、自分の激しい吐息だけ。 人に自分の弱さを打ち明ける事が、これほど苦しい事だとは。 分かっていたとはいえ、覚悟していた事とは言え、無限にも感じるこの無言の時間に、ナナシは押しつぶされそうになってしまっていた。 耐えきれなくなってしまった僕は、やがて僅かに首を動かし、目の前のマチミヤの顔を覗き見る。 「………………」 その顔は————分からなかった。 いや、顔自体は見えるのだ。 だがその顔に一体どんな感情が込められているのか、今のナナシには理解する事ができなかった。 こちらを睨んでいるようにも見えるし、また同情しているように見える。 考えれば考えるほど、そのマチミヤの顔からは様々な感情が読み取れた。 今、彼の思考の中ではどんな感情が渦巻いているのか。 それは彼にしかわからない。 返事を聞かない限りには。 お互いの沈黙の時間は続く。 だがいずれ、それにも終わりは来るものだ。 時間は絶え間なく動き続ける。 そしてその終わりの時間は、やがてようやく訪れた。 「囚人番号7272番君、いや——ナナシ君、か」 ——ナナシ。 その名前を、僕は何年ぶりに他人から呼ばれただろうか。 胸に熱いものが込み上げる。 ジョセフが名付けてくれた、僕の名前。 囚人番号ではない、僕の名前。 「…………ハイ」 まるで反射のように、僕はその言葉に返事を返していた。 そう、まるであの日を思い出す。 ジョセフに川で倒れていたのを助けられ、テントで名前を与えてもらった、ちょうどあの日のような。 僕はその時、首を動かして、 ちゃんとマチマヤの顔を正面から見据えた。 するとマチミヤの口が動き始める。 マチミヤの第一声は、こんな弱い僕を罵倒する言葉でも、失望の言葉でもなく、 「計画変更やな」 だった。 ——け、計画変更? ナナシの困り顔を見て、マチミヤは言葉を言い直した。 「……ワシの脱獄計画、大幅に変更するわ。 君は、タダの協力者やない。 今から、ワシの脱獄メンバーに追加や」 「——それって、どういう……?」 言っている意味が、分からなかった。 僕はただ、自分の過去を話しただけだ。 だけど、マチミヤが発した第一声は僕の過去に対する感想とかじゃなく、。 しかも、僕を脱獄メンバーに加えると。 ますます意味がわからなかった。 ——ふざけているのだろうか。 しかし、そんなこちらの心の内を見透かしたかのように、マチミヤは言った。 「ワシは大真面目やで」 そしてその整った美男子の顔にわずかな笑顔を浮かべ、 「君の過去は、ワシとよぉく似てる。 大切な家族を殺され、トラウマを抱えてる。 だからこそ尚更、君はワシと来るべきや」 しかしその目は決意が秘められていて、彼はキラキラと輝いていた。 「どうして……」 ナナシは、そんな言葉しか喉の奥から絞り出せなかった。 マチミヤは語る。 「ナナシ君。 君は、自分のことを腰抜けやと言ったな? 腰抜けで、弱くて、家族の仇を打てずに逃げ出した、臆病者だと」 「ああ……」 「確かにそうや。 君は逃げ出した、弱い人間や。 この刑務所という場所は最底辺の人間が集まる所やけど、今の君はその中でも最低や。 『ウジ虫』みたいな人間やろな」 「………………」 反論は、出来なかった。 全ては彼の言っている通り。 家族は僕を助けてくれたくせに、僕は家族を 『見捨てた』。 頭が痛い。足が震える。胃も痛い。体が、重い。 僕はクズの人間で、ウジ虫で、最低の……。 「せやけどな、君は大きな『勘違い』をしてるで」 ————えっ。 僕はマチミヤの顔を慌てて見つめた。 そして気がつく。 先ほどまで無表情だったはずの彼の顔に、今度はハッキリとした、『怒り』がある事を。 マチミヤは、僕に、『怒って』いるんだ。 「ワシは別に、君が仇を打たずに逃げ出した事を責めてるんやないねん。 君が『ウジ虫人間』である部分は、その『先』や」 「その先……?」 「ああ、せや。はっきり言うで。 君はな、『囚われてる』ねん。 この刑務所に。 君の心が」 マチミヤは硬く握りしめた自らの拳を胸に叩きつけた。 「……囚われている?」 「ああ、そや。 そのジョセフさんは、勇者に殺される間際、君に何と言っていた? 『勇者に怯えて、死ぬまで塀の中で暮らせ』って言っていたか? 違うよな? 『世界を楽しめ』と言っていたんやろ? 果たして今君は、世界を楽しんでいるのか?」 ズキッ。 僕の脳みそが、刺されたような鋭い痛みを発した。 過去の記憶が呼び起こされる。 ——お前は、俺達のようにはなるなッ! 世界を見てまわれッ! 世界を楽しめッ! ……世界を、楽しむ? 「世界はな、その人の言う通り、広いんや。 ワシら囚人が暮らしてきたのは、この刑務所のほんのちっぽけな場所や。 でもな、世界はもっと広く、そして美しいと、本に書いてあったで。 それこそ、自分の悩みなんて吹き飛んでしまうほどにな」 ————外の、セカイ。 ウツクシイ、ヒロイ。 「君は確かに今は『ウジ虫』や。 せやけどな、ウジ虫はいずれ『ハエ』になる。 そしたら、背中には大きな羽が生える。 俺と一緒にハエになって、外の世界へ飛び出そうやないか。 勇者がどうした。騎士団がどうした。 そんなの、ワシらが外の世界を諦める理由には、一ミリにもならへんわ」 「で、でも。 文献で調べた情報によると、 勇者は『不死の力』を与えられていて、何度殺しても再び蘇るとか…………。 僕は弱いし、そんな化け物にはすぐに捕まってしまいます。 しかも僕は腰抜けだ。 もしあなたの仲間になったとしても、貴方をいざと言うときは裏切るかもしれませんよ? そ、それに…………………………」 ——ああ、自分が嫌になる。 さっきから飛び出す言葉は、全て諦める理由ばかりだ。 自分でもわかってる。 僕の内面など、とっくのうちに腐っているのだと。 考える事はネガティブばかり。 家族を見捨てたあの日の事を後悔はするくせに、いつまでも僕は同じテツを踏み続ける。 体が恐怖で動かなかった、あの日のテツを。 涙で顔がぐしゃぐしゃになってきた。 ああ、変わりたい。 こんなクソな自分なんて脱ぎ捨てて、今すぐにでも変わりたい…………。 と、その時。 「…………君の夢は何やッッ!!」 「……え」 懲罰房内に、かつてないほどの大きな声が響き渡った。 それは初めてマチミヤが見せる、ニヤニヤ顔の奥の激しい激情。 ナナシは呆然とした様子で、彼を見つめた。 マチミヤは続ける。 「ワシの夢は、父の死の真相を突き止める事ッ! そして跡を継ぎ、記者になる事やッ! ……そしたら次は、君に尋ねる。 君の夢は、何やッッ!」 ハッと我に帰った。 ————僕の、夢? そんな事、考えたこともなかった。 勇者から身を隠す事に精一杯で、刑務所で目立たぬように過ごすのに精一杯で、出所命令を拒否するのに精一杯で、毎日の悪夢が見せるトラウマと向き合う事に精一杯で。 毎日を必死に生きる事に精一杯で、そんな事など、すっかり忘れ去ってしまっていた。 マチミヤは続ける。 「君のやりたいことは何やッ! 君の将来就きたい職業は何やッ! 君の理想の人生は何やッ! 君の行ってみたい場所はッ! 好きな音楽はッ! 好きな食べ物はッ! 好きな言葉はッ! ………………君の夢は、何や?」 僕は、答えられなかった。 そこで気づく。 僕は、『カラッポ』だったんだ。 何もかも。 他人に語れる夢も、好き食べ物や音楽の話題も、最近の趣味とかも、何もかも。 僕が他人と共有できるものなど、何も無かったんだ。 …………虚しい。 「君はさっきから、ネガティブな事しか口に出してへんやないかッ!」 「………………」 「明るい言葉も口から吐き出さんかいッ! 好きな食べ物、趣味、音楽。 何でもええわ! 口から吐き出せ! 頭の中で冷凍保存しておくなッ! 君の夢は何や! 夢を語れッ! 他人から笑われるような夢でもええ! 口から外に取り出して、いつでも再確認出来るようにしておくんや! さぁ、言え! お前の夢は、何やッ!」 「——僕の夢は、『夢を見つける事』ですッ!」 ……いつの間にか、腹の底から声を出していた。 目には大粒の涙。 相変わらず顔はぐしゃぐしゃだった。 だけど。 だけど、一つだけ変わった事がある。 それは、胸がスカッとした事だ。 いつの間にか頭の刺されるような痛みも消えており、懲罰房だというのに清々しい気分。 そこで、僕は気づいた。  『僕は結局、自分で自分を縛っていたんだ。』 気がつくと、お互いの鼻息がかかるくらいの距離にマチミヤの顔があった。 その顔は満面の笑みであり、僕に向かってこう言った。 「上出来やんか」 体内の全てに血が通い、目の前の霧が晴れるような感覚。 この時から、僕の『セカイ』はただ一途に、外へと伸び始める事になる。 「人生はな、『逃げてもいいんや』」 「……うん」 「逃げるという選択肢だって、それもまた戦いの一つやろ?」 「……うん」 「でもな、いつだって闘う理由を忘れたらダメなんや。泣いたっていいねん、転んだっていいねん。 『立ち止まったっていいねん』。 せやけどな、『後退』だけはしたらアカン。 逃げてもいいけど、それでも常に『前進』し続けなアカンねん」 「……うん」 「君はワシと一緒に『勇者』から逃げながら、その『夢』を探そうや。 ワシだって、もちろん協力する。 一緒に世界を見て回ろうや、楽しもうやないか。 そして夢を叶えようないか。 夢はな、叶えたいから夢なんや」   「……うん」 「ほな、3日後。一緒に来てくれるか? この刑務所から脱獄し、外のセカイヘ」 「…………もちろん!」 ——そうそう、言い忘れていた。 これは『逃げ』の物語。 勇者は常に僕らの事を狙ってくるし、他にも脅威なんてあげ出せばキリがない。 だが間違いなく言える事が一つある。 これは『逃げ』の物語ではあるが、『後退』の物語ではない。 これは『逃げ』の物語ではあるが、常に『前進』し続ける。 これは、僕達の物語だ。
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