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第7話 勇者が来る
ナナシが家族と出会い、4年が経った。
季節は秋であり、再び今年の冬がやってくる。
川で必死に逃げようとする魚と格闘していたナナシは、不意にガックリと肩を落とした。
魚に逃げられたのである。
そんなナナシを見て、隣にいたジョセフは大きな声をあげて笑った。
「ハッハッハ。
おいおい、泣くなよ。
まだまだ夜になるまでは時間があるさ」
「……泣いてませんよ」
ムッとした顔で、ナナシは答える。
しかしこのからかいも、魚を取り損ねてしまったナナシを励まそうとする、ジョセフなりの優しさなのだと、ナナシには分かっていたのだった。
「まぁ、今度はもう少しドッシリと腰を落として身構えてみるんだな。
魚を突き刺すモリ、なんて豪華な道具、ウチには無いからな。魚を捕まえる時はいつだって手掴みさ」
ジョセフのアドバイスに、ナナシはうなづく。
もうここにきて4年だというのに、魚とりだけは一向に上達する様子がない。
セナやイナにマナ。
あの三つ子の方がもっと上手く魚をとれるはずだ。
それなのにジョセフは、いつもナナシを魚とりに誘う。
これも彼なりの優しさなのだな、とナナシは納得するのであった。
やがて、日が暮れ始める。
結局その日の成果は、ジョセフが捕まえた魚2匹のみであった。
我ながら、情けない。
外見から予想するに、自分の年齢は恐らく20代前半だろう。
それなのに、魚の一匹も取れないとは。
がっくりと落ち込んだ気持ちが晴れぬまま、ナナシとジョセフは帰路へついた。
ジョセフに倒れていた、と4年前に聞かされたトチの森に流れる川。
その流れに沿った細い道を、夕陽に照らされた二つの影が歩いていく。
もし、その姿を他の誰かが目にしたのならば、その二人を親子、または兄弟だと思うに違いない。
事実、二人には血縁関係などなかったのだが,心の底では気持ちが通じ合っていたのだった。
と、その時。
「なぁ、ナナシ。
お前、本当にいいのか?」
ジョセフが不意に、真面目な顔をして話を切り出してきた。
「…………?
一体、何の話ですか?」
「今のこの現状がだよ。
お前には過去の記憶がない。
従って名前も、年も、生まれた故郷も、両親も。
何一つ、分からないじゃないか。
お前がここから去りたい、自分探しの旅に出たい、と言うので有れば、俺たちは止めない。
もう4度、お前の力で冬を越させてもらった。
もう十分なんだ」
ナナシはその言葉を聞いていたが,やがて内から溢れ出す言葉を抑えきれなくなり、ジョセフに向かってこう言った。
「何言ってんですか、ジョセフさん。
俺は、貴方に命を助けて貰ったんです。
あと何度でも、冬ごもりの準備だって手伝います」
しかし、ジョセフも譲らない。
「いいか、ナナシ。
世界は広大なんだ。
お前には世界に羽ばたいて欲しい。
世界の偉大さ、世界の美しさ、世界の楽しさ、世界の苦しさ、その全てをお前に知ってほしい。
どうか分かってくれ、ナナシ。
お前には、俺達の様になって欲しくない」
そう呟くジョセフの目にはどこか虚な闇が見えたように、ナナシには思えた。
——————それは、どういう意味で…………。
そう尋ねようとしたナナシだったのだが、その意図は突然、阻まれた。
突如、飛びきたった矢がジョセフの右腕に突き立ったのである。
「え」
そのあまりの突然の事に、ナナシの口からはそんな1文字の言葉にもならない音が発せられた。
撃たれた当人のジョセフも低い悲鳴を上げ、その場にうずくまる。
矢が放たれた方向に、慌てて二人は目を向けた。
そして、二人は息を飲む。
そこにいたのは、大勢の武装した騎士の一団であった。
銀の鎧を見に纏い、手にはその身長の倍はある程の大きな槍を所持している。
しかし、その中でも特に二人の視線を引いたのは、その大勢の騎士たちの前に馬をたてた、隊長らしき顔に金の仮面をつけた一人の騎士だった。
両眼に細長い穴が開けられており、その両方の穴からは尋常ではないほどの殺気が漏れている。
まるでその悪魔を連想させるような異様な姿から、ジョセフとナナシは体を凍りつかせた。
二人が言葉を失い、呆然としていると、金の仮面の奥からこんな言葉が流れ出てきた。
「とうとう見つけたぞ……、魔王」
魔王とは、いわばこの世界において人間達に一番恐れられている存在である。
約1000年前。
女神インバダの手によって生まれた人間達を殺し尽くした魔物たち。
その魔物たちの頂点に君臨したといわれるのが、魔物たちの王、縮めて魔王である。
その姿はこの世に存在するどんな魔物よりも醜く、そして恐ろしいといわれている。
それからというもの魔王という存在は語り継がれ、童話にも登場する恐怖の象徴となった。
ナナシのことを、この仮面の騎士は、そんな恐怖の象徴である魔王と呼んだ。
突然ジョセフが矢に射られ、謎の騎士達に取り囲まれ、そして謎の仮面の騎士に『魔王』と呼ばれる。
突然のことが重なりに重なって、ナナシには何が何だか、頭がパンクしてしまっていた。
だがただ一つ、言える事がある。
それは、この場から早く逃げなければ危ないという事だ。
「ナナシ、はやく逃げろ!
お前は先にテントに帰って、アイツらを……」
ジョセフが矢傷の激痛に耐えながら立ち上がると、仮面の男へと立ち塞がった。
それを見た仮面の騎士は、途端に凄まじい殺気を二つの穴から放ち始める。
それは反逆を一切許さぬという、激しい怒りの表れであった。
「下郎が! 引っ込んでいろ!」
その怒号と同時に、背後に控えていた側近らしい複数の騎士たちが動いた。
何本もの槍の刃が大きくきらめいて、ジョセフの体を一瞬のうちに貫いた。
その貫かれたジョセフの姿はまるで、貼り付けにされた人形のようであり、やがてその肉体はゆっくりと重力の力に従って地上へと落ちていった。
そんなありさまを、ナナシは喪神したような目で見つめていた。
————ジョ、ジョセフ…………。
体が動かない。
逃げなければ。
家族を、セナとイナとマナとニーナさんを守らないと……。
しかし、意志と反して体は動かない。
ナナシにとってジョセフは、いわば憧れの男その人であった。
いや、男というより『漢』という言葉が正しいだろう。
何よりも家族のことを第一に考え、そして見ず知らずのナナシすらも迎え入れることの出来る器の広さ。
そんなジョセフが、こんなにいとも簡単に殺されたのである。
「ジョ、ジョセフ……」
ナナシの声が震えた。
それはジョセフを失った悲しみ、そしてこの仮面の騎士への抑えがたい恐怖が彼の声を震え上がらせていた。
「今ここで、殺しはしない。
死んで償えるほど、お前の罪は軽くないからな。
だが,女神インバダ様の前へ引っ立てた時、
『殺してくれ』とお前が泣いて媚びるほどの苦しみを味わせてやる」
仮面の騎士の合図で、ジョセフを殺した数人の騎士が馬上から降り立った。
ジョセフの死によって、力の抜けた様子でしゃがみ込むナナシを捕らえる為である。
もちろん、そんな事はナナシにも分かっている。
しかしそれでもなお、ナナシの体は動かないのだ。
それほどまでにジョセフが殺されたという事実は、彼にとっては受け取り難いものなのである。
「……立て」
ナナシのそばにまでやってきた騎士が、そう命じるが,動かない。
「多少手荒でも構わん。縛り上げろ。
女神様は『生かして捕らえろ』とお命じになった。
傷の状態までは問わんという事だろう」
仮面の騎士の言葉に部下の騎士はうなづくと、太い革紐を取り出した。
——俺も、ジョセフのように殺されるのだろうか。
虚な目で、そんな事をナナシは心の中で呟く。
と、その時。
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
家族を守らなければならない、という強い信念が彼の命をつなぎ止めたとでもいうであろうか。
何本もの槍に身体を貫かれたはずのジョセフが、全身から真っ赤な血を流しながらも、震える腰に喝を入れて立ち上がったのだ。
「ジョ、ジョセフ……!?」
これにはナナシも我に帰り、ジョセフを見つめる。
体の傷が痛々しい。
血で服が真っ赤に染め上がり、腕や腹部には槍で貫かれた際にできた穴が開いている。
普通の人間ならとっくに死んでいるはずの重症だ。
ジョセフは体を鬼のような形相で動かすと、ナナシを捕らえようとした騎士の一人を大きく突き飛ばした。
そしてナナシを守るようにして騎士たちの前へ立ちはだかると、しゃがみ込むナナシの方は顔だけ向き直った。
「先に行け! ナナシィ!
俺はコイツらと、ケリを付けてから行く!」
「ジョ、ジョセフ…………」
いつの間にか、ナナシの目からは大粒の涙が溢れ始めていた。
それは、頭の中で分かっていたからだろう。
これがジョセフとの最後の別れである事を。
口から血を流し、苦しさで顔を歪ませながらもジョセフはそれを耐えて耐えて、ナナシの前でその時、最後の笑顔を浮かべた。
そして、まるで我が子に言い聞かせるかのような優しい声で、こう語りかけた。
「いいかァ、ナナシ。よく聞いてくれ。
俺とニーナはな、王国から逃げてきた『犯罪者』だったんだ。
金に困った俺達は、生活の為にかつての友人を殺したクズさ。
だからこんな最北端の何もない森へ逃げ、人目を避けて生活していたんだ。
……俺は子供の頃、世界を見て回るのを夢に見ていた。
なのに現実は、それとはどんどん遠のいていった。
人の目を怖がり、最終的に夢への道を自分で閉ざしちまった。
だから、いいか! ナナシィ!
お前は、俺達のようにはなるな!
お前は世界を見てまわれ! 世界を楽しめ!
俺はァ、お前の事を実の息子のように…………」
しかし、その言葉をジョセフは最後まで言い終えることはできなかった。
「ハッ! 王国で法を犯した犯罪者が。
さっさとあの世は行けッ」
今度は仮面の騎士自らが剣を抜くと、息を飲むほどの凄まじい剣技でジョセフの胸部を一撃に貫いたのだ。
今度こそジョセフの命は完全に尽き、力なく地上へと落ちていった。
だが,そこで仮面の騎士は気付く。
ジョセフの背後に隠れていた筈のナナシが消えている事に。
「…………!!」
騎士の仮面の下から、一筋の血の滴が地面へとこぼれ落ちた。
ナナシに逃げられたという屈辱からくる、抑制し難い激情が彼の唇へと食い込んだのである。
「探せ! 探せェ!
小ネズミ一匹、必ず逃すな!
草の根をかき分けてでも必ず探し出せ!」
辺りに、そんな画面の騎士の怒りの困った怒号が響き渡った。
その声を聞いた部下たちは血相を変えて隊を分けると、逃げたナナシを求めて馬で駆けて行った。
若干の笑みを浮かべながら地面に倒れる、ジョセフの亡骸を残して。
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