二人だけの勝負

1/1
9人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

二人だけの勝負

県議会議員の田辺保氏と会社の署名活動に精を出してくれた仲間に事情を話した四郎は、陸上トレーニングと仕事に明け暮れる日々を過ごしていた。四郎の代表辞退でS県スキー連盟のお偉いさん方もほっとしたようだ。 仕事から帰ると寮母の詰め所に見覚えのある男が立っていた。堀江巌一であった。 「桧山君、先日は妹が出過ぎた真似をして申し訳なかった。女の癖に三人兄弟の真ん中のせいか、鼻っ柱が強くて生意気ですまない。俺は譲ってもらって代表になるのは納得がいかん。勝負してくれないか?もう一度。それで桧山君が勝ったら俺は代表を辞退する」 巌一から一騎打ちを申し込まれて、四郎の闘争心に火が着く。しかし、あの巌一の妹の姿が脳裡を過って言葉に詰まる。巌一は畳み掛けるように、 「二人だけの勝負がしたい」 真っ直ぐに四郎の目を見ている。 「わかりました。受けましょう、その勝負」 四郎も真っ直ぐ巌一の目を見て答えた。 決戦の場所はS県のスキーヤーが練習によく使うスキー場で、ポールを使った勝負。二本の合計タイムで競う。 決戦の当日、四郎はタイム測定係の友人と二人でスキー場に向かい、巌一を待っていると、巌一は小学生の弟と中学生の妹を連れてきた。 「すまんな、留守番してろといっても聞かないもので」 「いや、構いません。俺は四人兄弟の末っ子で気楽な立場ですけど、一家の家長の勝負なら家族が応援に来るのは当然でしょう」 四郎は巌一が小学生と中学生を養いながら、どれほど苦労しながらスキーをしているのか、尊敬の念を抱いていた。だからこそ、絶対に手加減などしない。真剣に勝負することこそが、礼儀だと思った。 一本目の勝負。 最初の急斜面では、筋力がある巌一が素早くポールをくぐり抜け、リードしたかに見えた。しかし、緩斜面に入ると、最短距離でターンすることが得意な四郎が巻き返し、そのままゴールした。 やはり、四郎の強さは圧倒的だった。 二本目も同じように四郎が勝つだろうと、四郎自身も巌一もうっすらと感じ取っていた。 二本目の勝負。 やはり序盤の急斜面は巌一の方が有利。四郎は得意な緩斜面で巻き返そうと、いつもより鋭角を責めた。 巌一との差はすぐに縮まり、四郎は波に乗るように、リズミカルにポールをくぐり抜け、巌一を突き放した。 ゴールまであと少し。 誰もが四郎の勝利を疑わなかった。 残るポールはひとつ。 四郎がターンに入ろうとしたその瞬間、 「お兄ちゃーん!頑張ってー!」 巌一の妹の絞り出すような大声が聞こえた。 四郎はその声に気を取られ、なんとラスト一本のポールに真っ正面から突っ込み、その勢いで転倒、コースアウト。いつもよりスピードを出して鋭角を責めたことが仇となった。 その間に巌一がゴールし、コースアウトした四郎の二本目は大差がついて巌一の勝ち。二本の合計で争う勝負なので、巌一が勝利した。 巌一は四郎に怪我がないか聞きながら、 「まさかわざと転んだりしてないだろうな?」 睨みつけるような鋭い視線で尋ねてくる。 「わざと転ぶなら、正面からポールに突っ込むような危険な真似はしませんよ。勝ちが見えて、油断したのが運のツキです」 四郎は、ゴーグルを額まで上げて、大きなため息をつく。巌一もため息つき、 「国体に出られるのは有難いんだが、あのじゃじゃ馬娘の先が思いやられる」 妹に聞こえないように巌一は四郎に愚痴を吐く。 そして、その年の国体は堀江巌一がS県代表として出場した。結果は32位。巌一は四郎の去年の順位に及ばなかったことが悔しかった。 翌年から本籍地に拘わらず、県内に定住している者の国体出場が正式にS県で決定した。 桧山四郎と堀江巌一は、毎年国体出場の座を賭けて、壮絶なデッドヒートを繰り広げた。巌一の妹と弟が成長するにつれ、巌一は練習時間が取れるようになったせいか、メキメキと頭角を現してきた。 五年間での二人の県大会での勝敗は三勝二敗で、四郎が星1つの差で勝ち逃げした。S県では、桧山か堀江かといわれるほど、二人の実力は飛び抜けていた。 四郎の方が先に引退を決めた。 勝ち逃げといわれようが、のっぴきならない事情がある。 四郎は結婚して所帯を持つのだ。一家の主として、妻を食べさせていかねばならない。 そう、巌一が心配していたあのじゃじゃ馬娘、巌一の妹の富士子は二十歳になり、四郎の妻となる。 縁とは摩訶不思議なもの。 最初に会ったときはなんて健気で兄思いの妹だろうと、四郎には、ただそれだけの感想しかなかった。 しかし、あの国体出場を賭けた、二人だけの勝負で富士子の声援を聞いたときに、四郎の心は激しく揺れ動いた。富士子が兄の巌一を応援するのは当然のことなのに、落胆し、脱力して、真っ正面からポールに突っ込んでしまった。 俺の方が強いのに。 俺の方が速いのに。 俺の方が格好いいのに。 あの日、間抜けな負け方をしたのは、四郎が富士子に恋心を抱いていたからだった。 巌一は世間一般から見ると、かなり気の強い妹の嫁ぎ先を心配していたようで、好敵手である四郎と縁付けようと、細々と気を遣ってくれた。 四郎はどちらかというと、先進的な考え方が好きで、これからの時代の女性はハキハキと物を言い、元気なくらいがちょうどいいと思っていた。 富士子は富士子で、兄と熾烈な戦いを繰り広げている四郎に憧れを持っていた。 全てが丸く収まる縁談だった。 が、しかし。 巌一の末の弟、健三がささやかな結婚式のときに毒を吐いた。 「姉ちゃんなら、もっといい男がいると思うぜ?」 高校生になった健三は一丁前に生意気を言うようになっていた。 四郎は苦笑いしながら思った。 俺は、つくづく憎まれる男だ。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!