戦前生まれの反骨精神

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戦前生まれの反骨精神

ある男は第二次世界大戦が終わる少し前に生まれた。後に防空壕から戦闘機を見た記憶があると語っていた。 その男は四人兄弟の末っ子で、兄弟の中ではただ一人、病弱だった。男ばかりの四人兄弟は、いつも派手な大喧嘩をしては叱られ、ご飯のおかずの取り合いをしては叱られ、とにかく毎日賑やかだった。 上の三人の兄は、運動が得意で地元の野球で名を馳せていた。しかし末っ子の彼は、病弱ですぐに喉を痛めて扁桃腺を腫らすので、土埃が舞う野球には向かなかった。 雪深い東北のF県で育った彼は、野球が得意な兄たちに劣等感を抱き、なんとか自分の得意な運動を見つけようと、高校時代にスキーにのめり込んだ。 近所の誰かが、使わなくなった左右の揃っていないスキー板を捨てようとしていた。それを譲ってもらい、ストックの代わりに近くの工場で鉄パイプを格安で買い取り、新聞配達のアルバイトをして当時にしては高価なスキー靴を買った。 そんな彼は工業高校を卒業すると、東北のF県から関東のS県へと集団就職で引っ越していった。とある工場で仕事をしながら彼は、練習を重ねてスキーの検定を受け続けた。 しかし、検定の基準はタイムだけではない。フォームの美しさ、ターンの質、総合力が求められる。インストラクターまで資格を取ってしまうと、彼は検定や、タイム以外の曖昧な基準で判定される美しい形を求めるスキーに疑問を持つようになった。 彼はタイムで競う、競技スキーの道へと進んだ。ヒョロヒョロと痩せっぽちの彼は、筋力がないので、大回転や滑降などの種目には向かなかった。彼が得意とした種目は回転、小さなターンで競う種目だ。 S県の市大会、県大会と順調に駒を進めた彼は県大会で優勝した。県大会には、同じ工場に勤める、社員寮の仲間も応援に駆けつけてくれていた。 国体出場ということで、工場長、社長からも激励を受け、彼はS県代表として国体出場した。 しかし、国体で彼は全国のトップクラスに到底敵わない現実を知った。 彼の順位は28位。温暖で雪の少ない都道府県のことを考えれば、決して良い順位とはいえない。 S県に戻った彼は、寮の外周を黙々とランニングしながら、一人静かに涙を溢した。社員寮は相部屋なので、一人静かに泣く場所がない。 (もっと…もっと、上にいってやる、絶対に!) 彼は走り込みをしながら、もう次のシーズンのことを考えていた。
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