気弱な僕と写真の話

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僕は写真という物が嫌いだ。 写真に写った自分を見る度に別人のように感じてしまう。 まるで他人。 でも、自分なのだろう。 だろう。 その部分で既に自分と認めていない事を証明している。 だから思う。 写真のように他人に見えているから、僕の意識と他人の感覚がズレると。 まさにズレ。 思った事が微妙に伝わらない。 会話していても少し違った話をされる。 見た感じのイメージを聞いても何だかピンと来ない。 やはり写真と僕のイメージが違うからだろう。 そう視覚的に歪んだ情報が伝えられるからズレが生まれる。 どうしてそんな事になってしまったのか? 真剣に考えた事がある。 自分であったものがカメラを通して別人になってしまう。 もしかするとカメラは異次元の世界と繋がっているのではないか? 或いはレンズの歪みがフイルムやデータに影響を及ぼし別人たらしめているのか? はたまた写真を撮った人間の意識が・・・。 つい酔って友人の晴耕にそんな話をした時、彼は言った。 「自分が嫌いだからそんな風に情報を歪めるのさ」 返す言葉が無かった。 だから僕は写真が今も苦手だ。 いつかこの気持ちを克服できるのか。 でも、その事については余り真剣に考える事が出来ない。
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