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谷口大輔の告白
「ふんっ、俺だって、稲村さんとそんなに変わらないよ。」
谷口は稲村から目を離さないまま、ゆっくりと立ち上がり、足を引きずりながら近くにある椅子に座った。
横に座っていた三好も肩を貸していた。
谷口に殴られたダメージがまだ残っているのか、支える側も支えられる側もフラフラだ。
これもまた、教師としての役割なのかもしれない。
「どういうこと?」
谷口の様子がおかしいと感じたのか、稲村は先程よりずいぶん落ち着いた表情で聞いた。
「すまん、みんなに見栄を張っていたよ。」
「まさか、会社を立ち上げたって話し?」
「いや、会社を立ち上げたのは本当だ。当時はそこそこ波に乗っていたし、たくさんの社員を抱えていたっていうのも本当だ。」
そうだろう。
もし嘘をつくとしたら、もっと大成功したと言うはずだ。
だって、誰も確認のしようがないんだから。谷口の話はあまりにもリアルすぎていた。
「でも、みんなも知ってると思うけど、俺は学生時代から、周りの言うことをなにも聞かずに生きてきた。それは高校を卒業してからも変わらなかった。」
確かにそうだった。
谷口が目立っていたのは、見た目がいいとか、いじめをしていたとかではない。
誰に対しても自分の意見を貫き、絶対に考えを曲げないところであった。
何人かの教師が谷口と口論になって、論破されるところを何度か見たことがある。
よく言えば、自分の信念を貫き通す強さがある。
悪く言えば、周りの意見に耳を傾けない自分勝手なやつ。
若林はもちろん、後者である。
「自分で会社を立ち上げようとした時も、いろんな人がたくさんの話を持ち掛けてくれたけど、俺は耳を貸さなかった。雇った社員だって、昔からの友人に声をかけたり、俺の意見にだけ賛同してくれる人だけを採用した。要するに、イエスマンだな。その結果、最初はうまくいっていた会社も、だんだんと傾き始めて、いまは社員の給料さえ払えない。当たり前だ、俺の経営はすべて独学。おまけに周りは俺のことを注意してくれる人もいない。もう限界だった。退職を希望した社員だって、1人や2人じゃない。残っているのはせいぜいあと5人。そいつらだって、どうなるかわからない。」
容易に想像できる。
新しい会社を始めるとなると、当然そういう話しも出てくるだろう。
社屋をどこに建てるのか?
そこの土地をいくらで買うのか?
資金はいくら借りるのか?
何年でその借金を返す予定なのか?
色々な人間が声をかけてくるだろう。
そのすべてを断り、自分のやりたいように、やりたいことをやって、会社を始めた。
うまくいくはずがない。
どうしてすぐに気が付かなかったんだ。
この男が会社を立ち上げて、成功するはずがないんだ。
結局、若林は谷口のことをなにもわかっていなかったんだ。
もっと早くにこの嘘に気付くべきだったんだ。
そうすれば、もっと違った結果になっただろうに。
足を怪我することもなかったかもしれない。
この足、果たしてどうなるだろうか。
血はもはや出し尽くしてしまったのかもしれない。
切断しなくてはいけなくなったらどうするんだろう?
そう考えると、ほんの少しだけ申し訳ない気持ちにもなってくる。
「でも、明日も仕事があるって。」
「あるよ。まあ、もう仕事という仕事なんてほとんど残ってないんだけどな。借金だけでも、少しずつ返していかないと。」
稲村がほんの少しだけ笑った。
気付かれないように笑ったつもりであろうが、谷口はその顔を見て、稲村を睨み付けた。
「なんだ、谷口も借金があるんだ。わたしと同じだね。」
「落ちぶれた女優なんかと一緒にされたくないな。俺はまだ諦めていない。必ずまた立て直してみせる。」
今度は稲村が谷口を睨む番であった。
落ちぶれた女優、という言葉を聞き捨てには出来なかったようだ。
「わたしだってまだ諦めてない。いつかまた、あの頃の自分を越えてみせる。」
「またそうやって言い訳して、結局なにも生み出せないんだよ。自分はもう駄目なんだって、はっきり言えよ。それでいままで、散々ひどい目に遭ってきたんじゃないか。」
「そんなこと、あんたに言われたくない。あんただって同じじゃない。」
「俺は違うんだよ。」
2人は、キスをするんじゃないかと思うくらいの距離でお互いを罵り合っている。
声量も段々と大きくなってきて、若林と三好はすっかり蚊帳の外になってしまっていた。
結局、谷口も稲村も同じということか。
一度は上に上がったものの、いまはこれ以上下がれないくらいのところまで下がってしまった。
この2人を見ていると、若林は違った意味で自分の方がずっと上等だと思えてしまう。
成功を目指すから失敗をするんだ。
若林のような生き方をすれば、成功はしないかもしれないけど、失敗だってしないんだ。
醜い。
この2人の言い争いは実に醜い。
駄目な人間同士、一緒に仲良く沈めばいい。
まだ若林の復讐は完了していないのに、胸には妙に清々しい風が吹いていた。
「いい加減にしろ。」
昔の担任が、言い争っている2人の声を切り裂くような大声をあげた。
授業中、騒がしくしている教室に何度か響いたことがあることを思いだし、若林の心はほんの一瞬だけ、高校時代に戻ったのであった。
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