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3年1組の真実
目を覚ました時、そこに広がっているのは真っ暗な闇だった。
上を見ても、下を見ても、そこにはなにもない。自分がどこに立っているのか、そもそも立っている自覚さえない。
自分はもう死んでしまったのか、それとも、限りなく死に近い状態なのか、それはわからない。
僕はこのまま、意識がなくなっていくのを待つしかないのか。それも悪くない。
いまの僕にはなにも見えない・・・
いまの僕にはなにも聞こえない・・・
いや、聞こえる。
遠くから、こっちに近付いてくる。
誰だ?
誰なんだ?
「若林。」
谷口の声だった。
クズ林ではないが、間違いなく谷口が呼んでいる。
「若林。」
稲村の声だった。
いつもテレビで聞いていた、あの稲村の声だった。
「若林君。」
三好の声だった。
校長先生ではない、自分達の担任をやっていた頃の三好の声に聞こえた。
「若林、死ぬな。」
「若林、死んじゃ駄目。」
「若林君、還ってこい。」
みんなが自分のことを呼んでいる。
どうして?
僕はみんなに、あんなひどいことをしたのに・・・。
「若林。」
「谷口君、やっと若林って呼んでくれたね。でも、僕はやっぱり、クズ林の方が合ってるんじゃないかな。君は確かに、僕をいじめていたのかもしれない。でも僕は君のおかげで、ひとりぼっちじゃなかったんだ。」
そうなんだ。
いじめといっても、色々なやり方がある。
おそらく一番きついものは、徹底的に無視をすることだろう。
でも、谷口はそうではなかった。
朝からずっと若林に絡んできて、隣にはいつも谷口がいた。
多少、痛い思いもさせられたけど、高校生活を振り返った時、一番に思い出すのは谷口の顔だ。
人と接するのが苦手な若林が、あんなに長い時間、人と一緒にいられるなんて、奇跡に近い。
寂しくなかった。
そんな高校生活だった。
「若林。」
「稲村さん、僕は、本当に稲村さんのことが好きだったんだ。だから、真っ正面から断ってくれて、本当に嬉しかった。君が出ていた番組、全部観てたよ。全部録画もしてたよ。これからも、もっともっと売れっ子になって、たくさんのテレビ番組に出てよ。」
若林に告白された。
こんなことを聞かされたら、誰だって腹を抱えて笑ってしまうだろう。
しかし、稲村は違った。
体育倉庫に呼び出したら、素直に1人で来てくれた。
あんなに取り巻きがいたのが嘘みたいだ。
告白をしたら、真っ直ぐに目を見て、「ごめんなさい。」と言ってくれた。
それが信じられなかった。
断られたショックより、正直に言ってくれた嬉しさの方が上回っていた。
この人は、高飛車で傲慢なんかじゃない。
周りがおだてすぎるから、そうせざるを得なくなってしまったんだ。
自分だけが本当の稲村初美を知っている。
勘違いかもしれないが、それが自分だけの秘密であり、誇りであった。
稲村の活躍は、自分にとって生きる意味であったんだ。
「若林君。」
「三好先生。僕はあの頃、本当に先生のことを恨んでいたよ。でも、先生には先生の考え方があったんだよね。自分のことばかり考えていたのが恥ずかしい。先生に助けを求めないで、自分で何とかしなくちゃいけなかったんだよね。ごめんね、先生。」
若林は三好を恨んでいたんじゃない。
自分の情けなさを、誰かに対する怒りでごまかそうとしていただけだったんだ。
三好はいじめを何とかしようとはしなかった。
でも、いつも若林に優しく接してくれていた。
それだけで嬉しかった。
それが自分の支えの1つだったんだ。
三好は自分の人生にはなにも残らなかったと言っていたけど、それは違う。
15年経ったいまでも、生徒の顔と名前を覚えている、生徒も先生の顔と名前を覚えている。
こんな素晴らしいことが他にあるだろうか。
三好が歩いてきた道には、確実に綺麗な足跡が残っている。
それだけで十分ではないか。
僕はみんなを恨んでなんかいなかった。
それどころか、高校生活を無事に終えることが出来たのは、3人のおかげだったんだ。
そんなことにも気付かずに、自分の心の弱さに負けて、そこから目をそらして、責任を押し付けて、傷つけた。
最低の人間だ。
「若林。」
「若林。」
「若林君。」
3人の声は止むことなく聞こえ続けた。
若林の目から、大粒の涙が溢れだした。
感謝の涙。
懺悔の涙。
後悔の涙。
目の前には相変わらず暗闇しか広がっていなかったが、遠くに光が見えたような気がした。
明るい未来へと繋がる、自分にとっての、明るい光が。
涙は止まらなかった。
3人の声も、止まることはなかった。
(了)
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