お告げの講義 後半

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お告げの講義 後半

 昨日はあれから他の部員が部屋のドアを叩くことはなかった。薄情な奴らめと胸の中に微かな怒りが沸いたのは確かであったが、それ以上に適当なところで切り上げて帰宅するタイミングを完全に逃してしまったことが、今の僕にとっての最大の問題であった。 「まぁ、自由参加って言ったし、しょうがないよね。畑中クン、悪いけど準備手伝ってくれる、よね?」  自分のスマートフォンに届いたメッセージには『必ず来ること。これはお願いではありません』という文言で締められていた。これは半ば強制的なものだと思って早めに部室に来たらこれか。むしろこれは部員達の性格を把握して僕にだけ強制をした邑兎の勝利だと言えるかもしれない。  結局、僕と邑兎は太陽が東の山に沈み、空が藍色から漆黒に変わり星々が輝きを放つまで新入生の勧誘の為の準備に追われてしまった。この時間までいってしまうと最早『講義』どころではなくなってしまったのは不幸中の幸いとでも言うべきか。  なんとか準備を終わらせて解散した後に帰路を這うように歩き、自宅のアパートに帰ったと同時に夕飯も風呂もそこそこにベッドに崩れ落ちた。瞳を閉じた瞬間に意識はそのまま底知れぬ闇へと沈んでいく。  夜が明ければ、朝が来る。地球が自転し公転している以上、それは必ずやってくることだ。この地球が出来てからウン十億年も前から絶えず続けられてきたサイクルであり、映画に出てくるようなとんでもなく大きな隕石か、世界を焼き尽くす核ミサイルが降り注ぐ最終戦争か。それとも敵意を持った宇宙人でも攻めてこない限りは、このサイクルはこれからも続いていくのだろう。 『これは、きっと外宇宙からの啓示に違いない!』  昨日、部室の一番奥で陰りはじめていた春の日差しに照らされながら邑兎が叫んでいた言葉を思い出す。もし彼女の言っていた仮説がその通りであったのなら、人類に危害を加えるような外宇宙の啓示などそれこそ敵意に満ちているのではないか。UFOや宇宙人の研究家達がテレビで某国政府と宇宙人は繋がっている等と語っていたけれど、もし宇宙人、外宇宙からやって来たものが敵意に満ちているならば人類はとっくに滅びているだろう。  気がつくと太陽が西の空から顔を出していた。当然そのままの体勢で睡魔に屈していたようで、まるで死体が蘇ったかのようにゆっくりとうつ伏せの状態から身体を起こす。  充電を忘れた枕元のスマートフォンは、電池が切れる寸前だったが現在の時刻を示し続けていた。今の時間は、午前8時を少し過ぎたところだった。  とりあえず身体を覚醒させよう。重い瞼を必死に開けながらベッドを抜け出して窓へと歩いていく。ほんの数歩だけの距離だが今の僕にはとっては果てしなく長い道程に思えた。   目的地に着き、厚手の遮光カーテンを一息に開ける。薄暗かった部屋に大量の太陽光が入り込み、痛い程に眩しい朝日が僕の身体を照らしていく。更にそのままの勢いで窓も一気に開けると、結構冷たい風が僕の身体を撫でていき、ゆっくりとと冷やしていく。  窓際で身体を伸ばしているうちに、僕の意識は徐々に覚醒していく。無理な体勢で寝ていた為か身体を少し動かすと鈍い痛みが微かに走るが、眠気覚ましと思うことにした。  ふと足元に転がっていたテレビのリモコンに視線がいく。BGM代わりにでもと電源ボタンを押すと、どのチャンネルも最近起きた立てこもり事件の特番を扱っていた。別々の局で同じ情報を延々と聞かされると情報がループしているような感覚すら感じられる。 「そんな事件のこととかどうでもいいから、これ以上食費が上がるのだけは勘弁して欲しいなぁ……」   小さな声で愚痴を吐く。今、世間を騒がせている立てこもり事件も邑兎が騒いでいたお告げ事件も、自分や身の回りの人物が関与していない人間にとってはまるでどうでもいい話だ。それが世間一般の人々の世論ではないか。  そんなことよりも、今の僕の悩みどころは最近の原油高で食費が馬鹿にならないということだ。家賃が安い分だけ増えてしまった食費が大きな要素を占める僕にとってはそれだけが望む事である。  このままのんびりと平日の朝を満喫するのも悪くはないのだが、そろそろ出掛けないと遅刻してしまう。あれだけ準備をして遅刻しました、など馬鹿馬鹿しすぎる。そろそろ着替えて出かけることにした。  アパートから陣内大学まで、徒歩でおよそ15分。このような好条件の物件を提供してくれている邑兎の両親には本当に頭が上がらない。  春の柔らかい風が僕の身体を通り抜けていく。自然に包まれた久我の町には、当然ながら季節を象徴する木々も数々植えられている。出会いの季節である春の木の代表格である桜の花びらも風に乗ってふわりと舞っていく。  風の吹く方向に向かって歩いていく。大学までは交通量の多い大通りを道を歩いていけばそのキャンパスが見えるところまで行ける。市街地の外れとはいっても、若者が集まるこの周辺は小さな雑居ビルや商店街、飲食店などが集まる特に繁栄しているエリアだ。県で最大の都市に比べたら当然まだまだ未熟ともとれる町ではあったが、僕はこの久我を気に入っている。  のんびりと歩いているうちに大学の入り口にある特徴的な造形をしたアーチを通り抜ける。ここを抜ければ、広さ13万平方メートルという広大な敷地を持つ私立陣内大学のキャンパスだ。  キャンパスの中心にある広場には新入生を勧誘する様々な部活やサークルの立て看板や大型のテントなどが設置され、さながら一種のお祭り騒ぎだ。軽音楽部の奏でるロックサウンドが大型のスピーカーから大音量で響き渡り、その脇で料理サークルが力作を道行く人に配ったりするような混沌とした光景がまだまだ朝と言ってもいい時間に繰り広げられている。  棟と棟の間を走る、煉瓦が敷き詰められたメインストリートは野球やラグビー、テニスといったスポーツ関係や、音楽サークルやダンスサークルといった華やかな集まりが占拠していて、部員が少ない上に変人揃いと言われてしまっているオカルト研究部に当てがわれたスペースは奥の方の隅。下手をすれば誰かが来るどころか、視界に入ることすら殆どないのではないかと勘繰ってしまう。  オカルト研究部のスペースには、部室から引っ張り出してきた長机と、昨晩夜なべして作った大きな手持ち看板。少しでも目に入れてもらおうと、僕の殆ど無い絵心で描いた陳腐なUFOのイラストを入れたキャッチーなデザインだ。  UFOと聞いて殆どの人が想像すると言ってもいい無難なアダムスキー型の方がいいと思ったのだが、邑兎の強い要望により円盤型のデザインで描かれたそれは、自分の下手なイラストもあって謎の存在感を放っていた。  そして、机の上には大量の紙束。書かれている内容は歴代の部員が書いたレポートや所見をまとめたフリーペーパーになっているのだが、実際のところ書いたのは殆どが邑兎であった。僕も含めて今の部員も、昔の部員も基本的にはやる気が無い面子ばかりだったようだ。 「おはようございまーす」  そんな簡素なスペースの前に立ち、僕の前の長机を挟んで置かれたパイプ椅子に座る二人の男女に声をかける。 「おはようございます、賢治サン!」  爽やかな声をかけてきたのは、一つ後輩の樋野真嗣(ひの しんじ)だ。4月になったばかりだというのに肌は浅黒く日焼けし、女性が羨むほどにしなやかで柔らかく伸びた金髪。更には沢山のピアスを耳に付け、眉毛を糸のように細くカットしているその風貌。青く派手なスカジャンを羽織った姿は、じめりとした印象のオカルトとは縁がまるで無さそうにもない。逆に海の上でサーフボードに乗っている姿の方が絵になるよう男が、手を振りながら眩いばかりの笑顔をこちらに向けていた。 「いやー、すンませんね、昨日出られなくって。ちょっと論文の提出が間に合いそうになかったもんで。でも、どうにかなりましたし、詫びも込めて今日は1日、ここ任せてくださいヨ!」  大袈裟な身振り手振りをしながら笑う真嗣の隣に座るのは、腕を組み、瞳を閉じたまま動かない赤髪の女性。金髪に染めている真嗣もそうであるが、この陣内大学は服装や髪型が奇抜な生徒が数多く在籍している。その中でも彼女、野々村可南子(ののむら かなこ)の燃えるような赤い髪はどこに行っても目立つ。彼女が何故このような髪色に染めているのか教えてくれないのでわからないが、何か事情があるのだろう。 それはさておき、大きな声で騒いでいた恭平のすぐ隣でも、野々村さんは表情を変えることなく瞳を閉じ続けていた。基本的に彼女は、部室にいる時も殆どこうして腕を組みながら瞳を閉じている。自分の世界に入っているのかと二年前に出会った時は思っていたのだが…… 「……すー」  実際には特になんということはなく、ただ寝息を立てているだけだ。邑兎曰く、『唐突に睡眠発作が訪れるようなナルコレプシーでもない、ただ眠ることが好きなだけの眠れる美女(スリーピングビューティー)って事みたいね』だそうだ。  同年代の学生とは比べものにならないプロモーションを誇る彼女の肺周辺が、呼吸に合わせて微かに大きさを変えていく。まだ4月になったばかりなので、今のこの場に流れている空気は何も被らずに眠るには少々肌寒い。それでも野々村さんは睡眠を続けていく。基本的には眠っている時の彼女は無害そのものなので、彼女が瞳を閉じているときは誰も触れない、触れてはならないというのが部のルールの一つだ。 「寝てる野々村さんは置いといて、うん。じゃあ真嗣、ここは任せた。僕は看板持って人通りの多いところに行ってくるよ」 「了解っス!」  御丁寧に椅子から立ち上がり、背筋を伸ばしながら敬礼をする真嗣につい返礼をしながら、手持ち看板を受け取る。  肩に看板を持ちながらメインストリートを歩いていく。まだまだ午前10時にもなっていないというのに、もう大学の構内はお祭り騒ぎだ。  普段はベンチが置かれている、昼時に弁当を食べる女生徒がたまにいる程度の広間ではヒップホップをスピーカーから爆音で鳴らしながらリズミカルに踊り続ける4人の男女と、それをスマートフォンのカメラで動画を撮影するギャラリー。そこから少し歩いたところにいる、色とりどりのロードレーサーを横に並べてポーズをとる男たち。  流石にそれらを邪魔をするのも良くないのでそこから離れようと歩く方向を変えようとした瞬間、何処からか視線を感じる。視線の主を探しても、人で溢れているこの場ではそれを見つけることは叶わない。 「え」  さらに聞こえてきたのは、何処かで微かに息を呑むような、信じられないものを見たような細い声。それが喧騒の中から微かに伝わってきた。流石にその声は気のせいだと思い、何事もなかったかのように立て看板を掲げる場所を探し続ける。  しかし、やはり視線を強く感じる。今度は僕の背後から感じる視線に訝しながら振り向こうとした瞬間、その視線の方向から小さな声が聞こえた。 「あの、あの、ちょっと、いいですか?」  細く消えそうな声に改めて振り向くと、少し下げた視線にいたのはまだ幼さが微かに残る女性であった。絹のように光る黒い髪を下ろし、後ろで一本に束ね三つ編みにした赤い眼鏡の少女と例えてもいい女性だ。キャンパスで一度も見たことのないので、恐らく新入生だろうか。  眼鏡の少女はおどおどとした雰囲気を漂わせ、時折不安げに視線を逸らしながら僕に向かって口を開く。 「あの、私、貴方の部活に、入りたいんです」  春独特の、花弁を散らす一陣の風が吹き抜ける。春は出逢いの季節とはよく言ったものであるが、僕はどこか不思議な出逢いに内心首を傾げていた。
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