伍 神様とカレーライス

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 夜食にすると言って別の皿にカレーライスを盛る俺を見て、父は「勉強熱心なのはいいがほどほどにな」と言った。  食後にバラエティ番組を見ている家族三人を置いて、俺は盆を持って一足先に撤退した。若干冷めていたカレーはレンジで温め、ポットに入っていたお湯でカップスープも用意した。  部屋に戻ると、本棚を見ていた紫苑がこちらに顔を向けた。 「おまたせ」 「そうですそうです。これです、晃一さん」 「机の横に立て掛けてあるテーブル出してくれます?」 「これですね」  広げられたミニテーブルに盆を置き、ベッドの上に転がっている座布団を床に敷く。 「どうぞ神様、お召し上がりください」 「カレーライス、初めてです。では」  座布団に腰を下ろすと、紫苑は両手を合わせた。腕が上げられてから手がくっ付くまで、指先の動き一つさえ優雅で美しいものだった。 「いただきます」  凛とした声が空気を優しく震わせる。食事を始める際の挨拶の意味や起源には諸説あるが、今この瞬間の俺にとってはこの上なく神聖な儀式のように思えた。  紫苑は合わせていた手を離し、スプーンを手に取ると早速カレーをすくって一口頬張った。 「なるほど、カレーライスとはこのような物なのですね。一つ勉強になりました」  ミニテーブルと直角になる形で、俺はベッドに腰を下ろした。机の前の回転式椅子に座ろうかとも思ったのだが、そうすると床にいる紫苑のことを見下ろすことになってしまう。さすがに神様のことを見下ろすのは不敬だろう。  大切に味わうように、紫苑はカレーを食べている。 「食事は不要なんですよね。食欲はあるんですか」 「神の糧は人の子からの思いです。数多の社を持ち人々の信仰を集める神であれば、数日、数週間、数ヶ月、個神差(こじんさ)はあれど食事の必要はありません。稀に摂る食事も供物なので結局は人の子からの思いなのですが」 「じゃあ、あまり知名度がないとか、祀られてる神社が少ないとか、そういう神様は食事を定期的に摂る必要があるってことですか」 「このカレーライスは食物であると同時に貴方からいただいたものなので、食事と人の子からの供物と両方の役割を果たします。二度美味しいのです」 「美味い?」 「はい、とっても」  最近はずっと木の実や種だったので、と紫苑は苦笑する。どういう食生活なのだろう。鳥じゃあるまいし。  それにしても本当に美味しそうに食べている。見ているとこちらも腹が減りそうだが、先程食べたばかりなので俺の腹にはもう少し我慢していてもらいたい。  枕の横で丸くなっているデフォルメされた恐竜のぬいぐるみを引き寄せ、持て余している手で撫でながら神の食事を見守る。もちもちとしたトリケラトプスは小学生の頃に祖父がくれた誕生日プレゼントである。毛並みはやや乱れてきているが、未だに現役なのでこれからも大事にしたいと思っている。 「紫苑様」 「はい」 「どういった理由で神であるあんたが俺の前に現れたのか教えてもらえます?」  スプーンを置き、スープを一口飲む。 「晃一さん、先程から申し上げようと思っていたのですが」 「何です」 「言葉遣い、崩していただいてもよろしいですよ」 「神様相手に?」 「構いません。慣れていないのです、丁寧な言葉で話しかけられることに」  紫苑はにこりと微笑んだ。  この男は神様なのだ。しかし丁寧に話すなと言う。慣れていない、と。彼の周りにはこれまでどのような人間がいたのだろう。神であるこいつのことを、敬おうという者はいなかったのか。  本神(ほんにん)の要望だ。普通に話すとするか。 「じゃあ、改めて。紫苑様、あんたはどうして俺の前に現れたんだ」 「私は、失われた翼を探しているのです」
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