陸 追い駆ける者

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 栄斗と美幸が五月蠅いので、一時間目終了後の休み時間に日和の元へ向かった。確かに美幸の言う通り、頬杖を突いて窓の外を眺めている日和からはいつもの元気は感じられない。黙っている方がクラスのマドンナなどという肩書にはぴったりだと思うが、こいつはにこにこへらへらしている方が似合っている。 「日和」 「朝日君。どしたの」 「こっちの台詞だ。なんか元気なさそうだけど」  分かる? と言って日和は溜息を吐いた。 「ユキがね、元気ないの」 「インコが?」  ペットと飼い主は一心同体以心伝心とか、そういうやつだろうか。否、東雲日和はノーインコノーライフである。それ以上なのだ。  一番窓側の列である日和の席からは外の様子がよく見える。電線にはスズメが三羽留まっていた。ちょこまかと動き回りながら徐々に上の電線に移動しているようだ。  スズメの動きを目で追いながら、日和は「うーん」と唸る。 「夕立がね、来なかったんだ今朝」 「いつもは来るのか」  日和は頷く。 「夕立はいつも月水金の朝には必ず来るんだよね」 「曜日を分かっているってことか、あのカラス」 「たぶん燃えるゴミの回収日を目安にしてるんだと思うんだけど。それで、今朝は来なかったんだ。だからユキがしょんぼりしてて。ユキの元気がないとあたしも心配で心配で」 「鳥の気まぐれじゃないか?」  窓の外へ向けられていた目が俺を見る。分かってないなあ、と言うように若干呆れているような馬鹿にしているような目だ。マドンナの幻想を抱いているやつらには見せない方がいい顔だと思う。 「夕立は律儀で真面目で紳士だからね。去年の夏に戻って来てからはちゃんとかかさず来てた。また何かあったんじゃないかって、おじいちゃんも心配してて……」  去年の夏に何かあったのか。  そういえば、酷い雨が降った日があった。ゲリラ豪雨だろうかと報道されたあの日、ブナ林に住む動物達にもそれなりに影響は出ていただろう。その際に夕立の身に何かがあったのかもしれない。また、戻って来てから、ということは夕立は一時期ブナ林から離れていたようだ。それ以降は定期的に訪れている、と。  水曜日に来てくれるといいんだけどね、と日和は言う。日和もおじいさんも、本当に鳥が好きなのだな。  窓から入る日差しが遮られ、ふいに視界が暗くなった。しかし日和は全く気にしていない。 「朝日君……?」  俺は窓の方を見て息を呑んだ。教室の窓に巨大なクモが貼り付いていたのだ。八本の脚をしっかりと広げて体を支え、八つの目で俺を捉えている。通常ならばあり得ない大きさであることに加え、日和に見えていないことから考えるとおそらく妖なのだろう。 「けへへ、見付けた。ミツケタ。みつけた。翡翠の瞳。間違いない。アレガ、ひすいのげき」  先日の旧鼠を含めて、これまで出会ってきた妖の大半はいたずらをしかけてきたり遊んでほしいと絡んできたりする者だった。稀に大型の妖に「美味そうだな」と追われることもあったが、結局はただの追いかけっこに終わっていた。しかし、このクモはそんな妖達とは比にならない邪悪な気配を帯びていた。興味や関心のために俺を見ているのではなく、明確な敵意と食欲を持って睨みつけているのだ。  八つの複眼の下で裂けてしまいそうなくらい大きな口が笑っていた。クモが持っているとは思えない鋭い牙が無数に並んでいる。 「クウ。食べる。ヒスイノゲキ、たべる」  かさかさと窓を這い回りながら、クモの妖が姿を消す。諦めて帰ったのだろうか。気になることを呟いていたが……。 「朝日君。朝日君っ!」 「あっ」 「大丈夫? 顔色悪いけど」  日和が心配そうに俺を見る。元気なさそうだなとこちらが声をかけたのに、構図が逆になってしまった。 「あ、あぁ。何でもない……。夕立、来るといいな」  心臓がいつもよりも早く鼓動を刻んでいた。手の震えを悟られないように、ズボンのポケットに突っ込みながら自席へ戻る。  面と向かってあれほどはっきりと「食べる」と言われるのは初めてだった。妖は時に恐ろしい存在であるということを忘れてはいけないな。  二時間目の準備をしながら、妹が友達に借りたのだと言って見せてくれた漫画のことを思い出した。人ならざる者を見ることのできる主人公は日々妖に狙われ追い掛け回されていて、その時には自分は彼とは違うと安心したのだ。あの主人公が毎日見ているのはこの景色。食べてやると言われてよく耐えていられるな。それとも耐えられるから主人公なのだろうか。俺はなれそうにないな……。
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