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壱 旧鼠と卵焼き
その日、俺はこの十七年の人生において初めて女子のスカートを掴んでしまった。誤解されそうなので付け加えておくと、まだ捲ってはいない。
事の発端は一匹のネズミだった。
昼休みである。弁当箱の蓋を開けた瞬間、颯爽と机の上に現れたネズミが卵焼きを掻っ攫って行った。もちろん俺はそれを追った。廊下を走っていたネズミが布の陰に消えたのを見て、追い込んだと思った。袋のネズミだ。しかして、俺が掴んだのは、星影高校指定制服の青いチェック柄のスカートだったのだ。
動物というものはどこにでもいる。水の中、森の中、雲の中、至る所にいる。なので、あの子のスカートの中にいたとしてもおかしくはない。
……いや、おかしい。
「……朝日君……?」
不機嫌そのものの声が俺に投げかけられた。俺は咄嗟にスカートから手を離し、ぎこちない笑みを顔面に貼り付ける。
「えっ、あ、ごめん。ゴミが付いてて……」
「……ふうん?」
ちらりと床に目を遣ると、卵焼きを抱えたネズミがしたり顔で俺を見ていた。おまえの所為だ。おまえが俺の卵焼きを奪うからこのような事が起こってしまったのだ。
「は、はは、びっくりさせてごめんな」
そう言って俺は教室に逃げた。クラスの中で当たり障りのない位置に留まり、必要以上に目立つことは避けてきている。ただでさえ俺は注目されるのだから余計なことには巻き込まれたくない。女子のスカートを掴んだなどという話が広められるわけにはいかないのだ。長居は無用。
席に戻ると、向き合って昼食を摂っていた栄斗がにやにやしながら待っていた。
「晃一も隅に置けないよなあ」
「どういう意味だ」
卵焼きが消えた弁当をつつきながら、俺は栄斗を睨む。栄斗はメロンパン片手に廊下の方を見ていた。この腐れ縁幼馴染みはあまり弁当を持参してこない。今日も購買で買って来たのだろう。
「クラスのマドンナ東雲ちゃんのスカート鷲掴み」
「変な言い方をするな。あれは不可効力だ」
俺は冷凍食品のカップ入りグラタンを掻き込む。
「だってネズミが……」
しまった。咀嚼に集中して言葉を濁すが、時すでに遅し。栄斗が怪訝そうに俺を見た。紙パック入りのミルクティーを飲んでいたストローから口を離し、パックを机に置くと俺と視線を交わらせる。
「ネズミ? 何訳の分からないこと言ってんだよオマエ。弁当箱開けて、いきなり走り出したんだろ。そのうえ東雲ちゃんのスカートを掴むとは……」
これ以上の言い訳は無駄である。栄斗が言っていることは間違いではないのだから。俺は「この話はもうやめよう」という意思を表すために黙々と食事を続けた。不審者を見るような目付きをしていた栄斗も、俺の様子を見て追及は諦めたようであった。
栄斗の目には彼の言った通りに見えていたのだ。なぜなら、彼には卵焼きを抱えたネズミが見えないからだ。あのネズミはおそらく旧鼠の類だと思われる。すなわち、ネズミの妖。妖怪である。
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