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飴智警部補があとを引き継いでいった。
「それでもあなたは三時間以上滞在していたようですが」
「そうですね。それからすぐにシャワーを浴びてくるというので、テレビを見ながら待ってました。髪を乾かしたり1時間くらいはかかってたでしょうか」
「美容液をつけたりとか?」
「そうでしょうね。そっち方面は詳しくないんでよくわからないですけど」
「美容液をたっぷりつけたためか、顔に枕カバーの繊維がたくさんついていたのですが、すぐに就寝したのですか」
「いえ、テレビを見ながらスマホいじって、アイスとか食べてました」
「夕月さんはキッチンへ向かったのに、テーブルの上のタッパーには気づかなかったんですかね」
飴智警部補のいやらしい言い方に不快感を示したものの、瀬尾は忌々しそうにいった。
「……彼女にとってはもう興味がないものだったんですよ。カップラーメンとかジャンクフードとか、チョコレートとか、今まで食べてこなかったものに異常に惹かれるようになって」
「それからテレビの前でふたりでゴロゴロと?」
「まぁ、そうですね、なにをするってわけでもなく」
「瀬尾さんが帰るときもまだ就寝せずにいたんですか」
「逆ですよ。彼女は11時を過ぎたころに薬を飲んでもう寝るからって。最近ではそれが帰れっていう合図みたいになってて。さっさとベッドに潜り込むものだから、そのまま眠って鍵が開いたままだと不用心なんで、彼女の鍵で施錠してポストに入れて置いたんです」
実は防犯カメラはエレベーターやエントランスにはあったが、各フロアには取り付けていなかった。
だから施錠をしたのが誰なのかはっきりとしなかったが、一階の集合ポストに瀬尾が何かを入れているのは確認できていた。
「二日くらい前にもそうやって帰ったから、防犯カメラにも映ってたでしょ」
「36時間で上書きされていくので、二日前のことまでは知りませんでした」
「そう……なんだ……」
いつもと変わりのないように行動をとっていたのかもしれないが、当てが外れたような言い方だった。
「ところで夕月さんはいつも何も身につけずに寝ているのですか」
「いえ、パジャマを着てますよ」
「ああ、枕元にたたんであった」
「ええ、それは僕が買ってあげたんです。シルクはしっとりして肌にもいいから、夏でも長袖長ズボンで寝るように」
「たたんであったのを見たんですか?」
饒舌だった瀬尾の言葉は途切れ、表情を変えぬ飴智警部補を見つめ返していた。やがて決心したのか瀬尾は口を開いた。
「僕が、たたみました。彼女が自分で脱いだので」
「どういうことなのかうかがっても?」
「僕を追い返すためにわざと睡眠薬を飲んでいるんだろって、また口論になって。そしたら彼女がわたしを抱いたら満足して帰るのって、わめきながら服をそこら辺に脱ぎ散らしてベッドに入っていったんです。僕が、そんなことしないことはわかっているのに。だから、服を拾い集めて彼女の枕元に置きました。僕はそのまま帰ったので、彼女がそのあとどうしたのかはわかりません」
「夕月さんは裸で、素足のまま冷蔵庫に遺棄されていました。夕月さんはきれい好きで、床も拭き掃除をしたばかりだったようで、寝室から冷蔵庫まで自分で向かったのなら、足跡が残っているはずなんですよ。でも、夕月さんの足跡は残っていなかった」
「ルームシューズをはいて移動したのでは?」
「ルームシューズはベッドの脇にそろえて置いてありました」
「ベッドに?」
瀬尾は純粋に驚いているようだった。
どういうことだろう。
瀬尾は冷蔵庫の前にルームシューズを置いていたのだろうか。
そうだとしたら、第一発見者の近藤ふみが気がついているはずだ。
近藤はテーブルの上に冷蔵庫の中に置いてあるものがずらっと並んでいて、それを不自然に思って冷蔵庫へ向かっている。
冷蔵庫の前にルームシューズが置いてあったらなおさら胸騒ぎがする――いや、そうだろうか。
夕月朱莉が冷蔵庫で発見されたためにそんなふうに想像したが、普通は人が入っているとは考えもつかない。
それに、書き置きが置いてあったことに気づかずに、キッチンカウンターを通り越して一直線に冷蔵庫へ向かったようだったし。
キッチンにスリッパが置いてあったとしても気にとめないものかもしれない。
わたしだってキッチンにミトンが置いてあったか聞かれたところでわからなかった。
どちらにしたってルームシューズはベッドの脇に置いてあった。
誰かが移動させたのだとしても、瀬尾が犯人だとしたらそれが指摘できない。
「夕月さんが誰かによって冷蔵庫まで運ばれたなら、夕月さん本人が内側から玄関の鍵をかけることはできません。夕月さんを冷蔵庫に閉じ込めた誰かが立ち去るときに、鍵をかけるしかないんです」
「そっか……。ふぅん、そうなんだ」
瀬尾はひとり納得したように悲しげな笑みを浮かべた。
「刑事さんも人が悪いな。わかってたなら最初からそういってくださいよ。僕だって、なにがなんでも隠し通そうとは思ってなかったですよ。ただ、僕なんかが彼女を殺したら、週刊誌が面白おかしく騒ぎたてるでしょ。刑事さんだってそう思ってましたよね」
夕月の恋人と聞いていたので、女性っぽさが残る瀬尾に会い、本当に本人かと思ってしまったのは確かだった。
「いいんですよ。いいんです。だけど、僕が殺したというより、彼女が自ら命を絶った方が夕月朱莉らしい美しい死に方じゃないですか。そのほうがいいと思っただけですよ」
「どうしてこんなことに……」
わたしがつぶやくと瀬尾は力強くいった。
「彼女はもはや僕のすべてを拒絶していた。いろんなことが巡りに巡って一周して、彼女は普通の恋愛がしたいといってました。彼女にとっての普通とは、結婚して子供を産むことです。僕ではその普通が成立しないから。彼女が自分で裸になったのは本当です。気がついたら彼女に覆いかぶさってて、枕を……」
脳裏におぞましい残像が浮かんだのか、そこまでいうと目を閉じて唇を震わせた。
「服を着せるのは手間だし、裸のままのほうがそれらしいとおもって、冷蔵庫に運びました。窒息したなら、冷蔵庫で窒息したように見せかけられそうだったし。あのメッセージは後輩が冗談で言ったことを悪ふざけで書いたといってました。SNSにもアップして。でも、いい気分じゃなかったでしょうね。年増っていわれているようで。だから、怨念みたいに机の奥底にしまいこんでいたんですよ。それで、今までのやり方から考え方からなにもかも捨てて、新しく生き直す。あとは僕だけだったんですよ。僕を捨てれば……」
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