第2話 美しき死体

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「そういえば……」  と、ダイニングの煩雑なテーブルの上を思い出した。 「テーブルの上に作り置きがいっぱいありましたよね」  わたしはほとんど自宅で料理をしないので、持って帰りたいくらいだったが、さすがにこの暑さで長時間常温で置いていたものを食べるのはよした方がよさそうだ。  わたしがいうと、近藤ふみは「朱莉さんが作ったものではないと思います」ときっぱりといった。 「昨夜も、そのお付き合いされている方は来たんでしょうか。作り置きがタッパーに詰まったまま減っている様子がないので、作ったばかりという気がしますが」 「どうでしょう。そこまでは」  なにも聞いてないのか近藤は首をかしげた。  それはそうか。  近藤はきのうからずっと沖縄に滞在していたのだし、昨晩、先輩が恋人と逢瀬しているとか、正直興味ないだろう。 「小柳くん」 「はい」  飴智警部補に呼ばれ、思わず背筋を伸ばす。質問の内容がよくないと、たしなめられるのではないかと身構えた。 「佃煮海苔のことも聞いておいたら?」 「え?」 「美容にいいかもしれないよ」  内心、「ええっー!」と大きな声を上げた。  いいのだろうか。そんな無駄話。 「佃煮海苔がどうしました?」  近藤のほうから尋ねてきたので仕方なく聞いてみる。 「佃煮海苔って、美容にいいんですか。なんか、それだけちょっと浮いているというか、食の好みと違うように思いましたので」 「ああ、それですか。美容にいいかは知らないですけど。たぶんそれはわたしが千葉の房総へ行ってきたときのお土産として買ってきたんです。あまり興味なかったみたいで、嫌がらせかと勘違いされたのかもしれないですけど、冷蔵庫入れといてっていわれたので、しまっておきました。食べていたみたいですか?」 「いえ。減ってはなさそうです。あ、別に海苔になんか小細工したとは考えてませんからね。気にしないでください」  近藤は再び沈んだ表情になってボソッとつぶやいた。 「あ……。わたし、やっぱり疑われてるんですか」 「いえいえそんな。近藤さんにはアリバイがありそうですし、夕月さんが亡くなられた状況をこちらもしっかりと把握しているわけではありません」 「ええ、そうです」と飴智警部補が続ける。「こちらもなにかわかりましたら連絡しますので、気になることがありましたらいつでも連絡をください」  とりあえず我々はおいとますることにした。  部屋の鍵は近藤ふみが持っているし、そのあとのことは事務所がなんとかするだろう。  玄関まで来ると飴智警部補は立ち止まった。 「どうしました?」 「これはどう思う?」  指さしたのは壁に掛けられたオブジェのようなものだった。 「これ、見たことあります」  少し力を入れてさわるとぐにゃっと形を変えた。  金属でできているのだが、すごく柔らかい素材だった。銀色の1枚の板からできたシンプルな物だ。  七夕飾りにある、折り紙に切り込みを入れてつくる投網のようで、編み目を伸ばし、自分で好きな形を作れる。  それを胸の高さぐらいの場所に、ハンモックのように壁に掛けてある。握りこぶしが入るくらいの大きさだろうか。 「これに物を入れるとしたら、鍵だろうね」  たしかに、そうだろう。  玄関には作り付けの収納扉があるが、下駄箱など何か上に物が置けるような家具は置いていない。決められた場所に鍵を置いておくとしたら、ここしかないってくらい適切な場所だが、何も入っていなかった。  近藤ふみは鍵がかかっていたと証言している。  夕月が内側から自分でかけたか、それとも誰かが夕月の鍵を持ち出して……。  飴智警部補のスマホが鳴った。  金属音が響いているような昔ながらの呼び出し音だ。警報を思わせるような音で、実のところ落ち着かない。  ただ、常に緊張感のある現場ばかりなので、緩み始めた気持ちを引き締めるためと思って密かに身を正している。実際、かかってくるのはいつも仕事がらみで、飴智警部補がプライベートな連絡を受け取っているところを見たことがない。  相手は鑑識の桑田さんだった。「……ああ、ちょっと待て」とスマホを耳に当てながらリビングの方へと向かった。  わたしもあとをついて行く。  ダイニングテーブルではエセネコが寝そべっていた。  桑田さんはテーブルの上のものをすべて持ち帰ってしまったようだ。  夕月朱莉はテーブルもきれいに磨き上げていただろうが、冷蔵庫の中に置いてあったものが置かれていたので、跡がくっきりと残っている。  当然ながらエセネコの毛皮ではモップのようにはならないらしい。  ゴロゴロと退屈そうに行き場をなくしていた。幽霊の時間の過ごし方を考えてみたこともなかったが、案外と暇そうだった。  飴智警部補はまっすぐ突き進み、キッチンの前に立ち止まった。 「黄色いミトンだな……わかった」  電話を切ってわたしを振り返るといった。不意打ち過ぎてドキリとする。 「ビニール袋は持ってるか?」 「はいっ」  わたしはカバンを引っかき回して、ミトンが入りそうなジッパー付きの袋を取り出した。 「佃煮海苔の瓶に黄色っぽい繊維がついていたらしい。それでここで撮影してきた写真を見たら黄色いミトンがあったからそれと照合したいんだと」  桑田さんの現場に対する嗅覚は並ではない。 「ミトンでつかんだということでしょうか。開かないビンを開けるにしても余計に滑りそうですが」 「ほかの目的に思い当たったからこそだろ」  どんな?と聞き返す前に袋を開けてさしだした。  飴智警部補は手袋をはめた手でキッチンパネルに吊り下げられていたミトンを取ると、袋に入れた。 「冷蔵庫の中身をこれで取り出した人物がいるってことだよ」
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