第2話 美しき死体

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 エセネコが撫でていた佃煮海苔の瓶が突破口になろうとは。  テーブルの上に並べられていた冷蔵庫の中にあったであろうものの中で、唯一、亡くなった夕月朱莉の指紋がついていなかったのが佃煮海苔の瓶だった。  近藤ふみの話しでは夕月がさわることなく冷蔵庫に入れたというので、佃煮海苔の瓶は夕月が直接ふれることなく取り出されたことになる。  夕月がわざわざつかみにくいミトンをはめて物を取り出すのは考えにくい。  やはり、誰かが自分の指紋がつくことを嫌ったということになる。  そのほかの物では、作り置きのタッパーにとりわけ第三者の指紋がべったりとついていたという。  これはおそらく夕月の恋人だ。  料理を作って自分で冷蔵庫にしまったのだろう。  防犯カメラの映像からも、前日の午後8時から11時半くらいまで滞在していたことがわかっている。  いろいろなことを勘案するとその恋人が遺体遺棄に関わっていた可能性が高かった。  恋人の名前は瀬尾広海。  持ち込みの原付バイクでデリバリーのアルバイトをしているという。  特定の店舗で雇われているわけでもなく、流しのように依頼があったら駆けつける仕事の取り方をしており、居所がつかめないので自宅で待ち伏せることにした。  築年数も相当経っている2階建てのアパートは、そろそろサビ止めでも塗り直しておかないと崩れそうなほどに塗装が剥がれてぼろぼろだった。  夕月朱莉のマンションまでバイクで10分程度といったところか。  法定速度を守らないならもっと早く着くだろう。  さほど離れてはいないが、まったく違う環境で生活をしていることに少々驚いた。  帰宅したのは夜8時を過ぎたころだった。  防犯カメラにも映っていたのと同じ大きなボックスを背負っている。  ゴミ集積所のそばにバイクを停めたところで飴智警部補が声をかけた。 「瀬尾広海さんですか」  フルフェイスのヘルメットを取った瀬尾は、短髪を軽く撫でつけてこちらをいぶかしそうに見た。  目つきは鋭いが、短く刈り上げたというよりはベリーショートというほうがふさわしいほど女性的な顔立ちをしていた。  警察手帳を見せると警戒心はそのままに「なにか?」と抑揚なくいった。 「夕月朱莉さんのことでお話しをうかがいたいのですが」  どこかで夕月のことを聞いていたのか表情を変えることもなく小さくうなずいた。 「ここでもよろしいですか?」 「え。ああ、じゃあ……」  深い時間ともいえないが、通りから外れた場所なので話し込んでいたら目立ちそうだった。  瀬尾はヘルメットを抱えてアパートへ向かった。  飴智警部補と顔を見合わせる。  ついていったら203号室の鍵を開けて入っていった。  瀬尾広海であることは間違いないようだった。 「どうぞ」 「失礼します」  わたしたちは狭い玄関で並んで立ち尽くした。  玄関の脇はすぐキッチンで、ワイヤーラックに調理家電や鍋、調味料や透明の密閉容器に入った各種食材がぎっしりと並べられてあった。  キッチンと部屋は間続きになっていて、奥にベッドが置かれてある。  夕月と同じようにシンプルなインテリアだが、おしゃれさとは無縁の無個性で無味乾燥な部屋だった。 「お茶でも出します?」  といっているものの、瀬尾はキッチンに置かれた小さなテーブルに荷物を置いて微動だにしなかった。  それなりの客にはこだわりのお茶をうんちくでもいいながら出しそうだったが、そんな様子はみじんもない。  飴智警部補はかぶりを振った。 「いえ、ここで結構です」 「それで、なにか?」  瀬尾は本当に恋人なのか、何から何までそう思わせた。  悲しみに打ちひしがれている様子もなく、ただ淡々と事実を受け止めていつもと変わりのない一日を過ごしていたように見えた。 「夕月さんのことはどなたから?」 「マネージャーさんです。あなたとの関係も警察に伝えたからと」 「夕月さんと最後にあったのが瀬尾さんだったようなので、その時の様子を教えていただきたいのですが」 「様子といっても……」  漠然と聞かれても、本当に何から伝えていいのかもわからないのだろう。  落とした視線がうつろに漂っている。 「8時頃到着して、マンションの前で待ってましたよね。合い鍵は持っていないんですか」  飴智警部補が聞くと、瀬尾はどうして知っているのか聞き返すことなくすんなりとうなずいた。  防犯カメラを解析されていることぐらいは承知しているようだ。 「スペアを自分では作れないタイプだから、ひとつは事務所に渡してるらしいです。彼女、朝が苦手なんです。僕も仕事あるし、部屋まで起こしに行ってあげるとか、さすがにそこまでできないんで、仕方ないなって」 「なるほど。よく待たされるんですか」  瀬尾はうっすら笑った。 「ええ。時間にはルーズなんで。きのうも本当ならもう帰っている時間だったんですけど、ファストフードでハンバーガーを食べてたって」 「瀬尾さんが食事を作ってるとお聞きしましたが」 「毎日ってわけじゃないですよ。彼女、料理が苦手で。彼女のうちでつくることもありますけど、きのうは夕方に仕事から帰ってきて、ここで作って持っていったんですよ」 「ああ、それで。大きなそのボックスを背負ってましたよね」  瀬尾は今日もその箱形の大きなリュックを背負って帰ってきた。  防犯カメラに映っていたリュックと同じ物だ。  食事を入れて運ぶには安定感に欠けるような気がするが、まぁ、デリバリーの仕事でもそれでことは足りているのだろう。 「8時には戻るっていってたから、急いでつくって持っていたのに。結局、食べませんでしたよ」 「あの……」  わたしが小声で割って入ると、飴智警部補はまぁいいだろうといったかんじで目配せしてうなずいた。 「作ったものって、タッパーに入っていたものですよね。鶏肉とか、ピクルスとか」 「そうですよ」 「それ、どこに置きましたか?」 「え?」  瀬尾は思索するように言いよどんだ。 「テーブルの上に置いたかと……」 「夕月さんはきれい好きのようなので、テーブルの上もピカピカに磨き上げていたと思うんです。でも、冷蔵庫の中のものが置かれて、そのすべてに跡形が残ってました。冷蔵庫の中のものは冷たいので結露したのだと思います。それで跡形が残ったのでしょうが、作ってすぐ持ってきたものは冷えてなかったはずですよね」 「ああ……保冷剤です。この陽気なんで、傷むといけないから。だからちょっと冷えていたのかも」 「デリバリーでも保冷剤を?」 「まさか。いつもは温かいうちに急いで届けますよ。でも、そう、ピクルスとかヨーグルトとか冷たい方がおいしいですし、胸肉もサラダにしようと思って。テーブルに並べたけど食べなかったんです。それでちょっと言い争いになって。そうですね、忘れてました。冷蔵庫にしまわずに置きっぱなしにしてました」  思いつきで発言してみたが、どうやら追い詰められなかったらしい。  実際のところはどうだったかわからない。  おそらく、瀬尾はタッパーに夕月朱莉の指紋が検出されなかったときのことを想定して考えを巡らせたのではないだろうか。  夕月朱莉が冷蔵庫を空にするため、自分で中身をテーブルに置いたのならタッパーにも指紋がついてなくてはおかしい。  テーブルの上に置きっぱなしにしていたのなら、夕月の指紋がなくても矛盾はしない。  実際には夕月朱莉の指紋は検出されていた。  タッパーは二人の間を行き来していて、食べ終わった後に夕月が洗って返すなどして夕月の指紋が残っていたのだろう。
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