第2話 美しき死体

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 翌日向かったのは夕月朱莉の所属事務所だった。  今のところ、瀬尾広海は証言を覆してはいない。  瀬尾が予想したとおり、報道が過熱して事務所も対応に追われているようだったが、飴智警部補がマネージャーの石垣に確認しておきたいことがあるというのでやってきた。 「お忙しいところすみません」  飴智警部補は恐縮したそぶりで声をかけた。  石垣は寝る暇もなかったのか目の下にクマを作って、メイクも乱れていた。 「まだなにか?」 「夕月さんを発見したときの状況なんですけど、なにかさわったもの、動かしたものはなかったでしょうか」 「お話ししたこと以外ではないですけど」 「ルームシューズがどこにあったか覚えていますか」 「さぁ」  石垣は首をすくめた。 「夕月さんが冷蔵庫へ向かった足跡がなくて、それで誰かに遺棄されたと断定することになったのですが、瀬尾はルームシューズを冷蔵庫に前に置いておく工作をしていなかったんですよ」 「そんな考えには及ばなかったのでしょうね」 「それでですね、逆に、床を拭いていれば、自殺説を否定できることに思い当たりまして」 「なんのためにそんなことを」  石垣は忙しくて気が立っているのか語気を強めた。 「自殺となればその動機に注目されます。直近で何か変わったことは起きていないか、仕事はうまくいっていたか、モデル仲間とトラブルはなかったか、事務所も所属タレントも醜聞がかきたてられてしまう」 「まるで私かふみがやったみたいないいかたですね。自殺だって他殺だって、どっちにしたって、とんでもないことです。今だって手一杯なんですから」  飴智警部補は気にもせずに話しを進めていく。 「ただね、ふに落ちないことがありまして。夕月さんのご自宅の洗面所にはモップに取り付けて掃除する不織布が捨てられてました」 「朱莉はきれい好きですから。頻繁に掃除するんですよ」 「あの日、夕月さんは帰宅後シャワーを浴び、アイスを食べながらテレビを見て、その後寝室へ向かったそうです。シャワーを浴びる前にコットンでメイクを落としてゴミ箱に捨てていますが、その上に不織布があったんです」  あれ。そんな確認していただろうか。  洗面所でメイク落としが水で洗い流すタイプかそうでなかったのかさえ気にしてなかった。  石垣も否定しないので特に矛盾はないようだ。  それとも、石垣はゴミ箱の中を見ていたのだろうか。  不織布を捨てるときに。 「ですから、シャワーを浴びた後、誰かが掃除をしていることになります」 「寝る前に朱莉が掃除したんでしょ。犯人なら嘘もつくわ」 「可能性としてはあります。すべての可能性を検証するなら、第一発見者の近藤ふみさんだって可能です。だけど、自殺説を捜査線上からあらかじめ外しておきたいのなら、あの遺書めいた書き置きを処分してしまった方が手っ取り早い」 「そうですよ。むしろ、刑事さんの目はごまかせても私の目はごまかせません。ふみはなにも関わってません」 「近藤さんはアリバイがありますが、鍵を持ってますからね。誰かに委託もできます」 「私に、とかいわないでしょうね」 「いえ、防犯カメラの映像から不審人物は発見できませんでしたから。夕月さんの死亡推定時刻前後に出入りした人間は瀬尾以外は住人で、全員特定できているんです。しかしながら、夕月さんと同じフロアに住む住人が共犯なら可能なんです。近藤さんが沖縄から帰ってくるのは想定外なことだったでしょうが、防犯カメラが取り付けられていない廊下なら鍵を手渡しできます」  でしょうね、と石垣は投げやりにいった。「ふみと親しくしていた住人が見つかったらまた来てください」 「ええ、外堀はしっかり埋めるつもりです。ただ、その場合、近藤さんにとっては自殺として処理された方が都合がいいでしょうから、やはり、掃除をして足跡を消そうとするのは不自然です。あとは、そうですね、あなたです。近藤さんはひどく動揺してましたから、寝室に休ませておけばたやすいですね。ルームシューズの位置が変わったことは勘違いだったとごまかせるでしょうが、さすがに書き置きをなかったことにするには無理がある。近藤さんを巻き込んで説得しなければならない。それはリスキーなのでそれくらいしかできなかった、とか?」  飴智警部補は推論を一気に述べると石垣に投げかけた。  石垣は飴智警部補と同じくらいに何を考えているのか読めなかった。 「刑事さんも百戦錬磨なのでしょうが、私だってそれなりに修羅場をくぐり抜けてきています。墓場まで持っていかねばならないこともあります。今、私が協力できることはもうなにもありません。事件は無事解決したのだからよいではないですか」 「それでは最後にもうひとつだけ。夕月さんは本当に自殺するような動機はありませんでしたか」 「ありません」 「それでは、瀬尾が自殺を幇助したのではなく、殺意を持って手をかけたとみている、ということでいいですね?」 「ええ」  石垣は短く答えると、あざといくらいのまっすぐな視線で、飴智警部補を見つめ返していた。  最後の質問は意味深だった。  まさか、本当に夕月朱莉が自殺したわけではあるまい。  瀬尾はあの当日、自宅で作り置きを料理して持って行っている。  愛情が憎しみへと変化して殺意を抱くのはまだかわるが、自殺を幇助するに至る心情の変化はわからない。  飴智警部補は可能性をひとつひとつつぶしているだけなのだろう。  我々がたどり着ける真相なんて知れている。  瀬尾広海の心も、夕月朱莉の心も、藪の中だった。
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