Step.05 運命の決断

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Step.05 運命の決断

「ヤン、いつか君にも見せてやる。だからこの実験に成功するまでは死ぬな」  それはカインとアベルが誕生する前のこと。  ヤン――彼はセツの目の前にいた。ベッドの上で眠っている。力なく薄く開かれたその目に生気は感じられない。身体を病に蝕まれているせいだった。  その病名は“AIDS”――後天性免疫不全症候群。痩せ細り、骨の上に皮膚が張り付いているだけのようなその姿に以前の面影はない。まるで別人だった。もともと彼は肩幅もあり逞しかった。学生時代にアメフトをしていたこともあり、健康にも恵まれた体型だったのだ。それがこんな状態になってしまうのか。AIDSという病の前には無力だった。彼はセツを見て顔をひきつらせた。目を細め、口角を上げようとしている。それは笑っているのか、苦痛に顔を歪めただけなのかわからない。間に合わせなければ。この時セツはそう決心した。  病に倒れる前、ヤンはセツの助手をしていた。同じ研究をする仲間でもある。知り合ったのはこの研究をするずっと前――とある会社の研究所にいた時からだった。二人はそこで再生医療の研究に携わり、時には泊まり込みで仕事をしなくてはならない時など、長時間同じ部屋で過ごしているうちに、互いに居て当たり前の存在になっていった。コーヒーを入れた同じカップに口を付けても気にならない。同じタオルを共有できる。  ある時のある瞬間、ふと二人は“可能性”を試してみたくなった。二人の間に潜むかもしれないある“可能性”を。そして交わり、その日から二人はベッドをともにする関係になった。  二人は愛の証として子供を作りたいと思った。その方法を二人でじっくり話し合った結果見出したのが、『人の精子から二父性のこどもを作る研究』だった。しかしその実験を開始する前にヤンは身体に異変を来たし、検査した結果AIDSを発症していることが発覚した。  セツは、彼もまたHIVに感染していることがわかったが、彼は今のところ無症候性キャリアなので、実験は彼一人で続行することにしたのだった。  そんな経緯を経て今に至る。頑なに拘り続けてきた精子と精子の形からこどもを作る実験に成功したセツは、『人の精子から二父性のこどもを作る研究』の成果をいよいよ学会で発表することにした。アダムとアダムから誕生したカインとアベル。その構図が世間にどう映るかは想像が付く。だが彼は自分がこの研究を経て残した功績を誇らしく思っていた。これは神をも恐れぬ愚かな行為ではなく、人類の進歩に繋がる偉大な一歩だ。そう信じて発表の場に立った。  強く生きてくれ。私達の息子、カインとアベル。  彼らの運命が変わるであろうこの日。セツは心の中で祈りを捧げた。そして彼は覚悟を決めて開口した。簡単な自己紹介をした後、研究の内容に入る。 「『人の精子から二父性のこどもを作る研究』は新しい子孫繁栄の形を追求した研究です。近年LGBTなど人の生き方に多様性が求められるようになり、これからはカップルや夫婦の形だけでなく子孫繁栄の方法についても多様性を認めるべきだと私は考えています」  セツは要所要所にスライドを使って説明した。 「胚性幹細胞を使用したマウスの実験では二父性は短命になることが課題でした。おそらくそれは母親にはあって父親にはないものが原因だと考え、私が着目したのが“ミトコンドリアDNA”です」  セツはミトコンドリアDNAを使った方法とその流れを図解した。 「この方法で、父親の染色体と父親の染色体を持ったこどもを作ることが可能です。現在この方法で双子二組、計4人の子供を作出することに成功し、いずれも疾患などは見られず順調に成長しています」  セツはその子供たちが誕生するまでの過程もスライドを使って解説した。会場にいる他の研究者たちの厳しい目が彼に注がれる。それはセツを――“こいつ”がペテン師でないか見抜いてやる――とでもいうような視線だった。しかしセツは自信たっぷりにこう続ける。 「さらに私はこどもを育てる“器”にも拘りました」 「それがこちらです」とスライドに動画が映し出される。途端悲鳴やどよめきの声が沸き起こった。動画には脈動する体の一部――腹部だけが映っていた。他の部位は何もない。まるでその組織しか存在していないかのように脈動しているその様子に、そこにいた誰もが驚愕する。 「なんだあれは……?」「人間の腹部?」「信じられん……」「なんてことを!? おお、神よ……」  すかさずセツが両手を前に突き出す。 「落ち着いてください、皆さん。おっしゃりたいことはわかりますが、まず私の話を聞いてください」とそれを制した。セツはそこに写っているものが何かを説明する。それが“接続体”というもので、細胞と細胞を繋ぎ合わせた器であると。返ってきたのは―― 「SF映画でも撮ってるつもりか!?」「あんたはマッドサイエンティストだ!!」と指を差して罵る声や激しい嫌悪の眼差しだった。彼を賞賛するような人間は一人もいない。 「わかっていました」  セツは一人悟ったように静かに頷いた。 「こうなることは予想済みです。新しいことをする時は、決まってこんな風に批判されるものです」と笑声を漏らす。  ある科学者がスライドの方を指差した。 「あの接続体とかいう物体は、使えなくなったらどうする。廃棄してしまうのか? 身体の一部とはいえ、子供を作らせるだけのために利用して、用がなくなったら捨てるなんて、君がしていることは倫理に反する行為だ!」 「勘違いしないでください。私は人体を道具にしたくてこの方法を選んだのではありません。この方法が人類の子孫繁栄の多様性に役立つだけでなく、遺伝子医療の発展にも繋がることを願ってのことです」 「何が遺伝子医療の発展だ!」「そんなのエゴだ!」   止まらない怒号や野次。そんな彼等を壇上から見返すセツの眼はどこか、彼等を蔑んでいるかのようにも見える。  壁の向こうからその様子を見物している眼があった。階上の一番後ろの席、その後ろの壁に。その一部を直径2センチほどにくり抜いた穴から、超小型のスコープと銃口を覗かせている。色褪せた紺色の作業着を着た男性だった。 「ごめんね、セツ。この世界では生かしては置けない」  彼はある一点だけを見て独り言ちた。その視線が“標的”を捕え、奥に伸びた指先が手前に向かって一気に引かれる。静かにそれは行われた。 「あなたたちもいつか気付くはずだ。この研究がいかに人類の……」  セツの声がそこで途切れる。そこにいた人間もすぐには何が起きたのかわからなかった。プレゼンテーション中のセツの額に穴が空き、そこから赤いものが吹き出して燻っている。セツは正面を向いたまま、糸が切れたからくり人形のように床に向かって倒れて行った。 「セツ、君は研究者である前に人として、やってはいけないことをしてしまったね」  先程までセツが立っていた場所に、銃口を向けていた男性がまた独り言ちた。彼は微笑を称えながらその銃の先端を自分のこめかみに移動させる。  「待ってるよ、セツ。“ここではない世界”で」  言うと男性は引き金を引いた。  静かに幕は下ろされた――――……  後に壁の一部がくり抜かれているのを現場検証した鑑識によって発見された。その向こうに狙撃者の男性は潜伏し、彼はそのくり抜いた部分から襲撃したと見ている。  彼は血だまりの中に倒れていた。頭部には銃痕があり、投げ出されたその手には未知の素材で作られた銃が握られていたという。彼は未来からセツを抹殺しに来た暗殺者なのかもしれない。                ――END――
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