ありふれた話

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 トイレに消えた2人が見えなくなると、秋山は俺に悪い笑いをしてくる。 「あの子、チョロすぎじゃない?」 「春香ちゃん?」 「そう。アピールが必死過ぎる」 「でも、優しく対応してんだから、満更でもないんでしょ。可愛いじゃん。そこそこ」  俺はチーズフォンデュの他のメニューを探っていた。 アヒージョ、かなぁ。 油が跳ねるか。 本当はホッケの開きが食べたいけど。  「いや、ちょうど良いじゃん。遊ぶのには」 先程までとは違う悪い顔をした秋山は、モテる自分が大好きだ。 彼女もいるのにこうして時々出会いを求める。  夏海さんと、少し一緒に仕事をした時に好感を持った俺は、この飲み会を開けて良かったと思っていた。 夏海さんのあの物憂げな感じがいい。 ミステリアスだ。  「じゃあ、俺、春香ちゃん行くから。いいよ。あっちの地味な子」 俺は返事をしなかった。 もうそこに彼女達が見えていたからだ。  選択するのはもちろん秋山。俺は『じゃない方』だから。 職場でも俺は同期の秋山と並べられる、『じゃない方』。 主役は荷が重いから、秋山じゃない方、でいる方が気が楽だ。  「お待たせー!って、待ってないか」 明るく言う春香ちゃんの横で静かにテーブルを見る夏海さん。 きっとみんなのグラスとか、気にしてるんだろうな。 気が利くいい子じゃないか。  「いや、待ってたよ!寂しくてどうしようかと思った」 うそうそ。よくまあそんなしれっとそんなセリフがはけるものだと感心する。 「ええー?本当?」 そしてこっちもよく乗るなあと感心する。 もはや2人の独壇場だ。  夏海さんは相変わらずメニューを眺めている。 チーズフォンデュの写真、ガン見してるよ。好きなのかな。 ちょっと可愛い。 「あ。来た」 夏海さんの視線はチーズフォンデュに釘付けだ。 そして微笑んだ顔がまた、可愛かった。  そして当然秋山と春香ちゃんは一緒に帰って行き、 俺と夏海さんは一緒に帰る事になった。 割と緊張する。  「チーズフォンデュ、好きなんですか?」 俺はなんとか話題を捻り出して、出てきた一言がこれだった時、 終わったな、と思った。  しかし。 「本当はホッケの開きが食べたかったんです。だけど、なかったから」 夏海さんの予想外の返答に、思わず俺は吹き出した。 「俺も、ホッケの開き、食べたかったですよ」 夏海さんは笑って、 「お店の選択、間違えましたかね」 と返してきた。 「いや、きっとあの2人にとっては正解」 「確かに。すごくいきいきしてた」 「秋山は酒の知識を語れて、春香ちゃんは料理の腕アピールが出来て」 「適度に暑くて、春香は胸元アピールもかかしませんでしたね」 「秋山もわざとネクタイ緩めてたね。あれはやつの決め技なんだ」 「あはは。決まってました。春香、目を輝かせてたから」  俺は、勇気を出して言ってみた。 「どっか、ホッケの開きがある店で、飲み直しません?」 夏海さんは、 「子持ちししゃもも食べたいです」と言った。 なんだかとても、心が暖かくなった。  穏やかな夏海さんの横顔を見て、酒のせいだけでは説明のつかない鼓動の高鳴りを感じ、頬の紅潮を感じる。 思わず下を向いて、思う。 ああ、俺、好きなんだな。この人のこと。  主役の影でひっそり始まった『じゃない方同士』の関係が、目立たなくてもいいからかけがえのないものになりますように。 そんな事まで、願ってしまうくらいには。
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