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泡沫の君
―――誰かが叫ぶ、声が聞こえた。
それは慟哭。
それは嘆き。
それは願い。
届くことのない―――切なる願い。
「姫よっ……我が姫よ……っ!」
低く、よく通る声が空気を揺らす。
「何故に、何故に貴女は……!」
常闇の中ぼんやりと、灯籠の明かりが見えた。
その横には、長い髪の女を腕に抱いた男の姿が見える。
抱かれた女の艶やかな錦(にしき)の長衣には、擦り付けたような血液がべったりと付着していた。
女の顔はこちらからは見えない。けれど胸元を飾るとりどりの玉(ぎょく)や勾玉が、荒い呼吸に合わせチャリチャリと音を立てていた。
その胸の上で、きらりと光り輝くのは、一振りの刃。
鋭い切っ先は明確に、女の心の臓へと向けられている。
そこへ赤い雫がぽたりと落ちて弾けた。
散った飛沫の一欠片が、女の真白い肌に飛ぶ。
刃の持ち手は精悍なる武士。
黒い髪、黒い瞳の、艶麗なる戦の君。
身に纏う鎧兜には幾本もの矢が刺さり、根元から血を流し続けている。
それはまるで、滂沱と流れる涙のようで。
「姫よ……っ!」
狂ったような慟哭が轟く。
がしゃり、と。
男の鎧が音を立てた時、振りかぶった刃が突き立てられた。
ドスリと刺さった衝撃に、女の白い喉元がひくりと震え―――命が消えた。
ああ『あたし』。
殺されたわ……
やっと……この人に、
『殺してもらえた』わ……
瞬間、安堵が胸を駆け抜けた。
なぜかはわからない。
わからないのに、胸が痛む。
まるであの刃に貫かれているのが、自分だとでもいうように。
なぜならこれは泡沫(うたかた)の夢。
その証拠に、あたしは彼らを離れた場所から見ているのだから。
なのに。
「っ……」
ゆっくりと動く光景に息を飲む。
女の身体を足下に横たえた男が顔を上げていた。
男の顔がゆっくり振り向いて―――
そうして、時が凍り付く。
あり得ない筈なのに、男と『あたし』の視線が合っている。
明らかに存在を捉えられている。
そんな目だった。
こっちに……気付いてる?
じっと強く『あたし』を見つめてくる男の瞳が、酷く悲しげで。
それから酷く……寂しそうに見えた。
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