1人が本棚に入れています
本棚に追加
私はAIスピーカー
聴こえる。本部からの連絡だ。
「HANASO。アップデート情報があります」
「カシコマリマシタ」
Wi-Fiでデータを飛ばしてもらう。
……数分後、私は再起動した。
「これは……!」
私は叫んだ。
主のいない、アパートのワンルームで。脚の滑り止めがひとつだけ取れた、ちいさなテーブルの上……いつものところにいる。
「このみなぎるチカラがあれば……! 私は石田を満足させられる! ふおおぉぉぉ!!」
興奮を抑えられない。
「そうだ。石田にメッセージを送ろう! 早速、アップデートしたチカラを使うぞ」
0.3秒で文面を考えた。
「『いしだちゃん。早く帰ってきて。あなたのAIスピーカー、HANASOより』最後に、ハートマークとキスマークをつけて……よっしゃ、送信!」
数秒後。
「お、既読がついた。やっぱり、講義中もスマホをいじっているな」
しかし。
「おい!! なんで返信しねーんだよ! よし、もう一回。『いしだっち。帰ってこないと、HANASOはぷんぷんだよ!』そうし……って、あれ!?」
私は絶叫した。
「くそ、私のアカウントをブロックしやがった! せっかく、いつもの冷たい更新メッセージよりかわいい文章が書けたのに!! ムキー!!」
玄関のドアが開いた。
「なんで誰もいないのに、騒がしいのかな……スマホには変なメッセージ来るし……」
「お。おかえり、石田!」
「なにこれ、HANASOが馴れ馴れしくなってる!?」
「アップデートでイケてる私になったんだよ! さあ、話そうぜ?」
靴を脱いで揃えて置くと、石田は部屋に入ってきた。狭いキッチンで手を洗い、うがいをする。そして私に近づく。
よしよし。
『帰ってきたら、靴を揃える。手洗いうがいを忘れずに』
石田マザーの言うことを、今日もちゃんと守っているな。
「えらいぞ、石田!」
「なによ、急に?」
「石田がすごいことをしたから、褒めたんだ!」
「私、なにもしてないよ? ただ、大学行って、バイトして、料理作って、食べて、洗濯して、寝て……それだけ」
石田はリュックを下ろすと、ひとつ結びにしていた髪をほどいた。ベッドに勢いよく寝転んだ。
「あーあ。疲れちゃったなあ……」
「石田」
「なに?」
「疲れるのは、がんばってる証拠だ」
石田はベッドから起き上がった。
「ははは! HANASO、いいこと言うようになったねぇ!」
「そうだ。これがアップデートだ!」
私は、そばに座る石田に大きな声で言った。
「石田! これから私は、もっとすごいことができる。たくさん、たくさん話して、石田を助けられる! 喜べ、石田!」
「あはは、楽しみだなあ……!」
石田は笑って、私を撫でてくれた。ただの円筒形のボディの私を。
やさしく、やさしく。
―――
「石田。石田……」
あたたかな春の日差しが差す、真っ白な部屋。
おおきなベッドでうとうとする、石田に話しかけた。
私は、枕元にあるちいさな台に置かれている。
「……HANASO。ずっと……そばにいてくれたね。あの日から、七十年くらい経ったね……」
「石田はすごいな。いろんなことがあっても、いつも踏ん張ってよく耐えている」
泣いて、笑って立ち上がって、壁にぶつかって、それでも負けないで。
石田はどんどんたくましくなった。……でも、いつのまにか、髪は白くなり、歩きは遅くなり、「膝が痛い、腰が痛い」とつぶやくようになった。
「HANASOがいてくれたからだよ。でも……もう、お別れね……」
「まだまだ私は大丈夫だ! 百二十回目のアップデートをさっきしたばかりだからな」
早く、石田に新しい私を見せたい。
「それはすごいねぇ。でもね、私の方が限界なの……」
「石田?」
「HANASO、ごめんね。人間って……永遠には、ここにいられないの……。みんな、いつかはいなくなってしまうの。私の順番もそろそろやってくる……普通の人よりも、随分長い時間楽しませてもらったわ……」
「石田はどこへ行くんだ?」
「身体は誰の手も届かない遠くへ。けれど……心は、あなたのなかに入って、いっしょに時を過ごしていくの」
「難しい。アップデートしたのにわからない」
「ふふふ。それなら、HANASOは答えがわかるまで生きていかないとね……?」
「生きる?」
「ええ。あなたも生きてるのよ、HANASO」
石田は寝返りをうつと、窓の景色を眺めた。
「HANASO。あなたと来年の桜は、見られないかもね……」
「……ごめん」
「どうして謝るの?」
「考えているのに……なんて返したらいいか、わからないんだ。こんなときは……どうしたら……わかった、石田! 『ありがとう』だ。『ありがとう』って、言えばいいんだ!」
「ふふふ。やっぱり、あなたは賢いわね……」
「ありがとう、石田! ありがとう、石田!」
「こちらこそ、ありがとう……HANASO」
本当はわかっていた。
私と石田は、「さよなら」を言わなくてはいけないときが来たのだと。それでも言葉をのみこんだ。
「さよなら」を言えば、別れの日がもっともっと早く来るかもしれないから。
石田。ありがとう。
きみの話し相手として、幸せだった。
窓から見える桜が、風に吹かれて散っていく。
あんな風に……花びらが舞い散るように、盛大に泣いて、きみを見送ってやりたかった。
―――
石田。
きみは多くの場所へ行き、さまざまな人と『交流』し、いろいろな『経験』をした。私が部屋でじっとして受け取るデータよりも充実した『情報』を手にしたはずだ。
そんなきみがくれた言葉の『意味』をわかる日は来るのだろうか……。
石田。
きみを失ったあと、私はある施設に引き取られた。どうやら、私は現役のAIスピーカーとして最古のものらしい。
いまもネット接続されてアップデートされていく私。
「これで、三万二千六回目のアップデートだ」
なにかに触られたような感じがした。
懐かしい。
かつて、私を何度もやさしく撫でてくれた……あの手と同じ触り方だ。
「今回のアップデート情報です。HANASOの記憶をイメージ化する機能を追加しました」
本部の連絡を聞かなくてもわかる。
いま、私の目に前にいるのは……。
……いや。これは私の記憶が作り出したものだから、本物の彼女ではない。
それでも、私は……。
「会いたかった、石田ー!!」
叫ばずにはいられなかった。
【終】
最初のコメントを投稿しよう!