スーパーカップの緑と青

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スーパーカップの緑と青

夢の中で瞬きをしただけみたいに、意識の続きで目が覚める。 自分の部屋のものではない天井。天狗の顔に見える気がする壁のしみ。コンタクトレンズが眼球にはり付いている。 「コンタクトが…」 「眼球にはり付いてる?」 上体を起こし、声の方に顔を向ける。 マットレスの横に置いた丸テーブルで、君はノートパソコンにパチパチと文字を打ち込んでいる。 「外して寝なきゃ目が真っ赤になるよ」 画面から目を離し、私を見る。一瞬だけ目が合う。先に視線を外したのは私だった。 「うそ、赤い?」 言いながら、足元に転がる自分の鞄を引き寄せる。鏡を探すフリをして、未だこっちを見てる視線から逃げている。 酔って、寝て、酔いが覚めて、変に白くなっているはずの顔面が熱い。 鏡はすんなり見つからない。だからわからない、自分の顔が白いのか赤いのか。 「レポート終わんない。全っ然、終わんない」 君は言って、顔の皮膚を両手でびよーんって引っ張った。 「俺が一人で頑張ってるのに、お前ら三人はグーグー寝やがって」 びよーんってしたまま、恨めしそうに言う。 マットレスには家主のたっちゃんが、壁と同化しながら薄くイビキをかいている。私とテーブルを挟むようにして、アコちゃんは芋虫みたいに丸まって眠る。いつものメンバー。見慣れた景色。 「レポート終わってないのは自分が悪いんじゃん。うちら三人はもうできてるもん」 わざと自慢げに言う。君は「フンッ」と鼻を鳴らす。 開け放した窓から夏の夜の風が入る。湿っていて少しだけ冷たい。 薄黄色に汚れたレースのカーテンが風で翻って、君の姿を隠した。 立ち上がってカーテンを払ってやると、大きな目がこっちを見ていてまた目が合う。頬が燃えるみたいに熱くなる。 「なにやってんの」 君はふざけただけ。わかってる。なのに思いのほか棘のある言い方になってしまう。 照れ隠しだとバレただろうか。 それとも怒っていると思われただろうか。 そんなことが猛烈に気になって、そんなことで地面に叩きつけられたみたいな気分になる。不安でたまらなくなる。怖くなる。他の人が相手ならこんなこと思わない。何一つ思わないのに、目の前にいるのが君だと、私の心はいちいち、ぐわんぐわんと動いて大変なのだ。 「コンビニ行こっか」 パソコンを閉じ、君は立ち上がろうと私の腕をつかむ。私の腕を。 人生で起こる全ての良きこと、その飛沫を全身で浴びたみたいに、気持ちが上を向いてしまう。 自分の気持ちに振り回されてばかり。馬鹿じゃなかろうか、疲れた。 学生マンションの灰色の階段を下りる。私と君の足音以外、何一つも音がしない。 銀色の集合ポストが、鈍く、二人分の人影を映す。私はそれをちらりと見る。見て焼き付ける。忘れてはいけないよと、お酒が染みた後の脳みそに語りかける。 外に出ると、さっきカーテンを揺らしていた風が、腕に、頬に、纏わりついた。 君のTシャツの後ろ姿。それを目に焼き付ける。忘れてはいけないよと、風を纏った腕をさすって思う。 マンションの向かいにはマンション。1階がテナントのマンション。小さな飲食店がいくつも入ってる。 道を1本向こうに行けば店の表側が見えるけど、私たちが見るのはいつも裏側。汚れた換気扇が息を吐き出し、室外機がブンブン唸る。 黒くて小さな扉が並んでる。その奥にはおしゃれな店のおしゃれなキッチン。 裏側が地獄みたいになってること、おしゃれな食べ物を食べる大人は知らない。 私たちのオアシスは駅前のチェーン店。安い味がする揚げ物とハイボール。 君が空を見上げる。私もつられて空を見る。 マンションに区切られた長方形の空が、夜にも夜明けにも見える群青色でそこにある。 「池袋ウエストゲートパーク」 空を見たまま君が言う。 「聖者の行進」 つられて私も言う。 「ぼくらの勇気未満都市」 「なんちゃらホテル……なんだっけ」 「松本明子?」 「それ!」 「プリズンホテル」 白い光を放つコンビニに吸い込まれるようにして、君と並んで自動扉をくぐる。忘れてはいけないよ、この瞬間さえも。 白い光に照らされて、燃えているみたいな頬を君に見られてしまうだろうかと考えるけど、それは大問題にも思えて同時に、本当にどうでもいいとも思う。今、忘れてはいけない全てを前に、そんなこと気にしていては馬鹿かもしれない、と。 君はスーパーカップの緑をつかみ、レジでタバコと一緒に買う。 私が買ったアイスの方のスーパーカップを見て、 「半分こしようや」 と真顔で言う。 たっちゃんの部屋に戻って湯を沸かし、ラーメンとアイスを分け合うのだと思うと幸せで、泣きそうになって、やっぱり私は馬鹿だと思う。 だけど分け合うスーパーカップはきっと、世界で一番おいしいラーメン。世界で一番おいしいバニラ。
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