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カチャカチャカチャと10本の指がパソコンのキーボードを叩く音、生体モニターのアラームが時折鳴り、間でナースコールの音が響く。病院のナースステーション。その場所で、稲妻のような言葉が落とされた。
「急性虫垂炎で緊急オペ、滝川さん、入院取れる?」
一気に周囲がピリついた空気に包まれる。放電された痺れは私を貫いた。リーダーナースの田中さんに名を呼ばれ、電子カルテを入力していた手を止め、顔を上げた。
「え、緊急ですか? 今から?」
すぐさま振り返って、ナースステーション内の掛け時計を確認する。時間は17時。日勤の勤務はあと15分で終わろうとしていた。今日は悠太と結婚式場の下見の予定だったのに。
「今から。だって、次の入院取るってなったら、分担的に滝川さんよね。あと、もう入力終わってる?」
看護記録の入力はほぼ終わっていた。後は次の勤務者に申し送りをして、本日の業務は終了、だったのに。
稲妻の言葉の後に悪雲が立ち込める。周りのナーススタッフは私を横目で見て、ドンマイ、と視線を飛ばしてくる。同情するなら、代わってよ、と声が出そうになるが、それを飲み込んだ。仕方ない。式場の件は悠太に連絡して、また後日にしよう。
「…はい、入院。取ります」
私の返事に田中さんは納得したのか、ありがとう、一緒に私も手伝うから、と言って口角をキュッと上げた。
入院してきた羽山さんは80歳男性。長男に付き添われて入院してきたが、高齢の割に元気で「痛い、痛い、この腹が痛いんじゃぁ〜、痛い。誰か腹を刺しているんじゃないか、おお、痛い」と声を発して痛みを緩和させていた。髪の毛はほぼ後退しており、目もつぶらで可愛いおじいさんだったがストレッチャーで運ばれ、私が覗きこみ担当ナースだと告げると、つぶらな瞳をかっと開けて、さっきの痛がっていたのは演技かと思うほど静まり、私を凝視した。
「若いし、べっぴんさん。ねぇちゃん見たら、痛いのは治った」
「出たよ、親父の女好き。もう、自分が手術する前まで、そんな事よく言えるよ。恥ずかしいからやめろよ」
「手術して、死ぬかもしれないぞっ! だから、口が動くうちに好きな事を言いたいっ! でも、べっぴんさん見たら治ると思ったけど、ダメだ、治らなかった〜、盲腸め〜こんにゃろっ! 負けないぞ〜」
息子と思われる、50歳代の羽山さんに顔のよく似た男性は、呆れたようにため息をついた。
二人を病室に案内し、入院の手続き、院内、病棟のオリエンテーションを行い、これからの手術の流れについて説明をしていると白髪の背の低い女性が病室に入ってきた。背中が丸く、歳は召しているが美しい女性だった。羽山さん同様80代だろうか。少し若いかもしれない。私を見て「お世話になります」と頭を下げた。息子さんが、お袋、とホッとしたように声を発した。
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