170人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ
竹塚は立ち上がって、そうだと鞄から学校からの栞を取り出す。
「翔その栞あの子の机にでも置いて来て? 私忙しいの」
なんて女だと怒りが込み上げた。
「奥様、タクシーが着きました」
「ありがとう」
竹塚は見送り、云われた離れへ脚を向けた。
あの小さな離れがそうだったのかと、律の孤独を知る。云われた小さな家は、あまりにもそっけない淋しい部屋だった。
「普通、子供部屋って色んな物が在るだろうに」
ーーー何も無い。
在るのはベッドに勉強机とカーテン。ミニ冷蔵庫に、小さなキッチン。トイレと風呂だ。これでは母屋に行くなんて無いだろう。いったいいつから律はひとりでこの空間に居たのか。普通なら、男の子らしく漫画や雑誌が在っても良いはずなのに、何も無い。生活臭が感じられない。孤独に押しつぶされそうだ。こんな所でひとりだなんて。
「嘘だろ…」
窓際の下枠に、何か書かれている。『お母さん』『家に帰りたい』『お母さん大好き』と小さく書かれた文字。日付が書かれている。遡れば、律がまだ八歳の時だ。どんな想いで書いたのか。
竹塚の眼から涙が零れた。
律はファーストフード店で、ゲンナリとした顔で向かい側に座る男を見る。
「前から可愛いって思っていたんだよね。どう? バイトしない? 君みたいな子がAVに出られる子探してたんだよね~」
「ふーん。おじさんそれで?」
「それでってねぇ」
頬を引き攣らせて、男は身を寄せて来る。
「お金は弾むから」
「…ふうん」
どうでもいいやと律は頷き掛けた時、背後から水の入ったグラスを、誰かが男の頭上から零した。
竹塚だ。
「っ! 先生!?」
「なっ!?」
律は驚愕して見上げ、向かい側に居た男は立ち上がった。
「てめぇ、何しやがんだ、あぁあ!?」
「俺はこの子の教師で、君は十五の未成年に猥褻行為を勧めていた、如何わしい大人だ。どちらの分が悪いか解るよな?」
男は真っ赤になって周りを睨み付ける。傍に居たサラリーマンや子連れの家族は慌てて席を立つ。男は舌打ちしながら、覚えていろよと捨て台詞を吐いて店を出て行った。
「…あ~あ」
律は他人事のように呟き、律も席を立つ。
「何処に行く」
竹塚の不機嫌な声に、律は眼を細める。
「外だよ」
店を出ると律は近くの小さな公園のベンチに腰を下ろした。後をついて来た竹塚もまた隣に腰を下ろした。
「で? なに?」
律が隣へ一瞥すると、竹塚はひとつ溜息を吐いた。
「お前の家に行って来た」
「へぇ」
律は無言で月を見上げる。
「で?」
律を嫌い、律を産んだ女に憎しみを抱く哀れな女は、この男に何を話したかなんて、たかが知れている。
最初のコメントを投稿しよう!